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カデンツァ|音楽の未来って(9)新しい波・新しい地図〜3、4月の若手演奏家たち5公演|丘山万里子

音楽の未来って (9)新しい波・新しい地図〜3、4月の若手演奏家たち5公演
“Where does Music come from? What is Music? Where is Music going?”
“ D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?”
New Wave・New Map 〜Five performances by young performers in March and April

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

3、4月に聴いた若手演奏家(20~30代)の5公演をまとめて書かせていただく。
いずれも強い印象を受け、新しい波を感じた。
それは、近年のIT化による環境変化がパンデミックのこの1年に急速圧縮され、前倒しで現れたものと見るべきだろう。
私たち周囲の大人はその意味を注意深く考え、未来へとつなげてゆかねばならないのではないか。
3月:辻彩奈 & 阪田知樹/伊藤悠貴&渡邊智道、中村愛/黒川侑&久末航
4月:周防亮介&有吉亮治/郷古廉&加藤洋之(ゲスト横坂源)
その要点だけを拾う。

*   *   *

【3月】

◆辻彩奈vn & 阪田知樹pf (3/12@紀尾井)

写真提供:宗次ホール(2021/3/10公演)

体幹の強靭がこの人の演奏の全てだ、と思う。揺らがない、ぶれない。それは身体だけでない、むろん精神に及ぶ、というより、心技同体である。
モーツァルト、ベートーヴェンのソナタでは一切の余計な表情付けを削ぎ、身体もすっく、凛と立つ。ボウイングは弓に吸い付き、宙に無駄ない弧を描く。あげ弓下げ弓も響きに必要な動きしかしない。だから清冽で、潔い。
人によってはベートーヴェンをこう弾く?的疑問を持ったろう。スケルツォの殆ど動物的な敏捷と、とりわけフィナーレ、プレストの激走ぶりがあまりに今風であったから。けれど私は阪田とともに駆け抜けるその一気呵成を大いに頼もしく思った。今風、といったが、それが下品な狂走にならないところにウィーン古典派への姿勢が見える。
だが圧倒されたのはフランク『ヴァイオリン・ソナタ』でのスケールの雄大。前半からガラリ変わっての音色のしっとりした豊穣と情感。その導入で夢幻フランク世界へのお誘い、と思いきや、はっきりしたメリハリでの造形。これがフランク?と惑いつつ波に揺られる。アレグロは推して知るべし。身体が、溢れる力に衝かれダイナミックに動き始める。響きも音楽も大きく変化する。弓は時折抜き身の刀となって楽句を斬りあげ引裂き、その太刀捌きの凄まじさ。瞬応する阪田がこれまた鋭利な打鍵、音色、両者発止の組み手の応酬。と思いきや、挟まれる弱奏楽句でのエレガントなたゆたい、夢見心地の美しさ...と思いきや、またまた駆け上がり駆け下りの激流。
これが私たちの音楽なんだ!
胸すく、高らかなその宣言。
辻委嘱の権代敦彦『Post Festum』3曲をプログラムに組み込んだ気骨も然り。
私ははっきり、「自分たちの音楽」を自由に羽ばたかせる新世代の到来を感じた。
フランクの作品宇宙をここまで明瞭に構築して見せた彼らの知力と胆力(再度、体幹の強靭がそれを生む)。
この年齢で、今、このように堂々立つ彼ら、その鮮烈な音楽を私は祝福した。

◆伊藤悠貴vc &渡邊智道pf、中村愛harp (3/25@石橋メモリアル)

