Menu

特別寄稿|作曲家と演奏家の対話・III|教育・スパルタとアテネを巡って|ダムニアノヴィッチ&金子

作曲家と演奏家の対話・III. 教育・スパルタとアテネを巡って。

テキスト:アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ & 金子陽子

>>> 作曲家と演奏家の対話
>>> フランス語版
>>> セルビア語版

アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ(AD)
先月号『感情』の終わりに『教育』について我々の対話を進めていくことを提案した。『教育』という言葉から貴女が連想する事は?

金子陽子 (YK)
『水泳』。喘息持ちとして生まれた私は、幼い頃からこのスポーツに、両親のお陰で親しんだ。島国で大小6847の島々、35558キロの海岸線を持つ日本では、泳げるということは先祖伝来の教養なだけでなく、命を守るという意味でも必要不可欠な種目だ。私が通った東京と横浜の2つのスイミングクラブは『スパルタ教育』で評判だった。第2次世界大戦で打ちのめされた戦後の日本に大きな希望と勇気を与えた『古橋、橋爪』という2人のオリンピック選手が創設、運営していたのだ。『スパルタ教育』『オリンピック』という古代ギリシャ由来の2つのことばが私の中で神秘的に響いていた。

パリのプール

クラブでの練習は秩序立ち、コーチ達は厳しく要求が高かったが人間的だった。入会して数年後、10歳の頃には、私は4種類の泳法で、60分から80分の練習で2000メートルから2500メートルを、オリンピックプールの両側で冷酷に回り続ける巨大な時計に合わせて泳いでいた。というのは、ピッチを上げて泳げば疲労が激しくとも往復間に何秒か休息し酸素を補給することができる反面、『平凡なスピード』しか出さずに泳ぐと、到着後休息なしで引き返さなければならず、スピードを上げる為に必要なエネルギーを補給できず、次の往復の前に休めなくなる、、、という恐ろしい繰り返し! 私は競技会に選ばれるほどの才能も積極的に練習に参加することもなかったが、この『スパルタ』体験はその後の私にある種の誇りを(この年齢の子供にしては筋肉豊かに発達した肩も!)与えてくれた。

AD
貴方の体験に反映させて私も自分の受けた教育について話そう、、と言ってもスパルタ的な物は何もなかった。私の両親は服飾職人で、学校に通ったのは4年間だけだったが、芸術的な表現に大変に敏感だった。父は、唯一自分の目にかなったクラシック音楽しか聴かず、母は隠れて、綴り間違いだらけの不器用な筆跡で詩を書いていた。家族の中では、芸術的な美というものは最も崇高な物であり、芸術的表現は奨励された。私の兄はこのようにしてごく自然にその道に入り、私にも芸術的、教養的趣味について感化し導き入れた。共産主義の当時のユーゴスラビアの教育制度は(共産主義体制に対する批判的な話題に介入しない限り)大変高度だった。私はこのように、国家と家族から二重に受け継いだ教育の恩恵を受けて上達し、名高いパリ国立高等音楽院の作曲クラスの生徒となることができた。

しかし、貴方の『スパルタ教育』体験を読んで、このスポーツの訓練と音楽、学校での教育の間に関連があるのかどうか質問したい。

YK
スポーツの高レヴェルな習得から、私達は時間の使い方と自分自身、つまり精神的肉体的な機能の制御を学ぶ。更に、上達するために自分の力の限界に達するまで訓練をするということも学ぶ。それは子供達をこの世界、選抜や競争が残念ながら現実である世界に対抗できる為に準備させるのだと私は思う。『競争』と言う言葉は適切でないかもしれない、難局に負けずに適応する『レジリアンス』を得るのである。

スパルタのレオニダス王, 紀元前540-480

音楽に話を戻そう、私の両親も大変音楽好きだった。彼らの選択で3歳から私は桐朋学園子供のための音楽教室に入室して『コダーイ・システム』という、ハンガリー生まれのメソードで、民謡やリズム遊びを取り入れながら音楽の手ほどきを受けた。お遊戯のような感覚の授業だったが、しっかりと考えられて体系づけられ、ちなみに最初の1年は楽器の演奏や習得が禁止されていた (というのは、教育上、楽器の習得を始める以前にソルフェージュなど手ほどきから入ることが望ましいと一般に認められているからだ)。

