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東京フィルハーモニー交響楽団 第952回サントリー定期シリーズ|齋藤俊夫

東京フィルハーモニー交響楽団 第952回サントリー定期シリーズ
Tokyo Philharmonic Orchestra the 952th Suntory Subscription Concert

2021年5月13日 サントリーホール
2021/5/13 Suntory Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団

<演奏>        →foreign language
指揮:アンドレア・バッティストーニ
バンドネオン:小松亮太、北村聡(*)
コンサートマスター:依田真宣

<曲目>
ピアソラ:『シンフォニア・ブエノスアイレス』Op.15(*)(日本初演)
 I. モデラート―アレグレット
 II. レント:コン・アニマ
 III. プレスト・マルカート
(バンドネオン2台によるアンコール)
カルロス・ガルデル(編曲:アストル・ピアソラ)『想いの届く日』

プロコフィエフ:バレエ音楽『ロメオとジュリエット』組曲より
 モンタギュー家とキャピュレット家
 少女ジュリエット
 民衆の踊り
 仮面
 ロメオとジュリエット
 ティボルトの死
 別れの前のロメオとジュリエット
 修道士ローレンス
 ジュリエットの墓の前のロメオ

 

ピアソラ30歳時作曲『シンフォニア・ブエノスアイレス』第1楽章冒頭、金管楽器群の咆哮に「なんだこれは?東宝特撮映画『ゴジラ対ピアソラ 南米の大激斗』でも始まったのか?」と思ったのは筆者だけではあるまい。強烈な音圧で迫ってくるその音楽はまさに大怪獣スケール。タンゴの革命家というイメージを全く感じさせない……と思って聴いていると、咆哮するパートをタンゴのリズムが支えていることに気づく。さらに現れるバンドネオン2台のsoliは完全にタンゴ。さらにさらにピアソラの師ヒナステラ流の民俗音楽風楽想もまた浮き上がってきて、冒頭の大怪獣音楽に回帰しての第1楽章終曲まで、東フィルの金管楽器勢の濁りなきフォルテシモを先陣とした、極彩色でとんでもなくゴージャスな南米管弦楽曲が味わえてしまった。
第2楽章は南米的ノクチュルヌかエレジーかパストラーレか、いや、これこそタンゴか?物憂げで大人の「夜半」の音楽、にゆったりと心委ねていたら、何故かトゥッティでまた大怪獣が現れる。何が起きたのかとびっくりしたが、また夜半の音楽に回帰して了。東フィル、木管楽器の個人技も素晴らしい。
第3楽章は急き立てられるようなプレスト。タンゴの要素がオーケストラ全体に拡大され、ヒナステラが都会に住んで垢抜けたような音楽……だが、筆者の脳裏に浮かんだのは伊福部昭『日本狂詩曲』第2曲「祭」であった。中間部でヴァイオリン、オーボエ、バンドネオンのsolo, soliの物憂げな音楽も挟まれるが、それもまた「南米の祭」に飲み込まれる。正確極まりない打楽器群の強打を土台とし、全楽器が雄叫びを挙げて終曲。声無き拍手喝采にホールが飲み込まれる。

斎藤充正筆プログラム・ノートには初演時「”神聖なる”クラシック作品にタンゴの象徴たるバンドネオンが使われたことで観客は支持派と反対派に別れ、殴り合いの喧嘩にまで発展」したとあるが、筆者は

作家は、初めは野鄙の非難を受けるにしても、自己の語法と様式で語ることを恥じてはならないのです。また、もしそれほど、自己の語法が醜く感ぜられるならば作品を書かない方が賢明です。(1)

という伊福部昭の言葉をバンドネオン2台によるアンコール曲『想いの届く日』を聴きながら改めて噛みしめていた。

後半、プロコフィエフ『ロメオとジュリエット』組曲より、第1曲「モンタギュー家とキャピュレット家」、冒頭のキャッチーな主題を全奏者一瞬のブレもなく奏でた時点でもうプロコフィエフ的快感が筆者の脳を浸した。プロコフィエフ的快感、すなわち何が起きようとも一糸乱れず音楽的規律に自らを一体化させる快感である。
「少女ジュリエット」の高速弦楽器パートももちろん一糸乱れず駆け抜け、しかしジュリエットのテーマは可愛らしく。
「民衆の踊り」は軽やかに、ユーモラスに、バッティストーニも踊るように指揮をする。この群像シーンにつけられた曲の複雑なオーケストレーションを完全に読み込んだからこその境地であろう。
古典主義的均整を持ちつつコミカルな「仮面」はプロコフィエフ的規律を少しだけ緩める箸休めと筆者は聴いた。
「ロメオとジュリエット」冒頭の神秘的ですらある弦楽の最弱音から、次第に膨らんでいく恍惚たる愛。木管にホルン、トランペットまで加わってまさに有頂天を成し、最後はまた神秘の最弱音に消える。
愛の音楽の後は一転して「ティボルトの死」、弦楽全員での超高速無窮動!東フィル凄い!そしてガシッ、ガシ、ガシ、ガシ!とオーケストラが足音を揃える中、金管楽器群が鬼気迫るメリスマ的旋律を!スネアドラムの音が実に怖く、プロコフィエフ的だ。
「別れの前のロメオとジュリエット」「修道士ローレンス」は共にパストラーレな音楽。鋼鉄の音楽で緊張した耳と心がゆっくりとほぐされる。
だが、最終曲「ジュリエットの墓の前のロメオ」での耳に刺さるような弦楽器の悲痛な叫びに金管楽器の重厚な音が重なることで、逃れられぬ運命的な死を感得させる。腹の奥まで響く重低音から、ピッコロと弦楽の最弱音で悲劇の終わりが告げられる。

ピアソラ、プロコフィエフ共に、バッティストーニのアプローチはいわゆる「爆演」とは異なり、作品の経時的・同時的構築性をガッチリと把握した上でオーケストラを存分に響かせる知的・音楽的なものであり、その采配に120パーセントの力で応えた東フィルの技術も驚くべきものであった。まさに会心の名演。今こそがバッティストーニ・東フィルの最盛期なのかもしれない。

(1)伊福部昭『音楽入門』全音楽譜出版社、2003年(原著1951年)、151頁。

(2021/6/15)

 

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<players>
Conductor: Andrea Battistoni
Bandoneón: Ryota Komatsu, Satoshi Kitamura(*)
Concertmaster: Masanobu Yoda

<pieces>
Piazzolla: Sinfonia Buenos Aires Op.15(*)(Japan Premiere)
 I. Moderato – Allegretto
 II. Lento, con anima
 III. Presto marcato

(Bandoneóns encore)
Carlos Gardel(arr.Piazzolla): “El día que me quieras”

Prokofiev:Excerpts from “Romeo and Juliet” suiets
 Montagues and Capulets
 Juliet as a Young Girl
 Folk Dance
 Masks
 Balcony Scene
 Death of Tybalt
 Romeo and Juliet before Parting
 Friar Laurence
 Romeo at Juliet’s Tomb