Books|『増補 普通の人びと』|齋藤俊夫
増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊
クリストファー・R・ブラウニング 著
ORDINARY MEN
by Christopher R. Browning
谷喬夫 訳
ちくま学芸文庫
2019年5月出版(原著1992/1998/2017年)
1600円(税別)
Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
ここに国によって「人間に値しない害をなす存在」とされた者がおり、上のものから口頭で「これを殺せ」と命令された時、「普通の人」はどう行動するだろうか。
本書は、第二次世界大戦下のドイツで結成された「第101警察予備大隊」の足取りを一人一人のレベルまで丹念に調べ上げ、彼らがホロコーストの一翼をどのように担ったかを記述したものである。
本書の記述の中心となる第101警察予備大隊とは、前線の背後にある占領地の治安維持のために結成された「通常警察(Ordnungspolizei)」の中の1部隊で、職業警察官と戦前からの志願兵が下士官に昇格されて指揮官となり、警察隊員は比較的高齢の召集予備兵が集められた、隊員数500人に満たない「警察予備大隊」の1つである。この警察予備大隊の一番の特徴は、この隊に入れば前線へと出征させられないということである。だが、前線へこそ派兵させられなかったものの、通常警察は占領地においてユダヤ人を中心とした「民族浄化」のための「最終的解決」、すなわち大虐殺の主役を演じることとなる。
第101警察予備大隊はドイツ占領地となったポーランドで活動した。彼らの活動を一々詳細に挙げるのは少々無理なので避けるが、彼らの行った「仕事」をかいつまむと以下のようにまとめられる。
1.ユダヤ人を集める。逃げたり隠れたりしたユダヤ人を捜索する。
2.ユダヤ人を射殺する。
3.ユダヤ人を絶滅収容所行きの列車に乗せる。
この内1.がまず行われる仕事であり、その後2.と3.は作戦によりあらかじめどちらかが決定されているが、3.のとき貨車にユダヤ人を詰め込みきれない時は溢れた分のユダヤ人を射殺するのが定石であった。
この仕事を遂行するに当たっての第101警察予備大隊の隊員の反応と行動は人により様々であった。自分には人は殺せないとして作戦拒否する者も少数ながらおり、上官と場合によってはそのような作戦拒否が許されることもあった。素面(しらふ)ではやってられないと、配給されたアルコールを飲みながら延々とユダヤ人射殺を続ける者もいた。作戦実行の日には何故かいつも持病が悪くなり作戦から外れる隊員もいた。逃げ隠れしたユダヤ人捜索・射殺をスポーツ(ユダヤ人狩り)のように行うなど、暴行・虐殺を楽しんでいるかのようだった隊員も現れた。
1941年から1943年までの活動期間で、500人に満たない第101警察予備大隊は約3万8千人のユダヤ人を殺害し、約4万5千2百人のユダヤ人を絶滅収容所へ強制移送した。
本書のまとめ的な「第18章 普通の人びと」では、「普通の人びと」が何故かくもおぞましい虐殺を遂行するに至ったかについて多方面から考察されている。
以下に著者の考察を短くまとめたものを列挙する。
・殺戮行動への恐怖が、殺戮を繰り返すことで薄まり日常化していった。
・戦争が「敵」と「わが国民」に世界を二極化し、「敵」に対しては殺戮を冷淡に行える心理状態が作り出された。
・大量殺戮を計画し実行する殺戮工程の分業化に、責任を分割させて1人あたりのそれを軽減する効果があった。
・人間には「眠れる野蛮性」が備わっており、ある条件下ではそれが活動的になる。
・上の地位にある者の命令を遵守して、道徳規範に違反した行動ですら遂行してしまう「権威への服従」が文明人には深く根付いている。1)
・ほとんどの隊員が殺戮を遂行する中で、「集団への順応」として自分の意思を越えて殺戮を行わざるを得なかった。
虐殺を可能にした要因は上記のように多々考えられ、どれか1つだけが正しい要因で他は誤りということにはならないだろう。要因は複合的なものと考えられる。だが、著者が否定するのは、第101警察予備大隊の隊員たちがナチスの人種的イデオロギーに染まりきっていた「特別な人びと」であったという仮説である。著者がこの著作で隊員1人1人を名前(士官以外の一般隊員は仮名が使われている)で記述してその行動を記述したのは、彼らがあくまで「普通の人びと」だったことを証すためである。
著者は第18章の最後にこう記している。
第101警察予備大隊の隊員たちが、これまで述べてきたような状況下で殺戮者になることができたのだとすれば、どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか。(本書304頁)
「普通の人びと」が大量虐殺を実行した、という本書に記された事実は、「悪」が人間とその社会のどこから生じて、どこにどのように宿り、現実化するのか、さらに、ヘイト・ポリティクスが世界中に渦巻き、「自分の属する集団」と「自分の敵」という二極化した人間表象が撒き散らされている現在における「普通の人びと」とは何者なのかについて深く重い考察を促してやまないだろう。
1.ここで挙げられているのが有名なスタンリー・ミルグラムの心理学実験、いわゆる「ミルグラム実験」である。
(2021/7/15)