ただ憂慮するべき点がひとつあった。これら日本の私立音楽学校の学費は国からの補助金がない為に高価なものだった。そのため経済的に余裕のない家庭の子供達は入室できなかった。教育というものは、若者達が自立して社会で活躍するための唯一の平等な(であるべき)手段であることを思うと、これはとても残念なことだ。その後1987年に私がパリに留学した時に驚き感嘆したのは、フランスでは、すべての人々が、国籍等一切の差別無しに、教育と医療を無償で受けられるということだった。

リューラを奏でるアポロン

AD
社会における教育の役割について、音楽教育ではなくて、大変古い時代から考察されていた、「音楽が教育に与える役割」について喚起してみたい。ペリクレスの助言役であったダモン(Damon, 紀元前5世紀)は、プラトンに先駆け、音楽が正しく実践された場合、社会の均衡を保つための強力な手段としての教育的価値があることを提唱していた。彼は、音楽を的確に使用することによって、教育から強い性格を得ることができると確言している(『正しく練習される』『的確に使用』という表現の意味については後述する)。

『ユリシーズとセイレーン達』モザイク画

プラトン(紀元前428-348) は音楽の中に、哲学と同等な崇高な美と真実を、しかし同時に反教育的な悪い影響を与える効力も認めている。何故なら、音楽は精神ではなく感性に作動するからだ。『歌手をリューラで伴奏する軟弱な音楽は、歓びと痛みを繁栄させる恐れがあるので、法律によって禁止されるべきだ。』と(『国家』X, 607) 断言している。つまり良い音楽と悪い音楽があるという訳だ。一方、プラトンの弟子アリストテレス(紀元前384−322)は『教育のため、魂を清めるため、楽しみのため、努力の後に精神を休ませて弛緩させるため』と音楽を複数の種類に分けた(『政治』 1342)。アリストテレスにとっては音楽についての考えは知性から感性へと移動しており、この芸術を消費の分野に位置づけた。その弟子アリストクセノス(紀元前360−300)まで待ってようやく聴覚と知性が互いに相反しないことが認められた、、というのは、人間は、感覚からの受容と本質的(理論的)な手段による解明(アナリーゼ)という2つの特性を持っている。もしもそのひとつが欠如するなら人間とその活動は不完全である。我々は意図せずとも、古代ギリシャの2つの都市、スパルタとアテネを対抗させたことになる。

YK
今から2500年前、すでに偉大な哲学者達は音楽の生理学的、心理学的な影響に関する核心と音楽の役割とその社会的、政治的な支配力を把握したということだ。古代ギリシャ時代の音楽は今日のそれとはかなり違うものだったとしても、私自身も音楽というものが、一見して判断されるよりもずっと複雑な分野であると言う事に全面的に賛成である。

音楽教育について私は、個人的な、内密な部分、そして一方で客観的で論理的な部分のバランスに注意をしなければならないと思っている。幼い子供達(又は父兄達)は音楽が好きであり、彼らにとって大切な物であるからこそ音楽院に学びに来る。我々教育者の役割は、まず第一に、子供達が個人的に感じ、持って生まれたものを評価する事である。そして生徒の感じる事への論理的な説明を探索しつつ、音楽的表現に知識とテクニックがもたらされ、そして更には、過去と現在の様々な体験を基盤として未来への目標を設定できるように導かなければならない。ステージに立つという体験は、芸術家が聴衆を前に独りきりとなって実力を試される瞬間、容赦なく厳しい試練であり、自己制御を学ばなくてはならない。「毎日の練習においては自己に厳しく『理想』を目指さなくてはならない。しかし、ステージに立つ時は、現実の自分の姿を受け入れなさい」というのが私の大師匠から頂いた賢明なアドバイスであった。
しかし、この『スパルタ』と『オリンピック』の様相の為に音楽が内蔵する深い意味を忘れてはならない、そう、音楽というものは、言葉を介さず私達の心に直接入り、音の震動や、執拗な繰り返しからエネルギーを、入念に作られたリズムや、心地よい響きから慰めを与えると同時に、和声の変化や調整の綿密な構成は、あらゆる種類の感情と気持ちをもたらす。音楽は物語を語り、様々な感覚や色彩を与え、情景を見せ私達を構築する。音楽は生命と人間らしさ、そしてその数々の歓びと弱さの象徴なのだ。

