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Dieterich Buxtehude Membra Jesu nostri|大河内文恵

Dieterich Buxtehude Membra Jesu nostri
2021年7月2日 日本福音ルーテル東京教会
2021/7/2  Japan Evangelical Lutheran Tokyo Church

Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
写真提供:ブクステフーデ事務局

<出演>        →foreign language
ソプラノ:中山美紀、望月万里亜
アルト:久保法之
テノール:中嶋克彦
バス:渡辺祐介

ヴァイオリン:荒木優子、佐々木梨花
ヴィオローネ:布施砂丘彦
テオルボ:瀧井レオナルド
オルガン:荒井牧子
ヴィオラ・ダ・ガンバ:鬼澤悠歌、深沢美奈、福沢宏、水野翔子、山縣万里

<曲目>
ブクステフーデ:ミサ・ブレヴィス(BuxWV 114)
        チャッコーナ イエスの思い出は優しい(BuxWV 57)
        チャッコーナ 神の僕たち、主を賛美せよ(BuxWV 69)
        平和の君主、主イエス・キリストよ(BuxWV 20)

~休憩~

ブクステフーデ:私たちのイエスのお身体(BuxWV 75)

 

コロナ禍は芸術・文化に大きなダメージを与えたけれども、コロナ禍だからこそ生まれるものもある。それを実感した演奏会だった。

種明かしはコンサートの最後にされた。この演奏会は、コロナによって演奏する機会が次々と消え、家に籠って練習を続ける日々を送っていた望月が、誰かと一緒に演奏したいという一念で声をかけ、集まった仲間たちと作り上げたものだという。

なるほど、あちこちで名前を見かける人ばかりだが、この組み合わせが今までなかった理由が腑に落ちた。奏者・歌手ともに実力のある人たちの集まりなのだが、前半はどこかしっくりこない感じが付きまとった。おそらく何度も合わせはしたのだろうが、呼吸が今一つ合っていない。

そのなかで、テオルボの瀧井が入ると、点と点、線と線とをつなぎ合わさって音楽にまとまりが出てくる。空中に漂っている色とりどりの糸を集めて1枚の布を織っているかのように。オスティナート・バスをもつチャッコーナはまさに瀧井の得意とするところで、彼の織り成す低音が要となって曲全体を支えていた。

ブクステフーデの名前はよく知られているが、実際に演奏されるのはオルガン曲が大半で、とくに日本では彼の声楽曲が演奏されることは稀である。しかしながら、その中でも比較的演奏機会がみられるのが、後半に演奏された《私たちのイエスのお身体》である。ブクステフーデの声楽作品のなかでは最も多く録音されている作品の1つであり、筆者は聞けていないが、日本でも2014年に別の団体が演奏している。

《イエスのお身体》が始まると、録音が多いことに合点がいった。前半4曲にも佳曲が並んだが、曲そのものの存在感が圧倒的に違うのだ。この作品は大きく7つの部分に分かれており、足、膝、手、脇腹、胸、心、顔とヒトの身体の下から上へと辿るかたちになるのは、イエスの身体の各部位へ呼びかける構成になっているからである。そして、各部分が4~5曲から構成されている。1曲目は「ソナタ」と題した器楽曲で、独唱・重唱・合唱などさまざまな編成の声楽曲がつづく。

悲しみと嘆きをベースにした受難曲とは異なり、祈り、感謝、賛美に彩られたこの作品は、静謐で重厚な響きのなかにもある種の明朗さがある。第1部の冒頭のソナタはまさにその典型であると演奏から感じられた。第3部のソナタではテオルボが主要な役割を果たす。この部分のアリアで、高音域の透明感が持ち味の中山が中音域でも魅力的な音色をもつことに気づかされた。アルト・テノール・バスの重唱をへて、最後のトゥッティで「どうしてこれらの傷が あなたの手にはあるのですか」(梅津教孝による対訳より)と、感謝・賛美から現実に目を向けたときの限りない絶望と深い悲しみが歌われたとき、その悲しみの深さが胸に迫ってきた。

今回アルトは女声ではなくカウンターテナーの久保によって歌われたが、とくに第5部のアルト・テノール・バスの重唱~アルトのアリア~テノールのアリアの流れが秀逸だった。それは第5部の最後、アルト・テノール・バスの重唱の一番最後の言葉Dominus(主)を発する慈しみの深さとも呼応していた。

第6部はヴィオラ・ダ・ガンバ5本とテオルボとオルガンによって奏される。この編成はテオルボとヴィオローネを交換すれば前半の3曲目(BuxWV69)と同じである。冒頭のソナタはヴィオラ・ダ・ガンバのみで奏され、付点のついた少しリズミックな音型に救われたような気持ちになった。この部の最後を締めくくるcor meum(私の心)という言葉の儚さ脆さを音にしてみせたソプラノとバス、圧巻である。

第7部は「顔」そのものではなく、顔に代表されるイエス全体について語り、救い主があらわれることを願うもの。いまコロナ禍で厳しい状況にある私たちに、なにかはまだわからないけれど、何らかの希望がきっとあらわれると信じさせてくれるような演奏に、こころが浄化されたように思えた。

コロナ禍をきっかけにうまれたこの団体、第1回の演奏会は終了したが団体名はまだないという。いずれ名前を得、その名前がどう成長していくのか、この眼で見届けたい。

(2021/8/15)

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Players:
Miki NAKAYAMA(soprano)
Maria MOCHIZUKI(soprano)
Noriyuki KUBO(Alto)
Katsuhiko NAKAJIMA(Tenor)
Yusuke WATANABE(Bass)

Yuko ARAKI(violin)
Rika SASAKI(violin)
Sakuhiko FUSE(violone)
Leonardo TAKII(Theorbo)
Makiko ARAI(organ)
Haruka ONIZAWA(viola da gamba)
Mina FUKAZAWA(viola da gamba)
Hiroshi FUKUZAWA(viola da gamba)
Syoko MIZUNO(viola da gamba)
Mari YAMAGATA(viola da gamba)

Program:
Dieterich Buxtehude: Missa brevis(BuxWV 114)
            Ciaccona Jesu dulcis memoria(BuxWV 57)
            Ciaccona Laudate, pueri, Dominum(BuxWV 69)
            Du Friedefürst, Herr Jesu Christ(BuxWV 20)

–intermission—

Dieterich Buxtehude: Membra Jesu nostril(BuxWV 75)