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沢知恵、りゅうりぇんれんの物語 (詩: 茨木のり子)|大田美佐子

りゅうりぇんれんの物語 (詩: 茨木のり子)
沢知恵 (曲、歌、ピアノ)
The Story of Liu Lianren (Poem by Noriko Ibaragi)
Sung and played by Tomoe Sawa (comp., vo. & piano)

2021年7月9日(金) ガンツ・トイトイトイ(大阪)
2021/7/9 Ganz, toi toi toi (Osaka)
Reviewed by 大田美佐子 (Misako Ohta)

 

沢知恵の「りゅうりぇんれんの物語」を聴いた。場所は大阪北区西天満のライブハウス、ガンツ・トイトイトイ。移転前のラストステージに、沢自身がこの作品を選んだという。

「りゅうりぇんれんの物語」は、詩人の茨木のり子が史実に基づいて編んだ長編叙事詩である。実は、私は沢知恵の歌をライブで聴くのは今回が初めてだった。彼女が歌手として研究者として、ハンセン病療養所に寄り添う音楽活動を通して研究論文を完成させたのを知り、いつかゆっくり話が聞いてみたいと思っていた。しかし、晩年の茨木のり子さんに直接連絡をとり、「りゅうりぇんれんの物語」をライフワークとして歌っていたことなど、今回の演目の詳細については知らずに、そのタイトルに突き動かされ、白紙の状態で足を運んだ。

「りゅうりぇんれん」とは劉蓮仁さんのこと。第二次世界大戦中の1944年、日本軍によって強制連行され、山東省から青島港を経て、北海道の炭鉱で過酷な労働に従事させられた。終戦間際に脱走し、終戦を知らず14年の歳月、極寒の北海道で逃亡生活を送った。1958年に保護され、中国に帰国後、別れた時には新婚で身重だった妻と再会し、青年に育った息子に出会う。ここまでの経緯が茨木のり子の詩で書かれている。

この物語がどう音楽として表現されるのか..。真っ新な状態の私に飛び込んできた音楽は、故郷の民謡を想わせるアジアの響き、内なる叫びを押し殺しつつ不安な状況を物語る三つのコード、駆けても駆けても目的地には届かない劉さんの足取りの重い逃亡を表す三連符のモチーフ、そして汽笛などのごくごく限られた音響効果。この「詩」の凛とした言葉の重み、その格をしっかり受け止めた沢知恵の声は率直で、伸びやか。物語は裏切りから始まり、強制労働の残忍さと逃亡の過酷さが浮き彫りになる展開だが、劉さんの望郷の心に差すわずかな光を感じさせる優しい歌声、その絶妙に抑制した弾き語りの叙事的な表現は、詩とはまた異なる次元の音楽だからこその表現と感じ、圧巻としか言いようがなかった。

芝居でも詩の朗読でも歌とも括れないこの作品の魅力はどこからきたのか。詩人茨木のり子のルーツは戯曲への関心にあり、脚本も書いていたという。一切媚びることのない淡々としたこの告発の詩は、闘う叙事詩としてブレヒトとの繋がりをも想起させる。そして、その言葉を生かす沢の音楽から感じた姿勢は、「言葉に出会い、想像を飛翔」させ、「音楽のかたちを探す」と言った作曲家、クルト・ヴァイルの職人的な音楽家の姿にも重なった。

「りゅうりぇんれんの物語」には、過酷な後日談と現実がある。日本と中国は終戦から1972年まで正式な国交がなかったため、訴訟もままならず、日本に対する訴訟半ば、劉さん本人は2000年の9月に87歳で亡くなってしまった。救いなのは、劉さんのことを今の日本に語り継ぐ活動をしている人々がいることだ。戦争は国家間の問題でも、つねにそこで犠牲になるのは一人一人の生身の人間。そして、いつの間にか、個人の人生をかけた声はかき消されていってしまう。沢知恵が休憩なし80分の「りゅうりぇんれんの物語」を歌い、語り終わった時、劉さんの14年を共に旅した私は、終わりが見えてこない深い歴史の問いが投げかけられたような思いに駆られた。多くの人に聴いてもらいたい。

(2021/8/15)