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タンペレゆるゆる滞在記|4 高邁な研究、ついに始動|徳永崇

タンペレゆるゆる滞在記4 / 高邁な研究、ついに始動

Text & Photos by 徳永崇(Takashi Tokunaga)

 

フィンランドの秋

自宅前の公園Hämeenpuisto

「紅葉」という言葉もあるように、日本の秋は赤のイメージが強いように感じますが、フィンランドの木々の葉は黄色くなるタイプが多いようです。9月下旬になると、公園や道路は落葉で黄金色の絨毯を敷いたようになりました。気温も10度を下回る日が増えてきて、凍えるほどではありませんが、ジャンパーやコートが手放せません。各種学校でも8月初旬から新学期が始まり、日常も慌ただしくなってきました。もちろん、今回の渡航の目的である音楽創作教育の研究活動もいよいよ動き始めました。様々な場所で沢山の出会いがあり、毎日が飽和状態です…。

教育資料データバンク“Opus1”

私の主要な研究対象は、音楽創作の教育資料データバンク“Opus1”の運営についてです。現在、フィンランドには音楽創作を支援するプロジェクトがいくつか存在していますが、中でもOpus1は、音楽創作教育を受ける機会の平等を重要視し、現場の教員に作曲や即興の指導法を無償で提供するデータバンクである点がユニークです。音楽財団や大学からの資金援助の下、作曲家や即興演奏家らによって開発され、専用のウェブサイトが開設されています(https://www.opus1.fi/)。
このサイトでは、難易度、グループの規模、活動に要する期間、使用楽器などの条件に応じ、91種の教材がテキストによって提示されています。一例として「24」という番号の課題を見てみると、以下のテキストが提示されています(筆者が要約)。

  • 本課題はペアから大人数までの実施が可能。
  • 1人の「リーダー」を選び、他の人は自分の選んだ音によってリーダーを反応させる。
  • 状況を逆転させ、リーダーが音を出し他の人が動きで反応することも可能。
  • リーダーを頻繁に入れ替え、誰もがリーダーシップと,音への反応の両方を体験できるようにすることを推奨する。

この課題は、図形楽譜の入門編として位置付けられ、身体的な動きと音の関わりを探求するエクササイズです。 この他、旋律、リズム、反復、無音、ポリフォニーなど様々な要素に着目した課題が用意されており、教育現場のニーズに合ったものを手軽に参照することができます。
上記のテキストは、確かに音楽創作の手がかりとしては示唆に富み、多くの可能性を孕んでいますが、それらをどのように使って指導が行われているのか気になります。さらに、創設から数年しか経過していないことから、その教育的効果について検証が待たれる段階にあります。そこで、Opus1の運用の実態や成果について調査し、有用であるならばノウハウを学びたいと思ったわけです。その背景には、我が国の音楽科教育において、重要性が認識されつつも効果的な方策を見いだせていない音楽創作の指導に活かしたいという思いがあります。

“Institute”の役割

実はフィンランドの公立学校における音楽教育は、必ずしも充実していません。その代わり音楽をもっと学びたい生徒は、放課後などに”Institute”と呼ばれる音楽学校へ通います。この”Institute”の概念を日本語に訳するのが難しいのですが、各自治体が資金援助をし、場合によってはある程度生徒が料金を支払う形で受ける専門教育の機関、という感じでしょうか。もちろん音楽の他にもスポーツや美術などがあり、生徒は自分の興味に合わせて選択します。スポーツの場合、サッカーやバスケットボールといった定番の他、アイスホッケーのような北欧ならではの競技もあります。また、ペサパッロと呼ばれる野球の一種も盛んで、どうやらフィンランドにも野球少年や少女の類がいる事がわかってきました。音楽ですと、クラシカルな器楽や声楽に並んで作曲コースが開設されている場合もあります。ただし、扱う楽曲は必ずしも西洋のクラシックばかりではなく、ポピュラー音楽やフォークソングなども多い様子。この辺はそれぞれの地域やInstituteによってばらつきがあるとのことでした。そして今回、私はフィンランド中部の町ハーパヤルヴィのInstituteを見学させて頂く機会を得ました。

いざ教室へ

鍵盤とパソコンを利用しながら作曲

ハーパヤルヴィは、私の住むタンペレから300kmほど北に位置する人口4600人程度の小さな町です。移動には鉄道を乗り継いで4時間ほどかかりました。ハーパヤルヴィの音楽のInstituteである“Jokilaaksojen musiikkiopisto”ではOpus1プロジェクトの中核メンバーの作曲家Sanna Ahvenjärviさんが音楽創作の指導を担当しており、今回の私の視察を快諾してくれました。

絵を並べて音楽のストーリーを考え中

施設の広さは日本のコンビニエンスストア2軒分程度で、給湯室を含め6部屋ほどに分かれていました。Sannaさんはその1室を使用して、作曲や即興演奏はもちろんのこと、編曲や音楽理論、さらには音大受験の指導なども行います。生徒の興味や関心も多様であるため、一様にOpus1のプログラムを適用している訳ではないとのことでした。1レッスンは学年や内容に応じて45分のものと1時間のものがあります。参加人数も1人から多くて5人程度と小規模でした。年齢層は小学校低学年から高校生まで様々です。
私は9月29日水曜日の午後から訪問したのですが、フィンランドの公立学校は14時ごろには終わるので、15時前になると生徒たちが集まってきます。この日は見知らぬ日本人がいるので、特に10歳くらいの子供たちはちょっぴり恥ずかしそうです。

