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アンサンブル・ノマド第72回定期演奏会 中心無き世界Vol.1 ジャズが運んだもの|齋藤俊夫

アンサンブル・ノマド第72回定期演奏会 中心無き世界Vol.1 ジャズが運んだもの
Ensemble NOMAD 72th subscription concert, The World without Centre Vol.1 – What the Jazz Brought

2021年5月12日 東京オペラシティリサイタルホール
2021/5/12 Tokyo Opera City Recital Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by Akitoshi Higashi

<曲目・演奏>        →foreign language
I.ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ(1920)
 野口千代光・對馬佳祐(violin)、甲斐史子(viola)、金子鈴太郎(cello)
M.バビット:ジャズ・アンサンブルのためのオール・セット(1957)
 江川良子(alto Saxophone)、鈴木広志(tenor saxophone)、佐藤秀徳(trumpet)、
 今込治(trombone)、佐藤洋嗣(double bass)、中川賢一(piano)、宮本典子(vibraphone)、
 芳垣安洋(drum)、佐藤紀雄(conductor)
牛島安希子:『Distorted Melody 歪められた旋律』(2010)
 菊池秀夫(clarinet)、宮本典子(percussion)、金子鈴太郎(cello)、中川賢一(piano)
 佐藤紀雄(electric guitar)、佐藤洋嗣(double bass)
牛島安希子:『High Time High Tide ハイタイム・ハイタイド』(2012/2021、改訂版初演)
 林憲秀(oboe)、菊池秀夫(clarinet)、塚原里江(bassoon)、萩原顕彰(horn)、
 野口千代光(violin)、甲斐史子(viola)、金子鈴太郎(cello)、佐藤洋嗣(double bass)、
 佐藤紀雄(conductor)
大友良英(作曲・編曲):『ストレイト・アップ・アンド・ダウン組曲~ありえたかもしれない(でもありそうもない)もう一つのジャズ史』(2021、荒木田隆子基金委嘱、世界初演)
 木ノ脇道元(flute)、林憲秀(oboe)、菊池秀夫(clarinet)、塚原里江(bassoon)、
 萩原顕彰(horn)、佐藤秀徳(trumpet)、今込治(trombone)、
 鈴木広志・江川良子(Saxophone)、 野口千代光・對馬佳祐(violin)、
 甲斐史子(viola)、金子鈴太郎(cello)、佐藤洋嗣(double bass)、芳垣安洋(drum)、
 宮本典子(percussion)、中川賢一(piano)、大友良英(guitar)、佐藤紀雄(conductor)

 

アンサンブル・ノマド2021~2022年シーズン定期演奏会の副題「中心無き世界」を知って「今更?」と感じたのは筆者だけではあるまい。なぜなら「ヨーロッパが音楽の中心というものの意識」(プログラム2頁、佐藤紀雄による)はヨーロッパが「世界の中心」という意識によって世界が動いていた過去の時代の感覚だと思われるから。
では、今、〈中心〉はどこにある?それともどこにもない?
この問いへ答えることは今の筆者にはできない。だが、「現代音楽は世界の中心にはない」ことは体で実感して確信している。それが先進的すぎるから、という言葉は意味のない優越感しか表さない。一般の人には難しすぎるから、も同じく。ここはざっくりと、わけがわからないから、と言うべきであろう。現代音楽のわけのわからなさ、それは作品の当の作者ですら抱え込む音楽の謎であり、その謎を聴き考えるのが現代音楽の醍醐味にして眼目だと筆者は信じている。わけのわからなさは決して人間を疎外するものではない。わけのわからないものを肯定する所に人間としての自由が現れる。だがその自由こそが社会・世間から恐れられ、封じられる。「現代音楽は世界の中心にはない」ことは現代音楽が現代社会・世界の中で自由であろうとする限り動かすことのできない、それが存在するための必要条件なのではないだろうか。

