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カデンツァ|緊急入院〜声、闇と薄明の狭間で|丘山万里子

緊急入院〜声、闇と薄明の狭間で

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

本誌もこの10月で創刊7年目に入る。毎年10月号は「批評考」を記してきたが今回は後回しにし、長いコロナ禍中での緊急入院4日間を述べることにした。受け取ったことがあまりに多く、少しでも言葉にしておきたい。

本誌9月号更新を終えた週末の午前中、近くの専門医院で十数年放置だった大腸ポリープ切除を終え帰宅した私は、激しい頭痛と嘔吐に襲われ、救急車で居住区内の総合病院に搬送されることになった。ピーポピーポが近づき、どどっと救急隊員が入ってきて「1・2・3ッ」でベッドから搬送台へスライド、「雨、ちょっとかかりますよ、ごめんなさい!」と車に搬入される間、苦悶しつつも「ドラマそっくりだ」(TV『TOKYO MER』)と、患者にドスン・ガクンといった負荷を全く与えないスムースな手際に感嘆したのである。車中での嘔吐にさっとビニール製の受け皿を差し込み、朝、飲み切らねばならなかった2Lマグコロールのわずかな胃中の残量が押し出されると「お口拭きますね」と清拭する。その熟練と配慮、「もう直ぐですよ」の声掛けにどれほど救われたか。
「K病院です。空いたベッドはないので検査だけになります。入院が必要になった場合は他を探すことになります。」付き添いの娘への説明を遠く聞く。
コロナ初期、大規模クラスター発生の病院だ。どこでもいい。とにかくなんとかしてくれ。
到着、診察台へスライド「1・2・3ッ」。医師が来る。
問診、脳CTを含めポリープ処置直後であれば矢継ぎ早の検査4件のち脳、腸に重篤な異常なしとの診断。使用の静脈麻酔の副作用だろう、の診立てでようやく頭痛・吐き気止め点滴開始。これでおさま…らなかった。トイレで空の嘔吐の繰り返しに崩れ落ち、たまらずナースコール。こりゃ帰宅は無理だ、そう思った。見かねた担当医が上司と相談、ベッドを確保してくれ入院が決まる。
「コロナがあるので入院用の検査を受けていただきます。」
車椅子で大きな透明ビニールテントへ。 PCR検査だ。椅子に一人座らされ背後でジャーっとファスナーの閉まる音。青色防護服の担当者が入ってきて大きな綿棒を鼻に突っ込む。
そのまま胸部レントゲン、心電図へ回る。
する間にも急患は運び込まれ、看護師、医師が飛び回る。せわしない出入りと様々な声の交錯。救急現場とは「助けて、どうにかして!」の声なき・声あり叫びの渦、さらにコロナの脅威が加わって対応する全員の神経が尖りきり、刻々の判断を迫られる。
この病院は区内4つのコロナ対応基幹病院の1つで、最初期に発熱外来センター設置、直近では抗体カクテル療法までフル回転と知ってはいたが、一般ですら現場は異様な緊張感、コロナ棟ではいかばかりかと思う。
「医療従事者の方々にエールを!」なんてフレーズが、いかに空々しいものか。
それから硬い診察台に数時間、夜半にようよう病棟のベッドへ車椅子で移動する。
担当の看護師が「お迎えが遅くなってごめんなさいね」。
いくらか和らいだ頭痛だが時々襲う吐き気にうっとなりつつ、力なく首を横に振る。
「いつ死んでもいい」けど「苦しいのはヤダ」。
私の死生観なんてそんなものと知る。