どうやら物語は恐ろしい展開に…
ノイズの出し方を皆で試行錯誤

Opus1を活用したレッスンとしては、様々な絵が描かれたカードを用いてストーリーを考えさせ、それを元に作曲させる活動が印象に残りました。8〜10歳くらいの女の子3人のクラスだったのですが、非常に盛り上がりました。各自弦楽器を弾けるので、それで相応しい音を探しながらの共同作曲です。特殊奏法にも抵抗がない様子で、楽器を叩いたり、ノイズを出したり、柔軟な思考には脱帽です。

子供たちに自作を解説(汗)

さらに今回は、Sannaさんの勧めで、私も授業を担当することになりました。あろうことか、私の作品について子ども達に話し、音源を聴かせるというものです。いわゆる現代音楽の範疇に入る作品ではありますが、単純な音形を自由に変形させるノウハウを実演付で話しました。音源を聴かせている間、居眠りとかされたらショックなので、怖くて子供たちの顔を見る事ができませんでした(笑)。反応はというと、「なんと答えて良いやらわかんないけど、なんとなく分かったような気がする。」と8歳の女の子。なかなか手厳しいです。

オウルでの新たな出会い

翌日9月30日は、Sannaさんの強力な勧誘により、彼女の運転する車で160km北(!)にあるオウルに2時間かけて移動しました。ここで日曜まで現代音楽祭が開催されており、この日はOpus1に係る他の作曲家や、フィンランドを代表する作曲家Kalevi Aho氏の作品を聴くことが目的です。実はフィンランドに来て初めてのコンサートだったのですが、会場に入った途端、とても懐かしい感じに包まれました。なんと、マスクの着用が必須ではないのです!もちろん、着用している人も散見されましたが、この開放感といったらありません。本公演の目玉は、Aho氏のテルミン協奏曲だったのですが、演奏後に舞台へ上がった彼は、堂々とソリストとハグしていました。フィンランドはコロナの封じ込めにもある程度成功していますが、特にオウルは感染者数が少なく、いよいよここまで日常が戻って来たという感じでした。日本も早くこうなる日が訪れると良いのですが…。

パワフルなSannaさんと Kalevi Aho氏

終演後は、やはりSannaさんにぐいぐいとパーティーに連れて行かれ、Aho氏とも少し会話できたのが良い思い出になりました。今回のテルミン協奏曲もそうですが、70歳を超えてなおウィットな感性を失わない彼の柔軟性には、学ぶべき事が多いです。さらには、国際的なヴァイオリニストであり、シベリウス・アカデミーの教授に就任された菅野美絵子先生にもお目にかかる事ができました。改めてSannaさんに感謝です。

作曲の教育を受ける機会の「平等」

以前も述べた通り、私は単なる作曲のメソッドには興味がありません。フィンランドが教育機会の平等を実現する過程で、音楽創作に力点を置く背景がどのように生まれ、教育システムや関係者のネットワークがいかにして構築されたのかについて学びたいのです。実は日本にも優れた音楽創作教育のプロジェクトやメソッドがあり、成果を上げていることは周知の通りです。しかし私が気になるのは、これだけ創造性の重要性が叫ばれているにも関わらず、では創造的な人間とは一体どのような人なのか、そしてそもそも何のための創造性なのか、議論が尽くされていない点です。作曲コンクールの受賞者、ヒットチャートを賑わすアーティスト、ゲームやアニメの音楽で一儲けしている人など、様々な才能あふれる方々がいます。でも、そういった一部の成功者以外は創造的ではないのでしょうか(そもそも成功の定義とは?)。風変わりな言動や常軌を逸した行動を取らないと、芸術家として認めてもらえないのでしょうか。併せて、音楽や芸術、そしてスポーツの才能や能力を伸ばすには、高額な先行投資が必要である場合が多く、たまたま生まれた裕福な環境に依拠している面も小さくありません。何も格差を全否定し、平等という名の下に均質化したいと言っているのではないのです。何か面白い物事を創造し楽しむ機会が、単なる金持ちや一部のマニアの道楽、あるいはエリートの出世の小道具といった範疇にとどまるのは、もったいないと思えてならないのです。
ハーパヤルヴィは辺境の小さな町であり、ヘルシンキなどと比べると大都市の恩恵はほとんど無いに等しい状況です。しかしその町で、第一線で活躍する作曲家が数十人の子供たちと向かい合い、音楽の作り方を教えているのです。ここに、Opus1の目指す平等性の本質が見えたような気がしました。
まだ調査は始まったばかりで、この先どうなるか予想すらできませんが、10月はヘルシンキなど3箇所のInstituteを訪問する予定です。高邁な目標に向かって、一歩ずつ前進するしかありません。

(2021/10/15)

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徳永崇(Takashi Tokunaga)
作曲家。広島大学大学院教育学研究科修了後、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修および愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。ISCM入選(2002、2014)、武生作曲賞受賞(2005)、作曲家グループ「クロノイ・プロトイ」メンバーとしてサントリー芸術財団「佐治敬三賞」受賞(2010)。近年は、生命システムを応用した創作活動を行なっている。現在、広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。2021年4月から交換研究員としてタンペレ応用科学大学に在籍。