さらに「ジャズが運んだもの」という副題にも「?」の感覚をおぼえた。この一文は、ヨーロッパのクラシック音楽が主、ジャズが従的存在であることを前提としている。これはいささか時代錯誤ではないか、と。
だが、そこはアンサンブル・ノマド。相当に先鋭化し、数寄者たちに支えられている「現代のジャズ」の大立者・大友良英を迎えての今回の演奏会、「西洋現代音楽」と「ジャズの先端」が、「日本人」の演奏によってぶつかり合うというとんでもない舞台がこしらえられた。

第1曲目はストラヴィンスキー『弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ』(1920)である。急―緩―急―緩の構造を持ち、急・緩、共にストラヴィンスキー節が際立ち、キレる部分と濁る部分の対照も素晴らしい演奏であったが、正直に言うと筆者はこの作品のどこが1920年代のジャズに影響を受けたものか聴き分けることができなかった。平たく言えばどこがジャズなのかわからなかった。それは1920年代のジャズの要素が〈音楽的異物〉として〈異化〉作用を筆者に及ぼすことができなかったゆえと考えられる。ではつまらない作品か、というと、いや、アイロニカルかつユーモラスなストラヴィンスキーとノマドの一流の仕事であった。

次にミルトン・バビット『ジャズ・アンサンブルのためのオール・セット』(1957)、これは聴いてすぐに「ジャズだ」と感じた。スイングするリズムとアンサンブル、音列技法で書かれているがジャズっぽいフレーズ群。しかし音列技法と対位法はクラシック・現代音楽のものであって、さらに驚くべきは各楽器がスイングできる最小限の長さのフレーズを組み合わせて書かれており、それによって必然的に変拍子とポリリズムの集合体になって聴こえてきたのである。8人だけのアンサンブルとは思えないほどの奥行きのある音楽に感服した。

今回、大友と共に招待を受けた牛島安希子『歪められた旋律』(2010)はイントロの和声からいきなりカッコいい。その和声から音がずれていってヘテロフォニックなアンサンブルを成す。(おそらく)ジャズではないが、ポップで軽やか。テンポの速い点描のようになってもポップな旋律と和声進行が把握でき、最後は重い、ジャン!ではなく、軽い、パン!と擬音を当てたくなる和音で終わる。

同じく牛島『ハイタイム・ハイタイド』(2012/2021)。タイトルは「光る樹液のような生命に恵みをもたらすような液体が溢れ出て、飽和した状態、それに満たされた空間に身を置いているイメージ」に由来するという(プログラム6頁、作曲者による)。密集したロングトーンが立ち昇る始まりを聴いて、すぐに連想されたのは雅楽であるが、同時にノイズ・ミュージックの要素も感じられ、先の作品と同じくポップな感触もまたある、というように相異なる音楽的相貌が一体化している。雅楽っぽく粘りもがありながらもポップな音楽から雅楽味とポップ味が次第に薄れていき、ノイズ味が尖ってきて、ミニマル・ミュージックのような同音反復が支配的になる。さらには和音もなくなって、妙な味わいの同音反復と休止が繰り返され、最後にまた雅楽味のする和音に特殊奏法によるノイズが重なり合って終曲。
『歪められた旋律』『ハイタイム・ハイタイド』共に牛島の独特多彩な音色感覚がなせる魅力に満ちた音楽であった。

