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カデンツァ|三井寺〜うたの邂逅 雑感|丘山万里子

三井寺〜うたの邂逅 雑感
MIIDERA〜 Tendai Shōmyō & Antiche arie italiane

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

琵琶湖に近い三井寺で《音の三井寺・その壱〜音の東西、聖俗を超えて》として『うたの邂逅〜天台声明とイタリア古典歌曲』が開催された。三井寺(みいでら/正式名称園城寺/おんじょうじ)は天台宗総本山で、東大寺・興福寺・延暦寺に並ぶ「本朝四箇大寺」の一つ。
名の由来は壬申の乱(672)に敗れた大友皇子の皇子が父の弔に「田園城邑(じょうゆう)」を寄進し寺を創建、天武天皇の勅額「園城」を得て園城寺となった。
仁王門(1452)を入って正面金堂左手の「閼伽井屋」(あかいや)に湧く霊泉を天智・天武・持統三帝の産湯に用いたことから、別称御井(三井)の寺と呼ばれる。
昨秋、寺の庫裡の一つであった庭園坊ながらの座・座での尺八×クラリネット公演の際、立ち寄れずにしまったが、この寺は日本密教2派、最澄(767-822)を祖とする台密(天台宗)と空海(774-835)を祖とする東密(真言宗)のうち台密にあり、かつ、天台2派山門派(比叡山)、寺門派(園城寺)の寺門の総本山。つまり日本密教の拠寺であり、「西村朗 考・覚書」執筆中の私としては彼の密教ワールド(マントラとか曼荼羅とか)を知るに示唆多き場所である。
その寺で声明とイタリア古典歌曲の邂逅とは興味津々、行くしかない。
にしても、寺の歴史をいくらか知るにつけ、いつの世どこの世も派閥争いであるな、愛と真理を説く宗教とはなんなのか、と思ってしまう。

じっくりとっくり時を過ごしたかったので公演前日、雨中の参詣となった。人影は、ない。
門を入ってすぐ右手に折れての釈迦堂を覗くと、堂内左に不思議なものが並んでいる。近寄ると、寺に伝わる算額(江戸時代の和算)の問題がいくつか掲示されており、その答えが絵馬のようにずらりかかっているのだ。訪れた人がそれぞれの回答をぶら下げているわけで、理数がハナから駄目な私はひたすら感心してしまった。わかんないけど楽しい、としげしげ。
戻って金堂手前左にまず日本三銘鐘の三井晩鐘を見る。撞きたいが、雨とてとりあえずぐるり一回りののち、霊泉とそれを飾る左甚五郎「龍」(江戸初期)の彫刻を眺め、総本堂たる金堂(1599)に入る。本尊弥勒仏は秘仏ゆえ、脇から順にさまざまな仏像群を見るが、後陣中央におわす大日如来坐像(平安後期)の美しさに見惚れ、ここで小一時間を過ごす。光の具合でいかようにも変化するその面ざし。雨ゆえの湿気にその姿がいっそう映える。

三井寺HPより、大日如来像

モダン・ワイルドな円空七仏(江戸前期)もそばに見つけ、こんなところに、と驚く。もう一つ、阿弥陀三尊、如来と脇侍観音菩薩・勢至菩薩のうち蓮台を持つ観音菩薩が前かがみになっているのに、三千院のそれ(天台山門派)を思い出し、いかにも衆生に語りかけているようで、こちらもその前にしばし佇み続けた。
私は信仰はないが、美しいものは好きだ。
細道を登り、弁慶の引摺り鐘から一切経蔵へ。ここには高麗版一切経(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵を含む仏教経典の総集の呼称)を納める回転式の八角輪蔵がある。すごい。壮観だ。

一週間ほど前に行った永平寺の開祖道元はここ園城寺で天台教学を修めており、その後、南宋へ渡るのだが、荒れる海での苦難の末で、改めて、教えを求め法を求めて海を越え、経典を宝と持ち帰る彼らの熱情がこうして遺されているのに、粛然たる気持ちになった。
振り返れば仏教伝来 (公伝) 538年、最澄・空海の入唐はそれから約270年後の804年だ。その間、聖徳太子による「勝鬘(しょうまん)・維摩(ゆいま)・法華」三経の日本初注釈著述(611)など、海の向こうの仏法へのたぎる思いはいや増していたわけで、輪蔵を見上げるとやはり打たれる。
激しくなった雨脚にずぶ濡れ、やっと見つけた茶屋に駆け入り、独り熱い煎茶と葛菓子に一息つくと、明日の声明とイタリア歌曲のいずれもが、私たちの歴史、遠く果てない夢、焦がれのそれぞれの形であることが想われるのであった。
大陸文化と初めて出会った6世紀、西欧文化とは16世紀(ポルトガル人種子島漂着/1543〜ザビエル鹿児島で布教/1549)だが、文物・宗教同体であった大陸文化との遭遇と、文明開化での西欧文化とでは、後者に宗教(キリスト教)がほぼ脱落するのは、いかにも日本的な選択である気がする。神仏習合(神社と寺の混在分布)はあってもキリスト教がその地位を日本に築けた(教会の分布)とは思えない。占領下、米国が神代(天皇制)の存続を判断したのもそのあたりが因だろう。

