クセナキスと日本|齋藤俊夫
クセナキスと日本
Xenakis et le Japon in TOKYO
2021年6月5日 めぐろパーシモンホール大ホール
2021/6/5 Meguro Persimmon Main Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 山口敦/写真提供:特定非営利活動法人 芸術文化ワークス
<曲目・演奏> →foreign language
全てヤニス・クセナキス作曲
(ロビーパフォーマンス、18:00より)
『オコ』
ジャンベ:齋藤綾乃・新野将之・悪原 至
『エンベリー』
ヴィオラ:般若佳子
(大ホールでの演奏、19:00より)
『ルボンと舞』
能舞:中所宣夫
打楽器:加藤訓子
『18人のプレイアデス』
I.金属
II.鍵盤
III.太鼓
IV.総合
打楽器:悪原至・東廉悟・伊藤すみれ・齋藤綾乃・佐藤直斗・篠崎陽子
高口かれん・谷本麻実・戸崎可梨・富田真以子・中野志保・新野将之
藤本亮平・古屋千尋・細野幸一・眞鍋華子・三神絵里子・横内奏
指揮:加藤訓子
大ホールでのコンサート前、ロビーパフォーマンスのジャンベ3台3人による『オコ』を聴いてまず感じたのは、「楽しい!」という、人間にとって最も単純にして基底的な感覚であった。ジャンベを叩く演奏者3人も笑顔、聴衆もまた同じく笑顔。「楽しい」が持続し続けるのはクセナキス作品の音楽的論理の完全さゆえとは知りながら、しかしそれを知らずとも引き込まれるであろうこの楽しさ。そうだ、クセナキスってこんなに楽しいんだ、と改めて感得した。
もう1つのロビーパフォーマンス、ヴィオラソロによる『エンベリー』は濁った太い音による、ヨーロッパの東端かアジアの西端、つまりギリシアとその近辺の民俗音楽と筆者には聴こえた。旋律を異化する断片――例えば重音、ハーモニクス、弦を擦る位置を様々にする、などなど――が多々刺し込まれるが、ベースにあるのはクセナキスの故郷の音楽。数理的秩序と肉体的旋律の共存にしみじみとした感興を抱いた。
大ホールに入っての『ルボンと舞』、クセナキスの楽譜と加藤訓子の演奏ももちろん凄いが、中所宜夫の能舞に全神経が奪われるような感覚を味わった。人体の動きから夾雑物となるものを全て削り取り、純化され理想的・理念的(Ideal)なものとなった身体の運動たる所作が眼前で展開される。摺足で歩く、方向を変える、扇を動かす、ただそれだけの所作に、加藤訓子による強靭な数理的音楽『ルボン』に匹敵するダイナミズムが含まれる。また逆に、『ルボン』が数理的・幾何学的構造に基づいているからこそ、身体性を限界まで彫琢した能舞の所作と音楽が見合ったのだろう。東西の本物の「出会い」、妥協や偏見なき本物同士の「出会い」がここに実現した。
そして18人による『プレイアデス』、「I.金属」では初期ライヒのフェイズ・シフト・パターンのように、6人が受け持ちの打楽器を少しずつ縦の線をずらして叩く。ずれていって最後にはほとんどティンパニーのロールのような持続音と化す。これが一糸乱れずに実現するだけでも大したものであるが、さらに日本の祭り囃子を昇華したような、あるいはガムランを幾何学的に突き詰めたように複雑な楽想に連続的に移行していく。聴いているこっちは唖然としてただ聴き入るばかり。
「II.鍵盤」はマリンバ3人、ヴィブラフォン3人での演奏。テクスチュアの絡まり方が物凄いので、持続音を越えて音塊が会場をグオングオンと動き回っているかのように聴こえる。ガムラン的(もしくはミニマル・ミュージック的)な楽想部分で、音楽がメロディックになってもすぐに複雑化、音塊化する。これは凄い、とやはり聴き入るばかり。
膜質打楽器による「III.太鼓」は序盤、一定のパターンを受け持つ1人がいて、その周りを他の5人が舞うように感じたが、クセナキスの音楽がそのような安寧に留まるわけがなく、6人が膜質打楽器でメロディックなテクスチュアを作り上げたり、ロールで合奏をしたり、全員が同リズムを叩き続ける言わば打楽器のユニゾンもあり、それぞれの奏者が協奏的にソロを受け持つ所もある。プレコンサートの『オコ』でも感じたが、クセナキスの打楽器理解は実に深い。膜質打楽器の音高・音色・音量全てを手に取るようにわかっている。歓喜の内に第3楽章も終わった。
最後の18人による「IV.総合」、金属打楽器、ヴィブラフォン、膜質打楽器の順番に演奏が始まり、ガムラン的な合奏、また、協奏的な合奏を作り上げる。先の3つの楽章の物凄い音群、音塊に比べるとやや大人しい気もしないでもない……とか思ったら最後の最後にほぼ全員(叩いていない奏者もいたように見えた)で物凄い音群、音塊をドドドドドカーンとぶち上げて、全曲終了。
クセナキスは難しい、けれど、楽しい!今回の「クセナキスと日本」で皆が共有できたこの「楽しさ」こそが全き他者との出会いに必須の人間的感覚であろう。今回、我々日本人は音楽を介してクセナキスというギリシア人と出会えた。それはなんたる喜ばしき邂逅であったことか。
関連評:クセナキスと日本|秋元陽平
(2021/7/15)
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<works and players>
(All pieces are composed by IANNIS XENAKIS)
(Performances in lobby, 18:00~)
“OKHO”
Djembe: Ayano Saito・Masayuki Nino・Itaru Akuhara
“EMBELLIE”
Viola: Yoshiko Hannya
(Concert in Main Hall)
“Rebonds a.b.”
Percussions: Kuniko Kato
Noh dance: Nobuo Nakasho
“Pléïades”
I. Métaux – metals – sixxens
II. Claviers – keyboards
III. Peaux – skins
IV. Mélanges – mixtures
Percussions: Itaru Akuhara, Rengo Azuma, Sumire Ito, Ayano Saito, Naoto Sato
Yoko Shinozaki, Karen Takaguchi, Asami Tanimoto, Karin Tozaki, Maico Tomita
Shiho Nakano, Masayuki Nino, Ryohei Fujimoto, Chihiro Furuya, Koichi Hosono
Hanako Manabe, Eriko Mikami, Kana Yokouchi
Conductor: Kuniko Kato