そして今回の真打ちとも言える大友良英『ストレイト・アップ・アンド・ダウン組曲』(2021)。エリック・ドルフィー『ストレイト・アップ・アンド・ダウン』(1964)のゴージャスなイントロで始まり、佐藤の指揮と同時に大友も時折指揮をして、1つの集団が彼らによって複数の群に分けられるこの作品は、西洋現代音楽畑の筆者の耳にはアレアトリーの音楽のように聴こえた。プログラム・ノートによると1920年代のジャズも用いられていたようだが、そこまで細かいジャズ知識のない筆者にはどこがどうなのかはわからなかった、が、それでも十分に楽しめた。
ピアノの中川賢一が内部奏法していると思ったら突如狂ったように暴れまわったり、皆でバラバラにドンチャン騒ぎをしていると思ったら瞬時にまとまってスタンダードジャズを合奏したり、クラリネット、サクソフォン、ヴァイオリン、トロンボーン、とソロが受け渡されつつ次第にアナーキーに好き勝手放題に吹いているように聴こえたり、佐藤と大友だけでなく他の奏者も指揮を始めて、それに反抗したチェロが『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を弾いたり、最後は佐藤の指揮で冒頭の『ストレイト・アップ・アンド・ダウン』が再現され、そこから全員での音響が嵐のように吹き飛んでいって終曲。
と羅列的に書くとただひたすらに無茶苦茶だったように思われるかもしれないが、さにあらず。「これが今のジャズで現代音楽だ!」と演奏者たちと聴衆が一致団結して盛り上がった。譜面に書かれた音楽の再現と即興演奏が渾然一体となった音楽作品『ストレイト・アップ・アンド・ダウン組曲』が音楽的・人間的自由を見事獲得していたからだろう。

まこと世界は広い。そこに「中心」という「強者」を求めるのではなく、全ての人間が対等で自由な存在としてある、そんな世界を今回のアンサンブル・ノマドの演奏会の後、夢想しないではいられなかった。

(2021/6/15)

 

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Igor Stravinsky: Concertino for String Quartet (1920)
 Chiyoko NOGUCHI・Keisuke TSUSHIMA(violin), Fumiko Kai(viola),
 Rintaro KANEKO(cello)
Miton Babbitt: All Set for jazz ensemble (1957)
 Ryoko EGAWA(alto Saxophone), Hiroshi SUZUKI(tenor saxophone),
 Shutoku SATO(trumpet), Osamu IMAGOME(trombone), Yoji SATO(doublebass),
 Ken’ichi NAKAGAWA(piano), Noriko MIYAMOTO(vibraphone)、
 Yasuhiro YOSHIGAKI(drum), Norio SATO(conductor)
Akiko Ushijima: Distorted Melody (2010)
 Hideo KIKUCHI(clarinet), Noriko MIYAMOTO(percussion)、
 Rintaro KANEKO(cello), Ken’ichi NAKAGAWA(piano)
 Norio SATO(electric guitar), Yoji SATO(double bass)
Akiko Ushijima: High Time High Tide (2012/2021、revised edition premiere)
 Norihide HAYASHI(oboe), Hideo KIKUCHI(clarinet)、
 Rie TSUKAHARA(bassoon), Kenshow HAGIWARA(horn)、
 Chiyoko NOGUCHI(violin), Fumiko Kai(viola), Rintaro KANEKO(cello)、
 Yoji SATO(double bass), Norio SATO(conductor)
Otomo Yoshihide(arr/comp): Straight Up And Down Suite- another jazz history that could have been (and I don’t think it was)- (2021,World Premiere)
including Eric Dolphy(comp)[Straight Up And Down](1964)
Lillian Hardin Armstrong(comp)[Struttin’ With Some Barbecue](1927)
Duke Elington(comp)[Black and Tan Fantasy](1927)
and others
 Dogen KINOWAKI(flute), Norihide HAYASHI(oboe), Hideo KIKUCHI(clarinet),
 Rie TSUKAHARA(bassoon), Kenshow HAGIWARA(horn), Shutoku SATO(trumpet),
 Osamu IMAGOME(trombone), Hiroshi SUZUKI・ Ryoko EGAWA(Saxophone),
 Chiyoko NOGUCHI・Keisuke TSUSHIMA(violin), Fumiko Kai(viola),
 Rintaro KANEKO(cello), Yoji SATO(double bass), Yasuhiro YOSHIGAKI(drum),
 Noriko MIYAMOTO(percussion), Ken’ichi NAKAGAWA(piano)
 OTOMO Yoshihide(guitar), Norio SATO(conductor)