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川口成彦(フォルテピアノ) ―ショパンをめぐる旅|秋元陽平

川口成彦(フォルテピアノ) ―ショパンをめぐる旅

2021年7月17日 トッパンホール
2021/7/17 TOPPAN HALL
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by 大窪道治/写真提供:トッパンホール

<曲目>        →foreign language
オネゲル:ショパンの思い出
ショパン:
《24の前奏曲》第1番 ハ長調 Op.28-1/ポロネーズ第4番 ハ短調 Op.40-2/夜想曲第10番 変イ長調 Op.32-2/《24の前奏曲》第20番 ハ短調 Op.28-20/《24の前奏曲》第21番 変ロ長調 Op.28-21/夜想曲第2番 変ホ長調 Op.9-2/《24の前奏曲》第22番 ト短調 Op.28-22/バラード第2番 ヘ長調 Op.38
シューマン:ショパンの夜想曲による変奏曲
ショパン:
マズルカ第31番 変イ長調 Op.50-2/《24の前奏曲》第14番 変ホ短調 Op.28-14/《24の前奏曲》第15番 変ニ長調 Op.28-15〈雨だれ〉/幻想即興曲 嬰ハ短調 Op.66
プーランク:夜想曲第4番 ハ短調〈幻の舞踏会〉
モンポウ:ショパンの主題による変奏曲
使用楽器:プレイエル(1843年製)、ヴィンテージ・スタインウェイ(1887年製)[タカギクラヴィア所蔵]

<出演>
川口成彦(フォルテピアノ)

 

ピリオド楽器による演奏には、しばしば真正性の神話がつきまとう。時代考証に基づいた楽器の選定は、作曲家が想定した「真の」演奏に漸近するというわけだ。ところが、もちろんこれだけがピリオド演奏の要ではない。アーノンクールの指摘を俟つまでもなく、古い楽器はその時代に特有の語調をもっており、その語調をともなわなければできない発話の次元がある。語ることは、会話であれ物語であれ、ただの再現ではなく、つねに演奏者の自由闊達ぶりからそのみずみずしさをくみ上げる。この点、川口成彦は快活に、吟遊詩人がお気に入りの竪琴を選ぶようにしてピリオド楽器を選んでいるようだ。ピリオド演奏は彼にとって、自らの表現のためのごく自然な成り行きなのだと思わされる何かがある。一聴して驚くのは、川口が、楽器から出る全体の響きのバランスをオーケストラの指揮者のように微細に調整していることだ。古い楽器の調べが暖かく懐かしい響きがする、アルカイックだなどというのは容易い。だが、彼の演奏する1843年のプレイエルは、その独特の暖かみだけでなく、意外なことに、その迫力においてはモダン楽器にも劣らないffをひびかせる。それでいて、かなり多くの音がペダルで重なった状態でも全体が潰れたり、みだりに唸ったりすることなく、響きがほどよく調和したままプラトーに達するのだ。スタインウェイのほうも、モダン楽器のきらびやかな音よりもずっとトーンの落ち着いた、運動性能も申し分ない実に魅力的な楽器である。

ところで、この公演は「ショパンをめぐる旅」と銘打ってあるが、ショパンというテーマを厳格に掲げて、芸術家フレデリックの心の内奥にじっくり接近していくというよりはむしろ、サロンの生き生きした即興的な空気のなかで、さまざまな人の目にうつったショパン氏のポートレートを次々(殆どアタッカで)とりだしていくような楽しみがある。ひとつには、プログラムにオネゲル、シューマン、プーランク、モンポウといった作曲家のオマージュを取り入れたこと、もうひとつには、川口自身の語り口が、作品をその場で泡立てていくような敏活な機知に満ちていることがその印象をもたらしている。一連のオマージュについて言えば、ショパンらしいアラベスクな装飾音符や、マズルカめいたフレーズを巧みに取り入れても、やはり誰もショパンの代わりになれない、と思わされる(もっともプーランクなどははじめから完全に彼自身のままであった)。もちろん、作曲家の側もそんなことを目指しておらず、その本物との距離の面はゆさこそがオマージュの証となる。この距離に引き立てられる形で、ショパン「本家」の作品の、他人から見た「ショパンらしさ」に留まらない妙味が、美の水先案内人(チチェローネ)となった川口に導かれますます感じ取られるというのがこのプログラムの楽しみどころだ。際だって有名な演目(「幻想即興曲」や変ホ長調のノクターン)では、川口は耳の肥えたサロン客が飽きないようにというサービス精神すら感じさせる即興をいっそうふんだんに交えていく。なかでも私は、右手の単旋律のまろやかな響きから、低音部フォルテの重く震わせる荘厳さまで、プレイエルのさまざまな音高の色調をじっくりと味わえた「雨だれ」を推したい。モンポウは盛り上がりを随所に備えピアニズムという点で魅せ所は多いが、やはりフィナーレにはショパンの作品を持ってきたほうがよかったのではないかと感じる。

このような即興性は、19世紀に盛んだったサロンコンサートの活写という意味では、真正性の公準に照らしても興味深いものである。親密な空間のなかで発揮される自発性こそがパッセージを輝かせ、そのなかでしか見えない音楽の実態というものがあるからだ。同時に、ショパンの作品にはどこかそうしたパリのアレグロな社交界 Monde に浸りきらない孤独の陰、即興性がそのまま構築性につながっているような奥の深さがある。単一作曲家のコンクールがこれだけ多くの人間の耳目と捉え、モダン・ピアノでショパンの「作品」解釈が十人十色に展開されるのも、社交的洗練に支えられつつもそれに回収されない孤独な内面を聴くものに想定させるという逆説がショパン作品に凝縮されているからだろう。その意味では、次の機会には、プログラム構成やアプローチも含めてその陰にじっくり入り込むような演奏会も聴いてみたいと思わされる。そのような表現の振幅をそなえたピアニストであるということが感じ取れたからだ。

(2021/8/15)

 

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<Program>
Honegger: Souvenir de Chopin
Chopin: “24 Préludes” No.1 in C major Op.28-1 / Polonaise No.4 in C minor Op.40-2 /
Nocturne No.10 in A flat major Op.32-2 / “24 Préludes” No.20 in C minor Op.28-20 /
“24 Préludes” No.21 in C flat major Op.28-21 / Nocturne No.2 in E flat major Op.9-2 /
“24 Préludes” No.22 in G major Op.28-22 / Ballade No.2 in F major Op.38
Schumann: Variations on a Nocturne of Chopin
Chopin: Mazurka No.31 in A flat major Op.50-2 / “24 Préludes” No.14 in E flat minor Op.28-14 /
“24 Préludes” No.15 in D flat major Op.28-15 ‘Raindrop’ / Fantasy-Impromptu in C sharp minor Op.66
Poulenc: Nocturne No.4 in C minor ‘Bal fantôme’
Mompou: Variations on a Theme of Chopin

<Cast>
Naruhiko Kawaguchi (Fortepiano)