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プロムナード|世紀転換期ウィーンの音楽と向き合う|佐野旭司

世紀転換期ウィーンの音楽と向き合う

Text by 佐野旭司(Akitsugu Sano)

ウィーン国立音大の図書館

「創造的音楽家協会Vereinigung Schaffender Tonkünstler」。この名前を見たとき多くの人は、何だそれは、と思うだろう。あるいは筆者とSNSでつながりのある人(個人的な知り合いの人がほどんどだが)や日本アルバン・ベルク協会でお世話になっている人は、記憶の片隅にあるだろう。なかには、またその話か、と思う人もいるかもしれない。
これは1904年から05年の間にウィーンに存在した協会で、当時の新しい様式の音楽を、演奏会を通して広める活動をしていた。ツェムリンスキーが議長を、シェーンベルクが議長代理を務め、名誉会長にはマーラーが選ばれている。この協会の公演では、有名な作品としてはR.シュトラウスの《家庭交響曲》やツェムリンスキーの《人魚姫》、シェーンベルクの《ペレアスとメリザンド》、マーラーの《少年の魔法の角笛》、《亡き子をしのぶ歌》などが演奏された。また一方でオスカー・カール・ポーザ、ヨゼフ・ヴェナンティウス・フォン・ヴェス、フーゴ・ダフナー、オスカー・ノエ、アダルベルト・フォン・ゴルトシュミット、エーリヒ・ヴォルフ(歌曲で有名なフーゴ・ヴォルフではない)、ロベルト・ゴウント、カール・ヴァイクルといった、同時代の、それも今日ではあまり(あるいは全く)名前が知られていない作曲家の作品も多い。
20世紀にウィーンで演奏会を通して当時の新しい音楽を広める活動といえば、「私的演奏協会Verein für musikalische Privataufführungen」の方が有名だろう。なので20世紀の音楽に詳しい人の中には、たまにこの団体と間違える人もいる。ちなみにこちらも同じくシェーンベルクが中心となった協会だが、活動した時期は第1次世界大戦の直後であり、全く別の団体である。

ところでなぜ唐突にこの話を始めたかというと、実は筆者は数年来この団体に興味を持って研究している。そしてその研究をしようと思い至ったのは、ウィーンに滞在していた時である。ちなみに当時は毎月本誌に「ウィーン便り」というコラムを投稿していたが、考えてみればそこでは自分の研究に関する話は書いたことがなかった。
ウィーンに来て数か月ほど経って、同時期に滞在していた研究者の研究について知る機会があった。そしてその内容がヒントとなり、この創造的音楽家協会について研究を始めることになったのである。ちなみにその人はベートーヴェンの研究をしており、その作曲技法を同時代の他の作曲家(それも一般的には名前が知られていない)と比較して、ベートーヴェンのオリジナリティについて検証するというものだった。
筆者は以前から世紀転換期ウィーンの音楽を研究しており、その人とは研究テーマも時代も全く異なる。しかし対象とする時代の代表的な作曲家と、その周辺の作曲家の様式を比較するという方法は、自分の研究にも取り入れられるのではないかとその時思った。筆者はそれまで、マーラーやシェーンベルクなど世紀転換期ウィーンの代表的な作曲家ばかり見てきたが、彼らと同時代の他の作曲家の作品にも目を向けることで、音楽史を再考する可能性があると思い立ったのである。
しかもこの研究の意義はそれだけではない。1900年代(ゼロ年代)のウィーンでは、いわゆる後期ロマン派から近代へという時代様式の変化が起きている。そして創造的音楽家協会は、1904~05年というまさにその10年間の真ん中の時期に、当時の新しい音楽を広める活動をしていたのである。そのためこの協会の活動が当時の時代様式の変化に何らかの影響を及ぼした可能性は、十分に考えられるだろう。
この協会については先行研究が非常に少なく、それは研究をする上で有利な点ではあるが、不便さもある。何しろ、演奏会が何回開かれてどんな作品が演奏されたか、といった基本的な事柄から調査しなければならなかった。
ウィーンではまず、演奏会のプログラム(チラシ)や新聞の批評記事、協会の規約といった資料(その大部分はシェーンベルクセンターに所蔵されており、インターネットで閲覧できるものも多い)を読んで、協会に関する基本的な情報を明らかにすることから始めた(現在でも一部不明な点もある)。

筆者の論文(日本アルバン・ベルク協会機関誌『ベルク年報』第17号)

さらに名前すら知られていない作曲家の作品は、現地でしか楽譜が手に入らないものも多いため、ウィーンやザルツブルクの図書館を回って収集しなければならなかった。その際にはウィーン国立音大の図書館(写真)や市庁舎の図書館、さらにはザルツブルクのモーツァルテウム大学の図書館などにお世話になった。さらに帰国してからは、それらの楽譜をもとに作品の分析を行っている。作曲家についての資料が楽譜しかない時、その作曲家を調べるにはまず分析から入るしかない。そして昨年の2月から3月の間に、その研究に基づく論文が2本刊行された(写真はそのうちの1つ)。
もちろん研究はそれで終わりではない。何しろ読むべき一次資料も多く、分析しなければならない作品も全部で30曲以上あり、その全貌を明らかにするにはまだしばらく時間がかかりそうだ。手持ちのもの以外にもまだ調べなければならない資料はあるし、入手できていない楽譜もある。なのでそのために再び渡航をする必要があるだろう。ちなみにこの協会で演奏されたのは、ウィーンの作曲家の作品ばかりではない。そのため今後はオーストリアの他の街や、ドイツにも調査に行かなければならない可能性がある。
しかしそんなことを考えていた矢先に、世の中は周知のように、例のウィルスによるパンデミックに見舞われる。そしてまだ今後の渡航のめどは立っていない。それどころか外国に行くのはおろか、地元(都内)の大学の図書館の利用すら何かと制約がある状態である。そんなこともあり、昨年度は手持ちの資料でできる範囲で研究を進め、11月に学会で発表をするにとどまった。以前のように自由に活動ができる時を待ち望む日々は、まだしばらく続きそうだ。

(2021/7/15)