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周防亮介(ヴァイオリン)パガニーニ&シャリーノ、2つのカプリース|秋元陽平

周防亮介(ヴァイオリン)パガニーニ&シャリーノ、2つのカプリース
Paganini and Sciarrino, Two Caprices / Suho Ryosuke Recital

2021年8月6日 トッパンホール
2021/8/6 TOPPAN HALL
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by 大窪道治/写真提供:トッパンホール

<Program>
パガニーニ:
《24のカプリース》Op.1
第1番 ホ長調/第2番 ロ短調
シャリーノ:《6つのカプリース》第1番
パガニーニ:《24のカプリース》Op.1
第3番 ホ短調/第4番 ハ短調/第5番 イ短調
シャリーノ:《6つのカプリース》第3番/第2番
パガニーニ:《24のカプリース》Op.1
第6番 ト短調/第7番 イ短調/第8番 変ホ長調/第9番 ホ長調/第10番 ト短調/第11番 ハ長調/第12番 変イ長調/第13番 変ロ長調
シャリーノ:《6つのカプリース》第5番
パガニーニ:《24のカプリース》Op.1
第14番 変ホ長調/第15番 ホ短調/第16番 ト短調/第17番 変ホ長調
シャリーノ:《6つのカプリース》第4番
パガニーニ:《24のカプリース》Op.1
第18番 ハ長調/第19番 変ホ長調/第20番 ニ長調/第21番 イ長調/第22番 へ長調/第23番 変ホ長調
シャリーノ:《6つのカプリース》第6番
パガニーニ:《24のカプリース》Op.1 第24番 イ短調
<Cast>周防亮介(Vn)

 

パガニーニやリストの作品に顕著であるように、19世紀ロマン主義の相関物としてのヴィルトゥオジティ(超絶技巧)は、演奏家に試練に立ち向かうヒロイズムを要求する。周防亮介はこのソロ・リサイタルで、主人公の栄光と孤独を演じるに相応しい器を、とくにその独特の気高く鳴り渡る音色によって示した。決然と奏でられる和音はソリストの気迫充分だ。演奏家の緊張を共有する観客は、この決め所で放たれるffの、ホールに豊かに鳴り渡る堂々たる響きを聴くたび、大きな開放感を味わう思いだ。

ところで、パガニーニとシャリーノを同時演奏するという試みに内在的につきまとう問いがある。それは、西洋近現代音楽における技巧性、それがもたらすヒロイズムとは何か?という問いだ。まず、目にもとまらぬ早弾きや音高の著しい変化が生み出す、一聴して複雑さ、演奏の困難さが理解できる魅力がある。私を含め少なからぬ数の聴衆がヴァイオリンでパガニーニを実際に演奏した経験をもたないのだから、「演奏の困難性」は、知識上のものであるか、あるいは他のヴァイオリニストの失敗を耳にしたことから類推されている。フィギュアスケートで3回転半を飛んだことがない人が、テレビスクリーンを眺めつつ成功を祈るように、わたしたちはかりそめの「ヴァイオリンを弾く身体」をシミュレートし、驚嘆するわけだ。

他方で、音響それ自体はそれほど耳を驚かすものではない場合もある。曲そのものの壮麗さで知られるパガニーニのカプリースにおいても、たとえば12番では、ピアノで弾けば難しく聞こえないフレーズが、実際にはひとかたならぬ技巧によって支えられている。この後者のヴィルトゥオジティには、技巧性と「余裕」の結びつきが見いだせる。つまり、いとも簡単に弾きこなしているようで、見るものが見れば綱渡りをしているということになる。西洋音楽史を演奏テクニックの観点から考える上でこのことは興味深い。現代音楽の作品は、技巧の上ではまぎれもなく要求の高い作品に事欠かないが、たとえばベリオやファーニホウの独奏曲にやどるヴィルトゥオジティは、パガニーニ的な19世紀的ヴィルトゥオジティとは明らかに性質が異なっている。これらの現代的な技巧性が、身体的な「限界」への接近をとおして音楽に緊迫感を与えることはたしかだとしても、それらをあたかも簡単であるかのように弾いて喝采されることはさして重要ではないだろう。それに対し、パガニーニ作品においては、その「余裕」のなかに主人公の裁量が生まれ、また聴衆を微笑ませる茶目っ気が宿りうる。

ソロリサイタルではよく経験することだが、周防の場合、その「余裕」が、演奏会の過程で徐々に花開き、それにつれて音色は艶をましていった。滑り出しは聴き手としても緊張するものだ。ややこわばっているように思われた冒頭数曲を経て、第5番あたりから、「鳴らしどころ」の勘所を押さえた素晴らしい瞬間に思わず聴き入る回数が増えていく。有名曲も良いが、たとえば7番、10番のスタッカートや早弾き、14番の重音といったテクニカルな部分のただなかでもその雅な音色が揺るがず発揮され引き込むものがある。とにかくひたむきに高峰にのぞむといった趣きであって、それゆえに、その真摯さが、シャリーノ作品にたいへんな迫力を与える。なかでも2番のハーモニクスが生み出す蜃気楼は息を吞む美しさだ。シャリーノは、パガニーニが用いなかったハーモニクスを使って、いわば19世紀的な、人間的、ショービジネス的なヴィルトゥオジティを素材に、あえて「人間なし」でカプリースの裏世界を描き出したのではないか。周防の気迫はそれに大変よく呼応していた。「高み」への志のみならず、パガニーニ作品のツィガーヌ的な民俗性や、書法の対比がもたらす遊びの部分で、もうすこし俗っぽい、手品師的なサービス精神によってそれらと戯れて見せるところも見てみたかったが、若くしてこれだけの美音とテクニックをそなえているのだから、とくにパガニーニのカプリースを次に弾いたときには、経験の分だけ19世紀のヴィルトゥオジティを輝かせる余裕と遊びがさらに増していくことは確実だろう。こうした定点観測はきっと、すぐれたヴァイオリニストが弾くときには、この作品が尽きない泉となるということを示してくれる。

(2021/09/15)

<Program>
Paganini: 24 Capricci Op.1
Sciarrino: 6 Capricci
<Cast>
Ryosuke Suho(Vn)