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小人閑居為不善日記|アメリカン・ユートピア――デヴィッド・バーンの旅の終わり|noirse

アメリカン・ユートピア――デヴィッド・バーンの旅の終わり
American Utopia――The End of David Byrne’s Journey

Text by noirse

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北杜市の山中にある知り合いの別荘にお邪魔してきた。清冽な空気と静かな環境。それだけで十分なのに、それでも音楽を聞きたくなるのだから、我ながら情緒に欠けた人間だと思う。

山や森にいると、フォークやカントリー、ブルースを聞きたくなる。アメリカには縁もゆかりもないので妙な話だが、彼の地の音楽に触れるうちに刷り込まれてしまったのだ。けれど蛍の光や埴生の宿、ダニー・ボーイなど、明治時代に「輸入」されたアイルランドやスコットランドの民謡に郷愁を感じる日本人は多い。こうした感覚は共有できるはずだ。

さて、アメリカ音楽、特にルーツ系のそれには旅をテーマにした曲が多い。〈Hobo’s Lullaby〉、〈Waiting For A Train〉、〈Key To The Highway〉、〈Going Down the Road Feeling Bad〉、〈City of New Orleans〉……。そうした歌には、故郷や帰郷について歌ったものもたくさんある。

朝になると彼女が呼ぶ声が聞こえる
ラジオがかかると遠い故郷を思い出す
車で走り出して分かったんだ
一刻でも早く帰るべきだった
故郷へ向かう道よ、ぼくを連れていってくれないか
かつてのあの場所へ
ウェストバージニア、母なる山々
ぼくを連れていってくれ、故郷の道よ

John Denver – Poems, Prayers & Promises

ジョン・デンヴァーが作曲し、オリヴィア・ニュートン・ジョンもヒットさせた〈Take Me Home, Country Roads〉(1973)。日本では《耳をすませば》の挿入歌〈カントリー・ロード〉としても有名だ。

注目したいのは「home」だ。この言葉は、家族や故郷など、様々な意味を含んでいる。「home」の解釈ひとつで印象がガラリと変わることもめずらしくない。

この曲も作者の実体験と思うかもしれないが、デンヴァーはウェストバージニアの出身ではないし、芸名のもとになったコロラドとも関係ない。少年期のデンヴァーは軍に勤めていた父親の都合でアメリカ各地を転々としていた。そのせいで友達もできず、肩身の狭い思いをしたらしい。ここに歌われていたような故郷は、彼には存在しなかったはずだ。

デンヴァーがソロ活動を始めた1960年代後半から70年代にかけてはサイケやドラッグ、ハードロックやグラムロックなどが持てはやされた時代だ。そんな最中に、あえて故郷をフィクショナルに立て直すことが、彼にとっては切実な表現であり、戦略だったのだろう。

その狙いは見事に当たり、成功を収めたデンヴァーはコロラドに移住。バックミンスター・フラーやウェルナー・エアハルト(自己啓発運動の先駆者)に影響されてコミューンを形成し、合気道やピラミッド・パワーによって宇宙との統一を唱えるようになり、また大統領になるという野望を抱くまでになる。

故郷を持たなかったデンヴァーが歌った「home」とは、いったい何だったのだろう。存在しない故郷だろうか。ニューエイジ・コミューンなのか。宇宙だろうか。それとも自分を大統領に迎えてくれるはずの「アメリカ」だったろうか。デンヴァーは1997年、自身が操縦する飛行機事故により、大統領選に出馬することもなく世を去った。

2

American Utopia

先日、《アメリカン・ユートピア》という映画を見た。元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンが、同名のアルバムを元にして行ったブロードウェイ公演の映像化作品だ。バンド時代からソロに至るまで、あらゆる時代の楽曲を取り上げた、バーンの集大成だ。

バーンは知的な音楽家として知られている。ニューヨークパンク・ムーブメントの中でデビューしたが、美大出身の彼は音楽活動をアートの一環として捉えていて、作品のひとつひとつをコンセプチュアルに構築、MTV時代に合わせてPVも自分で監督し、映画まで手掛けるなど様々な分野で活躍。またアフリカや南米などの音楽を大胆に吸収、ロックやファンクと融合させた《Fear of Music》(1979)や《Remain in Light》(1980)は、80年代を代表するアルバムとして今なお大きな存在感を放っている。

今回注目したいのは彼の歌詞だ。バーンは折に触れてアメリカについて歌ってきた。といっても直接的なメッセージソングは好まず、アメリカン・ライフをシニカルに歌うのが特徴だ。

バーンには旅の歌が多い。生まれはスコットランドだが、すぐに一家でカナダに渡り、その後小さいうちにアメリカに移住している。だが市民権は2012年までカナダから移すことはなかった。そうした背景が、彼に旅の歌を書かせた一因なのだろう。

どこに向かっているかは分かってる
でもどこから来たのかは分からない
何を知ってるかは分かってるけど
何を見てきたかは説明できない
Talking Heads〈Road to Nowhere〉(1985)

