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Pick Up(2021/7/15)|濱田芳通「笛の楽園」ヤコブ・ファン・エイク作品集|大河内文恵

濱田芳通「笛の楽園」ヤコブ・ファン・エイク作品集
リコーダー連続演奏会2021 vol.1リコーダー&ピアノによるインプロビゼーション

Yoshimichi Hamada plays Jacob van Eyck “Der Fluyten Lust-Hof” vol. 1 Improvisation by Recorder & Piano
2021年6月30日 ムジカーザ
2021/6/30 Musicasa

Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
写真提供: 古楽アンサンブル ≪アントネッロ≫

<演奏>        →foreign language
濱田芳通:リコーダー、コルネット
黒田京子:ピアノ

<曲目>
J. ファン・エイク : 「笛の楽園」第1集・第2集より
           前奏
           天に坐す我らの父よ
           サラバンダ
           戦争の詩篇 第68番
           ああ、眠りよ、甘き眠りよ
           詩篇 第33番
           賑やかし
           美しき娘ダフネ

~休憩~

           マリア讃歌[ピアノ・ソロ]
           前奏
           かつての私はそうしていた
           イギリスのナイチンゲール
           キットのアルマンド
           王子たちは願いを持っているけれど
           ファンタジア
           道化師
           気狂いシメン

[ アンコール曲 ]
オーネット・コールマン:淋しい女

 

人間ひとりの身体は、60兆(37兆という説もあり)の細胞からできているという。コンサートが始まった途端、すべての細胞が活性化しはじめたような感覚に襲われた。眠っていた細胞は叩き起こされ、ぼーっとしていた細胞もゆるゆる動いていた細胞も俄かになんだかわからないけれど踊りだす。

目の前の音楽と自分自身の反応と、二重の驚きが降ってきた。どこまで信じてよいのかわからないが、あるテレビ番組の「皮膚は0番目の脳」という特集で、皮膚には、耳でなくても“音”を聞く感覚が備わっているというのを見たことがある。まさに耳だけでなく、全身の皮膚で音楽を聴いている感じ。これはライブでしか味わえない感覚である。配信で聴くときには、空気の振動を皮膚で直接感じることはできない。

「笛の楽園」シリーズは、昨年企画されたもののコロナ禍で延期になり、今年の5月11日に第1弾、18日に第2弾、25日に第3弾と変更された。18日と25日は予定通りおこなわれたが、緊急事態宣言期間にかかってしまった11日のみ再延期となり、会場も豊洲シビックホールからムジカーザに変更して開催された。

リコーダーは、古楽器でありながら現代楽器でもあるという特殊性をもつ。日本の小学生が必ず音楽の時間にリコーダーを吹くというだけでなく、古楽器のなかでも現代曲が多いという意味でも古くて新しい楽器である。話が逸れるが、7月期のテレビドラマで大ヒットした「大豆田とわ子と三人の元夫」では、劇伴のなかにリコーダーを使った曲があり、このドラマの味わいに一役買っていたのも記憶に新しいところである。

話を戻そう。リコーダーの現代曲を演奏するのと、リコーダーの古典作品を現代的に演奏するのとでは、どこが違うのだろう?とコンサートのあいだずっと考えていた。古典作品をジャズ・アレンジで演奏することは、バッハやベートーヴェンなど誰もが知っている曲ではよくおこなわれることである。クラシック(とここでは敢えて言う。この言葉は本来あまり使いたくはないのだが)の愛好者とジャズ・ファン、両者に向けて間口が広がるメリットがある反面、「バッハへの冒涜だ」などと拒否反応がおきてしまう危険性も併せ持つ。

ファン・エイクならそうはならないか?おそらく「笛の楽園」をよく知る人ならば、音価の長い冒頭からmodo2、modo3と進んでいくにしたがって音価が短くより即興的になっていく構成をもつ曲から、即興性と容易に結びつくことに首肯するだろう。だが、その仕組みを知らずにリコーダーの演奏会だと思って来てしまった人は戸惑ったかもしれない。

ジャンルを跨ぐということは、裾野を広げる一方で、元のジャンルの反発を招く危険性と常に隣り合わせとなる。元ジャンルを超えるアレンジは一切罷りならぬという強硬派でもなければ、ある程度は許容されるとして、はて?ある程度とはどの程度だろうか。

濱田はフラッターのほか、窓を押さえて吹いたり、頭部管だけで吹いたりと特殊奏法を駆使しており、黒田もクラスターなど現代的な奏法も使っていたが、いわゆる前衛音楽で使われるような耳を覆いたくなるような音色は慎重に避けていたように思う。

その境界線が企画当初からの既定路線なのか、コンサート当日のあの場での結果論なのかはわからないが、上手く考えられた落としどころだと感じた。日程の都合上、第2弾と第3弾は聴くことができなかったのだが、このインプロビゼーションの回が、最終回となり、しかもムジカーザでおこなわれたことは、結果的に良かったのではないかと思う。

もちろん、場所に合わせてプランを練り直した可能性もあるのだが、ムジカーザがまるでブルーノート東京になったかのような錯覚をおぼえたのは筆者だけではあるまい。さすがに踊りだすわけにはいかないが、小刻みにノッて聞いている観客をちらほらみかけた。

近年若手のなかにも自分で企画を立てて演奏会をおこなう古楽器奏者が増えてきつつあるが、濱田がその先駆者のひとりであることは間違いない。黒田との邂逅でさらにパワーアップした濱田が次は何を仕掛けるのか。目が離せない。

(2021/7/15)

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Player:
Yoshimidhi HAMADA: recorder, cornet
Kyoko KURODA: piano

Program:
Jacob van Eyck “Der Fluyten Lust-Hof”:
Preludium of Voorspel
Onse Vader in Hemedryck
Sarabanda
Psaume 68 des Batailles
O Sleep, o zoete sleap
Psalm 33
Bravase
Doen Daphne d’over schooner Maeght

–pause–

D’Lof-zangh Marie
Preludium
Ick plach wel in den tydt voor dezen
Engels Nachtegaeltje
Kits Almande
Al hebben de Princen haren
Fantasia
Boffons
Malle Symen

[ Encore ]
Lonely Woman:Ornette Coleman