Ⓒ増田雄介/写真提供: 東京・春・音楽祭実行委員会

ラフマニノフがライフワークとの言で、すべてラフマニノフ(ソナタ以外の小品は伊藤自身の編曲)を揃えた。15歳で渡英、なかなか不敵な面構えだが、開始前ステージでの挙措にやや違和感を覚える。何気に舞台袖を見やったり、視線があちこち動くのだ。
ともあれ、『チェロ・ソナタ』。
秘めやかな入りから、剛毅かつ、しとどのロマン。ロシアのセンチメントが滴り落ち、滔々と歌われる野太いメロディーに低音の鳴りも充分、逞しい熱情と繊細な歌心の交錯も見事。第2楽章のぼんぼんピチカートぶんぶん跳ね弓の弾み具合の抜群。アンダンテ、胸の内を吐露するかの切々にはほのかな官能の色さえ。終楽章の機動力も圧巻だ。「この曲は俺のもんじゃい!」と獅子咆哮の力奏にのけぞったが、後で「生まれ変わったらこの曲になる」との発言を知り、さもありなん、と納得だった。
やや違和(目線、挙措)はちょっとしたところで散見されたが、癖というより動画配信への何か(意識であれ無意識であれ)だった気がする。彼らの世代はYouTubeで楽曲・演奏をチェックするとかで、明らかにその痕跡を感じる奏者も見かける。伊藤はそれとは異なるが、ステージパフォーマンスの変化の一つの片鱗を見たように思う。つまり、客席の他者でなく、画面越し(カメラ目線)の他者へと神経が延びて行くのだ。それがパンデミックによって顕著になるのは当然だろう。
もう一つ、目を引いたのは自身によるハープとの編曲・演奏という強い主張を持ったプログラム。さらに共演者の選択。渡邊pfは「ロマン主義精神の技術による復興、伝承を標榜する“ロマン派芸術音楽協会”」(プロフィールより)を伊藤と共に設立、インターネットラジオなどで積極的に音楽家同士のネットワークを広げ、文筆も行うマルチタレント。中村もラジオパーソナリティなど幅広い活動をしており、当夜出演の3人はいわゆるあてがいぶちでない、一つのコンセプトを感じる。渡邊はクールかつ俊敏に伊藤に応答する演奏で、気心しれた仲間的空気があった。
彼らにあるのは、自分たちのやりたい音楽は自分たちのネットワークで創出してゆく、という意気込みではないか。演奏家のいわば「自立」の一つのモデルにつながるように思う。

◆黒川侑vn&久末航pf(3/26@Hakuju)

写真提供:Hakuju Hall

1時間のリサイタルで、シマノフスキ『神話〜3つの詩より第1曲Op.30“アレトゥーサの泉”』が抜群だった。
黒川の美質は音色(私は音楽は「音色」が命だと思っている)のパレットの豊さと「調べ」へのセンスだ。グラマラスにパワーで押すタイプとは真逆の、繊細な歌心とそれを表出する才能・技術を備える。シマノフスキでその魅力全開。久末の、泉の飛沫におぼろな虹をかけるがごとき響きにまず心を奪われる。そこにそっと身をそわせるvnの一すじの銀の絹糸。しなやかに透明に輝きながら、玉虫色(スーラの点描世界を思わせる)に広がるpfの水面を縫ってゆく。耳、陶然。心、陶然。手ですくって一句一節を飲みほしたい気分。だがそこからの展開のなんと先鋭でアグレッシブかつミステリアスなこと。徐々に不穏な空気が広がり、pfがガシガシとパーカッシブに楔を打ち込めば、絹糸はより張力を増し音塊の周囲をスパスパ裁断する斬れ味で、見事なカットグラスを見るようだ。重音の響きも透きとおっており、pfのトリルとそれに絡む高音も冴え冴え。スリリングに同音型を畳み掛けてゆく緊迫の頂点、両者阿吽で放つ最後の一音に、胸の内「Bravo!」を叫んだのは私だけだろうか。
短い曲だが、音楽のエキスがつまったこの作品をこれだけ手の内にした黒川、久末に脱帽だ。ブラームス『雨の歌』も彼らに似合った軽やかさで、若きブラームスの魂の震えをよく伝えて新鮮。
彼らは、いわゆる華々しく押し出しよく人気沸騰タイプではないかもしれない。だが、音楽を愛し、誠実に向き合い、それを表現できる力量確かな音楽家だ。
こういう人たちこそが、私たちの音楽的日常を潤し豊かにしてくれるのだと私は思う。

【4月】

◆周防亮介vn&有吉亮治pf(4/14@トッパン)