病棟はおそらく女性用介護病棟(大部屋と二人部屋)と思われる。が、松葉杖青年もおり、その部屋だけ扉が閉められていた。同室キャリア女性は突発性難聴。何科なんて関係ない、ごたまぜで、共用トイレに汚物が付着していること数度だったのは高齢者がほとんどだからだろう。病棟がコロナにより逼迫、病床というより医療従事者(医師、看護師など)の不足であることは直ちに察知され、お迎えに待たされたのも当然と理解する。救急で診てくれた若い医師も研修医(上司に指示を仰ぐことが多かった)だろう。
点滴でかなり落ち着いた翌日の午後、にわかに騒がしい廊下、新たな患者が向かいの病室に入ったのだ。
「1・2・3ッ」「痛い!痛いよ、何すんだよ!」口々になだめる数人の声。
片言の男声、外国人患者か、と思う。
「お薬飲むから、口開けて。あーん。ほら、口開けて!飲んだ?」
夜、大きな物音に夜勤担当者が駆けつけ「何してんの!何してんのよ!」と叫ぶ。
男性と思ったのが、足骨折の102歳女性と知ったのは翌朝だ。
交代した看護師がゆっくり、一言一言大きな声ではっきり言う。
「○○さんはね、足、折っちゃったの。だからね、トイレ、いけないの。オムツにして大丈夫だから、オムツにしてね。」
「やだよ、そんなことできないよ。」押し問答の繰り返しののち。
「汚れたとこ、綺麗にするから、向こう向けるかな? 痛いよね、うん、そうそう、ありがとう。ちょっと冷たいけど、ごめんね。」
「熱いよ!」「ごめんね、これでどう?」
「○○さんは今日が誕生日?あ、違った?ごめんごめん。え?102歳?すごいねえ!」
痛いよ、やだよ、何すんだ。ごめんね、ごめんね、ありがとう。の間に挟まれるちょっとした言葉に、やがて少しずつ「会話」が成り立ってゆく。
こうした患者と向き合う時の音調は3つに分かれることを私は知った。
1. 強引説得型:強い声音で早口に、ことを運ぼうと試みる。幼児扱い、見おろす視線でピシャリ。
2. 威圧叱責型:管理不能な相手へ甲高い声で威圧叱責。
3. 会話引き出し型:相手に届くよう中音声でゆっくり、噛んで含めるような語りかけ。常に、ごめんね、ありがとう、を忘れない。

102歳は年中、ナースコールを押した。一度押すと対応がなされるまで、鳴り続ける。一度、大した用でもないのに押した私はそれを知り激しく後悔したが、「命」を預かる、これは頼み綱の一つなのだ。看護師が多忙な時間帯に、それは虚しくいつもまでも廊下に響き渡り、「誰かいないの!」の叫びに私は苛立ち、耳栓でしのぐ。ああ、まただ。同じことの繰り返し。「○○さんはね....。」
患者だけではない、誰もが何かに耐え、こらえ、傷む。
「ここに居る人たちはみんな、家へ帰れない方々ですから」とスタッフ。
夕暮れを迎える頃、3型の声に幾分の険しさが混じるのに気づく。
そりゃそうだろう....。
長いコロナとの闘いにあって、スタッフの疲弊が壁に、廊下に、カーテンにじっとりと沁み、よどむ。加えて響く、患者の悲鳴(もう一人、きいきい泣く人がいた)、叫声。
ニュース画面に見るのでない、その光景に打ちひしがれる。