「うたの邂逅」は金堂を右に下って光浄院客殿(1601)で。通常、立ち入り禁止の国宝ゆえ、種々の注意を払わねばならぬ。客殿座敷にて僧侶の入りを待つ。
永平寺の朝課は経典読経だったが、声明は仏教儀式に用いられる宗教讃歌、仏教声楽曲で読経とは異なる。今回は三井寺・寺門流声明衆によって歌われる。まだ永平寺読経の法悦が残る身であれば、何やら紗幕を一つかけたような感覚。解説者も言っていたが、いつもは本堂で行うもの、このような客間での演唱は初めてとのこと。堂内であれば、声の巡り(音響)も全く異なり、それはグレゴリオ聖歌(7世紀)を広間で歌うようなものだ。
ちなみに天台声明の整備は慈覚大師円仁(えんにん794~864)によるものだが、山門・寺門の2派はそれぞれ「叡山のねむり節、三井の怒り節」と言われるとか。寺流の「怒り節」は、「アタリ」の部分に特色があるそうで、曰く「波濤が巖にあたり砕け、その波は再び勢を得て大海にひく如く」。
なるほど、低音の恐ろしげな声がむらむら湧き、アタリというより、尺八のユリ、スリ(上げ下げ)みたいな感じでアクセントが来る。つい、密教系はやはり「濃い」な、などと思ってしまう。ギラリ睨む不動明王らの印象が強いのだ。そういえばこの春、東寺(空海/立体曼荼羅)で解説嬢が子供達に大日如来を囲む神像たちを「この怖い顔した人たちは如来様の護衛官なのね、だからお顔が全然違うの」と説明しているのを聞き、納得したことを思い出す。
手元のパンフレットを見ると「大ユリ」「小ユリ」を基調とした勇壮な調べとあり、確かに、とこれも納得。
昔、国立劇場(たぶん)で豊山声明(真言宗)など聴いたが、ふーん、くらいで終わったし、正直、この声明もそれと同じ感じで、やはり「場」を離れたものは何かが欠ける。演ずる方々には申し訳ないが、ただの演唱になってしまうのだ、と改めて思ってしまった。
休憩には庭園の池の端の低木に白い泡の塊がモコモコあるのはカエルの卵と聞き、へえ、と眺め、ステージ背後の素晴らしい狩野派障壁画(17世紀)を眺め、運び込まれたチェンバロを眺めして後半開始。
解説者が、声明に対峙するならグレゴリオ聖歌が適当と思われるが、我々は聖職者でないからして、世俗から日本でもポピュラーな古典歌曲を選び、「聖と俗」に加え、狩野派の絵を背にイタリア・ルネッサンスでも思い描いていただければ、との口上。
なるほど、ではあったが、入れ替わり立ち替わりの歌唱は、私にしてみれば音大声楽副科で歌った、もしくは親しんだものばかりでいささかクオリティに疑問を感じてしまう。いや、初めて聴く歌曲であっても、「うた」がひとの根源にある「普遍感情」(喜怒哀楽)の表出であるなら、それこそ場も時も超え生まれる「情動」の力があってよかろう、と。

飛び乗った帰路の新幹線で考える。
声明は大陸文化への焦がれの一つの形。
イタリア古典歌曲は西欧文化への焦がれの一つの形。
声明は宗教心と同体であれば、「聖なる場」を離れての「宗教讃歌」たる「うた」が現出するに、何が必要だったか。
イタリア歌曲は、カトリックの聖地イタリア民衆(衆生)の世俗歌であればこれまた宗教を離れての愛の「うた」が現出するに、何が必要だったか。
「聖俗」とは互いがあってこその世界だが、共通するのは「ひと」の信心信仰でそれは日々の営みに息づく。
だがそうした信心信仰対象を持つ(限定する)「うた」の、そもそもの発出は、超越者(絶対者)、愛する人への焦がれ、愛、に極まろう。それが「うた」の普遍と私は思う。
それなら。
まずもってこれらの「うた」に込められた私たちの歴史が抱いた焦(恋)がれと夢、想いへの想像とその表出こそが、この桃山時代の美しい客殿での聖俗、東西を超えた「うたの邂逅」を真に可能としたのではないか。
永平寺参詣の折、当地のひとの「ここはもはや修行道場でなく出世道場です」という痛烈な言葉を聞き、確かに、と思った。
初心者に写経を「なぞらせる」発想がいつからかは知らないし、規律で縛り上げるほとんど軍隊に近い修行生活(と私は感じた)に道元禅師の本然があるとは思えない(そういう巻もあるが)。「型から入り型から出でよ」も日本的修練と言われるが、海を渡った古人の熱情と発想にそんなものはなかったろう、と輪蔵を見上げた粛然がよみがえる。
私は、その原泉、原脈の「うた」の力に触れたい。
それは、私は何者か、という問いに向き合うことでもあるのだ ….。

公演の前の散策に、三井晩鐘を撞いた。
永平寺での寂照の鐘は、縄もさして重くなく、高く澄んだ響きだったが、三井の縄はやたらと重い。振り回されること数回、渾身トライでやっと届いた頼りなげな棒の先、低く深く骨太な響がそれでも静かに広がった。
それぞれの響、それぞれの音声(おんじょう)。
その音声の消え入る先を、追う。
原泉、原脈はここにもあろう。
私(たち)は、何者か….。

 

 

 

(2021/7/15)

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◆三井寺・寺門流声明
<演奏>
解説:三井寺長史/福家俊彦
天台寺門宗 声明衆

<曲目>
供養文 四智讃 仏讃 百八讃 普賢讃

◆イタリア古典歌曲
<演奏>
指揮・解説:本山秀毅
五声、独唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
チェンバロ:パブロ・エスカンデ

<曲目>
モンテヴェルディ:「アリアンナの嘆き」五声・独唱
カッチーニ:「アマリリ麗し」
カリッシミ:「勝利だ、私の心よ」
ローザ:「側にいることは」 ほか