Ⓒ藤本史昭/写真提供:トッパンホール

こちらも1時間弱のコンサート。
私は初めて聴くが、アマティがぴったりの奏者。音の色艶といい、中低音がヴィオラのような深々した響きを持つ。上記、黒川もそうだが、響きで惹きつける(固有の音が在る)のは天賦と思う。イザイ『悲劇的な詩』も心身の内側から音楽を鳴らす密度の高い演奏だったが、その持ち味を全放出して魅せたのはサン=サーンス『ソナタ第1番』。翳りを帯びた両者ユニゾン導入の色調からくっきりした輪郭の展開を見せる。アダージョでの吟味されたフレージングと歌、裳裾を飾るトリルの優美。一転、軽快な跳躍を経てのアレグロ・モルト、ここからの追い込みがものすごかった。無窮動の激しい刻みをpfも煽る煽る。周防の長い黒髪が躍る躍る。双方夢中に鍵盤の上を、指板の上を駆けずり回り、こちらも夢中に行け行け巻きまくり、アラブの回転舞踏のごとく火柱が立つ。いやはや。
彼ら、勢いだけでなく色彩と配色の妙、全体のバランス感覚、俯瞰がある。コーダの一撃もそれでこそ生きるというものだ。有吉も前に後にとパワー注入、頼もしいデュオぶりであった。
長い黒髪、と書いたが周防、メイクもファッションも曲に映えた、と言おう。声楽領域ではメイクも見かけるが、器楽では私は初見。ここにも新しいステージングがある気がする。
クラシック音楽家がTVコマーシャルで注目されたのははるか昔、中村紘子あたりだろうが、今やヴァラエティにも進出の世。Mattほどでないにしてもヴィジュアル路線を行く人がいて不思議はない。周防くらい実力ある奏者が繊細華麗なステージで中高年層をとろかせ、若年層に火を点けるのも悪くなかろう。と、つい笑ってしまいつつ大拍手。

◆郷古廉vn&加藤洋之pf(ゲスト横坂源vc)(4/16@東京文化会館小)

Ⓒ青柳聡/写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会

郷古については、昨年末の無伴奏で「こうした人をこそ、筆者は“音楽家”と呼ぶ。」と書いたので、これ以上付け加えることはない、ではなく、ある。
新たな発見におお、と思った、それをひとくさり。
私が彼を聴いたのは2017年1月が初めてでそのバルトークに「桁外れの音楽動体視力」と興奮したが、その獣のような嗅覚と動体視力がさらに凄みを帯び、「東方の深き闇より」という意味深なテーマがそれこそ意味深に浮かび上がってきたのだ。肝は「闇」で、モラヴィア地方一帯の野、土、風、人、それらの混淆に、例えばロマの歌に疼く暗い情熱とか炎とか、そういう覗いても覗いても底の見えない痛みや暗がりをそこはかとなく音にまとわせ、荒々しいまでの野性を底光りさせた、そのこと。
こんな風に「東方の深き闇」をリアライズさせる淵原が彼の身裡のどこにあるのかは不明だが、とにかく、深い。
加えて感服したのはpf加藤の満身に溢れる音楽で、郷古、横坂の若武者二人を支え、くるみ、焚きつけ、一丸の熱い音楽創りと的確な奏出に舌を巻く。これほどの奏者が日本にいるとは。とりわけエネスク『ヴァイオリン・ソナタ第3番〜ルーマニアの民俗音楽の性格で』での郷古との感応交錯ぶり、第2楽章同音連打pfの上を高音弱奏vnが滑って行くあたりとか、そのポルタメントにアクセントをつける装飾句のキラキラ感とか、溜息が出る見事さ。終楽章結尾のpf連打轟音にこれでもかと投身するvnの奔流からの二者とどめの一太刀、思わず「ほおっ」と漏れた客席の嘆声も宜なるかな。
これもまた彼のピアノあってこその瞬殺劇と思う。

*   *   * 

先に一つ言っておきたいのは、上記全公演でのピアニストの確たる存在。
私は室内楽でのピアノに常に不満を持っていたが、これらピアニストたちのアンサンブル愛とセンスには大感激である。
ここには挙げなかったが3月の嘉目真木子sopリサイタルでの北村朋幹も素晴らしかった(3/13@トッパン)。
お勉強の成果発表でなく音楽を心底楽しむ音楽家が育ってきた、という感慨を持つ。