命を、人としての尊厳を、守ること。
102歳がオムツを拒否するのは、それまで生きてきた自分の在りようから、それが受け入れられない行為だからだ。すなわち自尊。私の母も心臓発作での死の前日、自分で外して看護師を嘆かせた。他者の人格や自我を尊重するなど、介護の現場はお題目では済まない。それぞれの事情を抱える患者と向き合わねばならないそれぞれもまた、それぞれ固有の人格・自我を持つ人間だ。
「寄り添う」という言葉は美しいが、相手への「共感」「同調」に染まり過ぎれば身がもたない。晩年の母の繰り言、愚痴に胸が真っ黒になるのが嫌で、わかったわかった、もういいよ、と遮った自分を思うなら、私は母への共感同調による毀損を怖れ、遮断、拒否、自己防衛したのだ。
知り合いの精神科医に、「よく患者さんの辛い話、苦しい話ばかり聞いていられますね、おかしくなりませんか?」と問うたことがある。「プロですから。」と彼は言った。
適切な共感同調と適切な距離客観をコントロールする力。針がどちらに触れても、難しい。1. は強制支配へ、2. は虐待へ、あっという間に転がり落ちる。他でもない、私自身が、いつでも1.ともなり2.ともなり得るのだ。3. の維持は容易ではない。
その都度の臨機応変で、一つ一つの行為を敬意をもって丁寧に積んで行くこと。それだけが、「互いの尊厳」(自尊)を諾うことだと、病棟は教える。
それぞれの位置(立場)がどうであれ、本来、それが日々、人と人の関わりの姿であろうが、私たちの日常平常はそれを押し流し、やり過ごす。
「常に自分をコントロールしなきゃいけない。大変ですね。」。つぶやいた私に、「看護師もいろいろですからね。全然平気な人もいますし。」と、その日の担当者が応じた。
志とか適性とか経験値とか様々には言えるが、そうではなくて、社会のどんな領域にも多様な固有の「私」が生きているのであり、例えば1.や2.を批判、3.を賞賛することは、それぞれをグルーピング、ラベリングで雑駁に片付けてしまうことだ。
そうではなくて。
人が向き合い、関わりあうということは、刻々変化する動態流動であり、そこに交わされるどんな刺激も反応も行為も、実は固定された自己という基点は持たない。ノウハウ、最適解など、それを瞬時に生きたものとするに必須なのは生身の人間の、おそらく本能であり直観・交感の連なり、重なりなのだ。それらの混然たる蠢きが、その時のその場の空気を醸成し、例えば病棟というコミュニティを、社会を形成してゆく。
そしてその底流にあるものは、人の声。すなわち、声色、リズム、韻律。
悪にも善にも、闇にも光にもなるその声は、微妙微細にそれらを取捨選択、その都度の調べをまとう。
生きるということは、命尽きるまで一色一様ではなく、悪と善、闇と薄明の無数のゆらぎの狭間を、絶えざる落下に抗いつつ(水は低きに流れる)、何とか泳いで行くことなのだろう。
音楽・宗教の根源が、ここにある。

だがこんなのはいわば脳内観念論で、食も戻らず点滴のままに横たわり、繰り返されるやりとりにただ心身を喰まれ、早く逃げ出したい、が実際のところであった(収容してくれた病院、スタッフには深く感謝している)。

退院して最初に聴こうと思ったのはバッハ『マタイ受難曲』の《憐れみたまえ、我が神よ》だった。出だしのあの調べがずっと耳にあったから。
でも歌声が入った途端、違う、聴きたいのはこれじゃない、と止めた。
今は、声はいらない、欲しくない。
そうして以前、友人が教えてくれたM83 《Starwaves》soundtrackをひたすら流し、波間をゆらゆらと漂い続けた。

*   *   *

それにしても。
点滴に繋がれ、耳目を塞ぎつつ私が試みたのは「恋歌連作」だった。
俳句は季語があるから面倒だ。でも短歌は自由(に思える)。
恋に恋する年齢のあわあわ儚い初恋の、脳裏に浮かぶ幻燈から、暮色に染まる今現在まで、往還しつつとろとろと言葉で遊ぶ。そんな風にして、いくらでも歌は湧いてきた。
退院後、短歌相棒の孫娘に我が自信作を幾つか披露したら、彼女は言った。
「いつもの短歌とも違う感じでいいね。でも恋歌って意外と思い浮かびやすいよね。」
は? いくらでも湧いてきた...だけあって、確かにどこにでもあるある系だ。鋭い。
だけど、これが私を救ってくれたんだよ。
私が書くものは全て恋文、とかつて私は述べた(『私がものを書き始めたのは|恋文』)。
これから私が書くものは、全て恋歌になるんじゃないか。
恋というのは、「恋ふるこころ」で、それは消えない、壊れない。
何を「恋ふる」のか、それはいろいろ、その時々。
固定された自己、私という私、あなたというあなた、恋という恋、愛という愛などありはしない。
自分の中の「これだけは」と言える灯芯とは、実はそんなものではないか。

「見しことも見ぬ行末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中」
式子内親王
『前小斎院御百首』

(2021/10/15)