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プロムナード|真夏の挽歌|大河内文恵

真夏の挽歌

Text by 大河内文恵(Fumie Okouchi)

ジョスカン・デ・プレ

今年没後500年を迎えるルネサンスの大作曲家ジョスカン・デ・プレが残した幾多の名曲のなかで、私が最も好きな曲の1つが《ヨハネス・オケゲムの死を悼む挽歌》。

ジョスカンとオケゲムに師弟関係があったかどうかについては、決定的な証拠が見つかっていないために推測の域を出ないのだが、実際に師弟関係にあったかどうかは別として、ジョスカンがオケゲムに対して並々ならぬ敬意をもっていたことは、この曲の譜面から明らかだ。すなわち、当時白色記譜法が主流であったにもかかわらず、書きかたを工夫することによって楽譜全体が黒い音符で埋められており、弔意が込められていることが一目でわかるようになっているのだ。

譜面に込められた弔意は、耳で聴いたときにはわからないが、それでもこの曲を聞くといつも、かけがえのない大切な人をうしなった喪失感と言い知れぬ悲嘆の思いの溢れるさまが聞こえてくる。

おそらく一般的には、うしなった人との関係が近いか遠いかと、喪失感の大きさとは相関関係があるのだろうが、それに関係なく深い哀しみに沈んでしまうこともある。その1つが偉大な才能をうしなったときだろう。2021年4月30日~6月18日まで放送されたTVドラマ「あのときキスしておけば」は、一見単純な入れ替わりドラマのようでいて、傑出した才能の喪失への一種の空想的解決をしめした。

スーパーの青果担当として働く桃地のぞむは、とあるきっかけで自分が愛して止まない漫画「SEIKAの空」の作者である蟹釜ジョーこと唯月巴と知り合う。恋愛関係になりそうなタイミングで2人は沖縄旅行に出かけるが、その途上で飛行機事故に遭い、唯月は亡くなる。ところが、唯月の魂は隣に座っていた田中マサオの身体に宿り、亡くなったはずの蟹釜ジョーが田中マサオの身体で「SEIKAの空」の続きを書き始める。

唯一無二の才能、蟹釜ジョーは、田中マサオの身体を持て余しつつも、「SEIKAの空」を書き続けるために徐々に状況に順応し、桃地をはじめ周りの人々も蟹釜ジョーの存在を時間をかけて認めていく。しかし田中マサオの魂が田中マサオの身体に時折戻ってくるようになって、蟹釜ジョーは自分がいずれ消える存在であることを自覚するようになる。やがて「SEIKAの空」の最終回を書きあげ、蟹釜ジョーは消えていく。

そういう年代になったのだと言われればそれまでだが、最近、若い頃にお世話になったかたの訃報に触れることが多い。天寿を全うされたならまだしも、そんな年齢ではないのに亡くなられるのは結構ダメージが大きい。そんななか、数か月前にとある学会の会報の逝去会員の欄に同年代の研究者の名前をみつけて呆然とした。何かの間違いではあるまいかとあれこれ調べてみたが、researchmapに2021年没という文字列をみつけてしまったので、これ以上疑うことはできない。

彼女とはその学会の懇親会で、ある人(彼も故人)に「絶対話が合うから」と引き合わされた。文学の研究者である彼女とは、ジャンルとしての研究分野は異なるのだが、私の研究対象としているJ.A.ハッセと同じ時代の台本作家P. メタスタジオの研究をしており、最初に会ったときにお互い「日本にメタスタジオの研究者がいたなんて!」「日本にハッセの研究者がいたなんて!」と驚きあったのだった。

それからメールの遣り取りや情報交換をし、会えば話がいつまでも弾んで時間を忘れることもしばしばだった。ハッセのオペラの多くはメタスタジオの台本に基づくもので、研究のフィールドが近いということもあるが、彼女が弾丸旅行でヨーロッパまで観に行くほどのバロック・オペラ好きで、学問上だけでなく興味のありどころが近かったことも大きい。常勤職をもつ大学教員だった彼女が非常に多忙だったこともあり、ここ数年はメールの遣り取りなどもあまりしておらず、たまにどこかで偶然会った時に弾丸トークをするくらいになってはいたが、逆に彼女にはいつでも会えると思って、積極的に連絡を取っていなかったことが悔やまれる。

もうメールでちょっとした相談をしたり、会って話をすることもできないという寂しさもさることながら、永遠に彼女の新しい論文を読むことができないという喪失感が大きい。以前、メタスタジオの台本の日本語訳を出版して欲しいと頼んだことがあった。彼女は、今は忙しくて無理だけれど、退職したらやってもいいよと言ってくれたので、いつかその日が来るのをずっと楽しみにしていた。もうその夢が叶うことはない。誰かの身体のなかに入り込んで、やり残した仕事をやってくれるなんてことはないだろうかと、叶わないとわかっていてもつい夢想したくなる。

ジョスカンのように挽歌を作曲する才能を持たない私に何ができるだろう。真夏の暑さで溶けそうな脳味噌を振り絞って考える日々が続いている。

 (2021/8/15)