生徒達へのレッスンにおいて私は、楽譜の奥には常に人間が、作曲家の存在がある、ということを強調するようにしている。音楽は単なる音と音色だけではなく、始まりにいつも感情があるのだ。これらの感情に賛同、そして同化することは演奏家として必要不可欠である。

AD
作曲家の人間としてのリアリティという貴女の示唆から、来月号はインスピレーションについて語り合うというアイデアが出てきた。

我々の今の本題に戻るが、貴方の話から2つのテーマ、一つ目は芸術の鍛錬に於いてしっかりした規律の重要性(『スパルタ』と『オリンピック』)を認めていること、一方で教育に於いての感受性の大切さということを、更に貴女が生徒が感じる事に対する『論理的な説明』、音楽的表現への『知識と技術的手段』を与えたいということを私は確認した。

聴衆の教育と言うものも、感受性と論理性に影響するようである。この話題を始めるにあたって、フランスの人類学者クロード・レヴィ・シュトロス (Claude Lévi-Strauss, 1908-2009)の証言に言及したい。氏がアフリカに派遣された折り、とある孤立した、世界の他の人々と全く交流がなかった部族の人々に、モーツアルトの交響曲を聴かせたという。この音楽について質問された部族の男女達は、『カオス(大混乱)』『乱雑』『騒音』というような言葉で表現したという、、我々にとって音楽のバランスの良さとハーモニーや秩序のお手本であるこの作曲家が、ある種のカオスや騒音を思い起こさせるとは! それでは教育とは習慣、条件反射付けと同義語と言う事になるのであろうか?

これは難しい問いかけだ、何故ならそれは2つの分野、美学(客観的な美の基準)と教育(特定の美に対する規則の認定)に関わるからだ。

この部族によるモーツアルトの交響曲試聴の例は、我々一人一人が全く新しい美学を備えた音楽を目の当たりにした際と同じ様な状況で有り得る、という意味で教訓を与えるものである。新しい美学を専有するためには、シンフォニーオーケストラを聴く前にまず単一楽器の演奏から聴き始め、複雑な交響曲形式の前に小品から始めるなど慎重に前進しなければならない。モーツアルトまで続く為には、まず彼が6歳の時に作曲したメヌエットの数々から始めるというのも教育上良いかもしれない。このようにしてようやく、感受性がこの種の、世界の民族音楽とも全く違う音楽レトリックに親しむ様になる。そして次の段階、この種の音楽形式の論理的、分析的な理解に移ることが可能となる。

このような教育方法は、個人が自身の感受性を動員し、そこに論理的説明を与えることによって条件反射付けから逃れることができる。

そしてこれによって『美に対する客観的基準』という難しい質問と、「好き」「嫌い」ということだけで満足する安易さからも逃れることができる。何故なら、ある人がその人の好みと感受性を理解して説明できるようになり、何故彼が好きで、それがどうしてか知った時、彼はそれらの事を第三者に説明できる様になる訳だ。このように、成功した教育は人を通じて伝授され、昨日の『生徒』は今日の『先生』となる。