どこであっても安住の地ではなく、通過点に過ぎない。そのように聞こえてくるが、バーンは一方で「home」にもこだわっている。

気が付いたら小さな家に住んでるかも
気が付いたら故郷から離れた場所にいるかも
気が付いたら大きな車を持ってるかも
気が付いたら美しい屋敷に美人の妻と住んでるかも
それでこう思う、ええと、なんでここにいるんだろう?
Talking Heads〈Once in a Lifetime〉(1981)

人生は旅だとよく言うが、誰しも帰るべき家はあるものだ。けれどバーンにとっては、家でさえも安心できる場所ではなかったようだ。そしてそれは、アメリカも同じなのだ。

《アメリカン・ユートピア》はこれらの曲を再編成することで、バーンが見つめてきた「アメリカ」を浮き彫りにしていく。そのコンセプト、洗練されたパフォーマンス、バーンの歌とバンドの演奏の確かさ、どれも独特で、かつ充実したものだ。

しかし一連の公演を見ていると、一抹の寂しさも感じてしまった。何故ならこの作品は、バーンの旅の終わりを意味しているからだ。

3

Talking Heads – Remain in Light

ジャネール・モネイのカバー〈Hell You Talmbout〉も、《アメリカン・ユートピア》のトピックのひとつだ。ヘイトクライムの被害者の名前を連呼する歌で、映画では遺族が彼らの写真を掲げる映像も添えられていた。

こうした直接的な選曲や演出は、バンド時代からは考えにくいものだった。トーキング・ヘッズにも、絶頂期のツアーを捉えたドキュメンタリー映画《ストップ・メイキング・センス》(1984)がある。監督のジョナサン・デミは装飾を極力排除し、ステージをシンプルかつ的確に映し取ることに腐心している。MCもほとんどなく、演出も最小限だ。

それだけに焦点はバーンのパフォーマンスに絞られていく。この頃のバーンの特徴はしゃくりあげるようなヴォーカルと痙攣的なダンスで、都市生活者のストレスフルな状況を表現していると評された。好景気に沸き、金もモノも溢れているが、現実感のない時代。そうした80年代のいち側面を、バーンは彼にしかできないかたちで表現していた。

それから40年近くが経ち、バーンは大きく変わった。《アメリカン・ユートピア》の、成功した高齢の白人男性が今の時代に生きることを自嘲しつつ、小洒落たユーモアと「政治的に正しい」コメントを散りばめ、ヘイトクライム反対を叫ぶバーンの姿は、ブロードウェイの観客に愛される洗練されたニューヨーカーといった趣だ。

また先述したように、バーンは2012年に市民権をアメリカに移している。投票に赴いた際に手続き上の問題が発生し、すぐに取得したらしい。《アメリカン・ユートピア》でも投票を呼びかけているが(ドナルド・トランプの大統領在職時に撮影されている)、その姿は立派なアメリカ国民として映る。

人間には落ち着く場所が必要だ。バンド時代はバーン自身が虚構の世界に片足を突っ込み、身を置いていたとも言える。狂騒から遠く離れ、過去を見つめ直す。《アメリカン・ユートピア》はそういう作品なのだろう。しかし結果的に、「なんでここにいるんだろう」という自問も感じられなくなったのも確かだ。

「アメリカン・ユートピア」とは何か。ユートピアなど存在しないが、それでも目指すべきものとしてバーンは考えているようだ。そうでなければ投票を呼び掛けたりしまい。これは多少なりともアメリカにアイデンティファイしたからこそ言えることだろう。彼は遂に「home」に辿り着いたのだ。

Talking Heads – Little Creatures

けれどバーンの楽曲は、何処にもアイデンティファイできないからこそ輝くものだった。「home」を見失った都市生活者のサウンドトラック、それがトーキング・ヘッズの作品だったはずだ。かつてのバーンなら、「ユートピア」を目指すこと自体を、シニカルに歌ったに違いない。

これは冷笑主義とか、相対主義とは違う。すべてから疎外感を感じ、距離を置くことしかできない人間の、ギリギリの表現だ。《ストップ・メイキング・センス》と《アメリカン・ユートピア》を見比べると、乖離がはっきり浮かび上がってくる。それは何処かでジョン・デンヴァーと繋がっているだろうし、山中でカントリー・ソングを聞いてしまうわたしにも、蛍の光から郷愁を感じてしまう日本人にも関係しているのだろう。
わたしは今のバーンより、40年近く前の彼の姿にシンパシーを抱いてしまう。それはただのノスタルジーではなく、アメリカン・ライフに異和を唱え続けるバーンの姿に共鳴する部分が、今でもあるからだ。だがバーンは、その戦いから降りていった。《アメリカン・ユートピア》は、異邦人であり続けることに疲れ、「home」を受け入れた、ひとりの天才の、旅の終わりの回顧録だ。それを見ていると、どうにもやるせない、複雑な気分になってしまうのだ。

(2021/7/15)

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noirse
佐々木友輔氏との共著《人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅》発売中