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アントネッロ 第14回定期公演|西村紗知

アントネッロ 第14回定期公演「El Siglo de Oro ~スペイン黄金世紀の音楽~」
Anthonello the 14th subscription concert “El Signo de Oro”

2021年9月11日 ハクジュホール
2021/9/11 Hakuju Hall

Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供:アントネッロ ©StudioLASP

<演奏>        →foreign language
濱田芳通(音楽監督/rec/cor)
中山美紀(S)
武澤秀平(gamb)
上羽剛史(cemb)

<プログラム>
バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデ:コレンテ&カンツォン第1番(rec, gamb, cemb)
バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデ:《愛の神でもできないはず》(rec, gamb, cemb, S)
フアン・イダルゴ:《アイ・ケ・シ、アイ・ケ・ノ》(rec, gamb, cemb, S)
バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデ:ファンタシア《騎士の歌》(gamb, cemb)
ホセ・マリン:《そんな風に考えないでおくれ、メンギージャ》(rec, gamb, cemb, S)
バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデ:カンツォン第4番(rec, gamb, cemb)
作者不詳:《そんなことを言うもんじゃない》(rec, gamb, cemb, S)
―休憩―
アントニオ・デ・カベソン:ディファレンシアス《騎士の歌》(cemb)
バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデ:バレット&カンツォン第3番(rec, gamb, cemb, S)
ホセ・マリン:《魂を持ち去ろうとするのは誰?》(rec, gamb, cemb, S)
エティエンヌ・ムリニエ:《鐘は鳴り響き》(rec, gamb, cemb, S)
ディエゴ・オルティス:レセルカーダ第2番《おお、幸福な我が眼》(gamb, cemb)
ホセ・マリン:《なんと優しい音を奏でるのだろう》&《両の目よ、なにゆえに私を蔑むのか》(cor, gamb, cemb, S)
アンドレア・ファルコニエーリ:パッサカリェ(cor, gamb, cemb)
フアン・アラニエス:《チャコーナの夜会は》[よき人生に乾杯](rec, gamb, cemb, S)
*アンコール
ホセ・マリン:《そんな風に考えないでおくれ、メンギージャ》(rec, gamb, cemb, S)※写真撮影タイム

 

勝手な言い訳から入って申し訳ないが、筆者は相も変わらず「古楽」というジャンルに対する認識の解像度が低い。いい加減きちんと勉強しないと、と思いつついつも後回しになってしまう。
今回足を運んだのは古楽アンサンブル・アントネッロの定期公演。17世紀のスペインの音楽がプログラムに並ぶ。
なんにも予習せずに来てしまった。古楽だから、なにかしら折り目正しいさっぱりした演奏を聞くことになるのだろうか、とぼんやりしていたら、予想を裏切るパフォーマンスに驚愕した。
火を吹くようなリコーダーの吹奏、艶めくヴィオラ・ダ・ガンバ、クールに全体を取りまとめるチェンバロ。バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデの「コレンテ&カンツォン第1番」。リコーダーは、息の音で音色全体がかすれてピッチが揺れてしまうのも厭わず、速いパッセージを力強く吹き切る。リコーダーがこういう大胆な表現をものにする楽器だとは思っていなかった。リコーダーとヴィオラとの掛け合いもあり。
器楽作品だけれども歌曲のように雄弁で、身振りの大きい情熱的なテノール歌手の歌唱を聴いているかのようだった。

舞台上で繰り広げられる熱いアンサンブル。肉感的な感覚があらゆる瞬間に行き渡っている。歌曲は歌詞の内容もあいまって非常に世俗で、感官に直接作用してくるようだ。《愛の神でもできないはず》。ソプラノにしては音域が低く、声も太くてどっしりしている。リコーダーの方が高い。曲調はすでにどこかビゼーらしくもある。