このようにすれば教育は条件反射付けや、型付け、そして聴衆の趣味の操りに陥ることが無くなるだろう。

貴女の、音楽は『一見したよりずっと複雑な分野』であるという所見は、現代人からすると極端であったかのようにも見える古代哲学者の主張を、私がより良く理解するヒントとなった。今日一体誰が、プラトンが言ったという「芸術は法律によって律されなくてはならない」(法律、797 d, e)そして、ある「驚異的で心地良い、聖なる存在」である詩人が、他の「より地味で心地良さが少ない」詩人に座を明け渡す為に都市から追放されなくてはならなかった(国家 III, 398 a)ということを理解できるだろう? しかしながら私は、これらの古代哲学者達が、貴女が語るこの『複雑性』、音楽が隠し持つ威力というものを理解していたのだと確信している。
音楽は無意味な芸術で、この世で感受し得るものを何も語らず、画像や言葉の代用によって表現され得る、と言われる。絵画はならば人物、風景、心地よい又は不快は出来事や、気に入られたり、気に入られない場面、それが文学ならば人物や気持ちの良い思いや嫌悪を表すことができるし、政治、社会、宗教的な思想を奨励することもできる、、、音楽は我々が日常生活で知る物の一切を描写しない。その和声、メロディ、リズムの数々、音楽は人間の魂に感受不可能な様に作動し、作り上げ、聞き取れない様なさまざまなやり方で影響を与える。このことについて、セルビアの女流詩人、デザンカ・マクシモヴィッチ(Desanka Maksimovic,1898-1993) 作の詩『知らせ』の冒頭を紹介したい。

『愛の歌』ミリエンコ・スタンチチュ-Miljenko Stancic

聴いて
貴方に私の秘密を明かすわ

決して私を独りにしないで
誰かが音楽を奏でるときは

何故なら
平凡な瞳は
奥深く、優しく
映るだろうから

音たちの中に溺れたなら
誰とも構わず
両腕を差し出してしまうから
・・・

このどこまでも女性的な(女性が持つ総ての中で最も美しく気品のある、そして私が思うに、どんな男性でも書くことが不可能な)詩は、音楽の総ての神秘的な美しさを表現している。しかし古代哲学者も含めた誰もが、トルストイの『クロイツエルソナタ』にしろ、セルビアの女流詩人にしろ、音楽が人間の魂を感じ取れない方法で変化させる力を認めているのだ。『きちんと訓練され』そして『適正に使用され』るならば、古代哲学者達は音楽が『理性を失わせる』ことはないと通告するかもしれない。それが恐らく音楽教育と音楽による教育の役割であろう。音楽に我々の魂を和らげさせながらも理性から魂を離さない。我々の存在全体を保持し続けるために。

(2021/5/15)

 ————————————————————————
アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ (Alexandre Damnianovitch)
1958年セルビアのベオグラード生まれの作曲家、指揮者。ベオグラード音楽院で作曲と指揮を学び、パリ国立高等音楽院作曲科に入学、1983年に満場一致の一等賞で卒業。フランスに在住して音楽活動。まず、レンヌのオペラ座の合唱指揮者、サン・グレゴワール音楽院の学長に就任し、オーケストラ『カメラータ・グレゴワール』並びに『芸術フェスティヴァル』を創設。1998年にはパリ地方のヘクトール・ベルリオーズ音楽院の学長に就任し『シンフォニエッタ』オーケストラと声楽を中心とした『Voie mêlées』音楽祭を創設。1987年には、フランスの『アンドレ・ジョリヴェ国際作曲コンクール』、1998年にはチェコ共和国の国際作曲コンクール『ARTAMA』で入賞。
作曲スタイルはポストモダン様式で、ビザンチンの宗教音楽並びにセルビアの民族音楽からインスピレーションを受けている。主要作品として『エオリアンハープ』、『キリストの誕生』、『フォークソング』、『聖アントワーヌの誘惑』、『パッサカリア』、『叙情的四重奏曲』、『フランスの4つの詩』、『エルサレムよ、私は忘れない』・・等が挙げられる。

近年での新作は、フォルテピアノ奏者、金子陽子との共同研究の結果生まれた作品、『アナスタジマ』、『3つの瞑想曲』、『6つの俳句』、『パリ・サン・セルジュの鐘』などが挙げられる。

音楽活動と並行して、サン・マロ美術学院油絵科を卒業した他、パリのサン・セルジュ・ロシア正教(大学)神学部にて神学の勉強を続け、神学と音楽の関係についての論文を執筆中である。

(ラルース大百科事典セルビア語版の翻訳)
アレクサンダー・ダムニアノヴィッチ公式サイト(フランス語)の作品試聴のページ

————————————————————————
金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
News / Actualités / 最新ニュース