筆者のなかで、ジャンルが揺らいだ。
ホセ・マリン《そんな風に考えないでおくれ、メンギージャ》。GHCDからなる三連符のリズムのベースラインの反復から、なんとなしに、ブランデンブルク協奏曲の第三楽章のアレグロを彷彿とさせるようで、軽やかで可愛らしい曲。
対して作者不詳《そんなことを言うもんじゃない》は、よりポップス的。途中間奏でコルネットのソロが入る。チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバが同じコード進行を繰り返すその上で即興的に鳴るコルネットは、時折音割れをきたしながら、ほとんどジャズトランペットとも言いたくなるような色香を放っていた。
他にも、バルトロメ・デ・セルマ・イ・サラベルデの「バレット&カンツォン第3番」のリコーダーは、どこかフラッター奏法めいたところがあり、ケーナのようだ、とも思った。
この日の音楽を聴きながら、バッハ、ジャズ、ケーナ、ソウル、昭和歌謡など取り留めのないキーワードが頭の中を駆け巡った。クラシック音楽の下位分類としての古楽に、すなわちCDショップの隅の隅に追いやられた狭い棚には易々とは収まれない、そんな情動をたくさん感じたのだった。

どの曲もつくりが非常にシンプルで、コード進行が特に限られている。調性は基本的に長調で終わるものの、平行調の短調にくるりと調が変わるようなことでもあると、心の空隙に寂寥の感が入り込んでくる。曲の素朴さもあいまって、さびしい。
特に、チェンバロ独奏曲のアントニオ・デ・カベソンの《騎士の歌》、チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバのデュオ曲ディエゴ・オルティスの《おお、幸福な我が眼》がそうだった。リコーダーやソプラノが抜けた途端に、そもそもの音楽の本性が、基本的にはさびしいのだというその本性が露呈するのが、興味深かった。

そうこうするうちに、あっという間に演奏会が終わってしまった。
アンコールでは写真撮影タイムも兼ねて《そんな風に考えないでおくれ、メンギージャ》が再び演奏され、観客は演奏会の終わりを惜しむように、めいめいスマートフォンで写真を撮っていた。

この日感じたのは、あるいは、音楽の理想郷だったのかもしれない。いつのまにやらジャンルとして分かれ分類され、管理されるようになった音楽の、そうなる以前の純真無垢な姿を、その姿を夢見ることを、筆者は確かに共有した。

(2021/10/15)

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<Artists>
Yoshimichi Hamada(director/rec/cor)
Miki Nakayama(S)
Shuhei Takezawa(gamb)
Tsuyoshi Uwaha(cemb)

<Program>
Bartolomé de Selma y Salaverde:Corrente & Canzon prima(rec, gamb, cemb)
Bartolomé de Selma y Salaverde:No puede amor(rec, gamb, cemb, S)
Juan Hidalgo:Ay que si, ay que no(rec, gamb, cemb, S)
Bartolomé de Selma y Salaverde:Fantasia sobre el canto del caballero(gamb, cemb)
Jose Marin:No piense Menguilla ya(rec, gamb, cemb, S)
Bartolomé de Selma y Salaverde:Canzon quarta(rec, gamb, cemb)
Anónimo:No hay que decir(rec, gamb, cemb, S)
―intermission―
Antonio de Cabezón:Diferencias sobre el canto del caballero(cemb)
Bartolomé de Selma y Salaverde:Baletto & Canzon terza(rec, gamb, cemb, S)
Jose Marin:Que se lleva las almas(rec, gamb, cemb, S)
Étienne Moulinié:Repicavan las campanillas(rec, gamb, cemb, S)
Diego Ortiz:Recercada segunda sobre O felici occhi miei(gamb, cemb)
Jose Marin:Que dulcemente suena & Ojos, pues me desdeñáis(cor, gamb, cemb, S)
Andrea Falconieri:Passacalle(cor, gamb, cemb)
Juan Arañes:Un sarao de la chacona[A la vida bona](rec, gamb, cemb, S)