本題。
全公演に明らかなのは、彼らに明確な自己主張があること。
主張の仕方はそれぞれだが、激変する世界のこの局面にあって、自分がどこにどう立つかを見据えた自己プロデュース力が、そこには現れている。市場原理にいかに有効(有用)か、といった「戦略的」思考でなく、自分が音楽することの意味(喜び、幸福)、という個的「原点」への問いから発出したもので、パンデミックにより突如眼前に突き出されたその問いへのそれぞれの応答に思える。
以前からすでにその動きはあった。既存システムが機能不全に陥るのは時間の問題で、反田恭平pfなどいち早くそれを見てとった才人、メディア戦略(ここでは戦略と言おう)にも長ける。派手なそれらとは異なるが、現代音楽のいわばインディーズたちもまた、身近なところからそうした回路をひらきつつある。山澤慧vc(インディーズではないが)などその筆頭で、自主企画初演曲の公募といったアイデアも新鮮だ。
こうした若者たちは今後増えてゆき、大人たちが築き上げた巨大流通販路にのらない、自立した、それこそ「新しい地図」を描き出してゆくのではないか。
少なくとも私は、ジャニーズや吉本といった戦後が生んだエンタメ帝国よりさらに堅牢にいと高くそびえるクラシック帝国の世界地図が、彼らによって爽やかに軽やかに書き換えられてゆくことを願うものだ。
どんなに小さくとも、わずかでも、やりたい人がやりたいことをやりたいようにやる。
やれる人は、やれない人に呼びかけて、やる。
そこから、新しい力が湧いてくるのではないか。

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この稿、4/26の小林壱成vnも入れるつもりが、3度目の緊急事態宣言で中止になった。今も続々中止、延期の報が届く。1 年前と同じことの繰り返し。
もはや人災、いや政災たるこのドタバタ、オリンピックなどとっとと中止し、足元の火を消すために金を使え!アスリートだけが刻苦努力しているわけじゃない、誰もがみんな耐えているんだ、使い方が違うだろ、と怒りが噴き上がる。
そして考える、これからの世界に自分は何ができるかと。

4/27記
(2021/5/15)

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◆辻彩奈&阪田知樹
モーツァルト: ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 K.380
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 op.30-2
権代敦彦: Post Festum ~ ソロヴァイオリンのための op.172(辻彩奈 委嘱作品)
フランク: ヴァイオリン・ソナタ イ長調
(アンコール)
サティ: 「右と左に見える物(眼鏡なしで)」から 偽善者のコラール
パラディス: シチリアーノ

◆伊藤悠貴、渡邊智道、中村愛
ラフマニノフ(伊藤悠貴編):
 夕闇は迫り
 ロマンス ヘ短調
 歌劇《アレコ》より「カヴァティーナ」、「若いジプシーのロマンス」
 6つのロマンス op.4
  お願いだ、行かないで
  
  夜のしじま
  歌うな、美しい人よ
  ああ、私の畑よ
  昔のことだろうか、友よ
 チェロ・ソナタ
(アンコール)
ラフマニノフ(伊藤悠貴編):
 女たちは答えた op.21-4
 合唱交響曲《鐘》op.35より 弔いの鉄の鐘 “永遠の眠りがもたらす心の平安”

◆黒川侑&久末航
ストラヴィンスキー(ドゥシュキン編) : イタリア組曲
シマノフスキ : 神話 ― 3つの詩 op.30 より 第1曲 “アレトゥーサの泉”
シューマン(ヒュルヴェック編) : 「子供の情景」 op.15 より 第7曲 “トロイメライ”
ブラームス : ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 op.78 「雨の歌」

◆周防亮介vn&有吉亮治pf(4/14@トッパン)
イザイ:悲劇的な詩 Op.12
サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 Op.75
(アンコール)
ナイジェル・ヘス:ラヴェンダーの咲く庭で

◆郷古廉&加藤洋之(ゲスト横坂源)
ヤナーチェク:ヴァイオリン・ソナタ JW VII/7
マルティヌー:チェロ・ソナタ 第1番 H.277
ハチャトゥリアン:詩曲 《吟遊詩人に敬意を表して》
ヴラディゲロフ:ブルガリア狂詩曲 op.16 《ヴァルダル》
ツィンツァーゼ:民謡の主題による5つの小品
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 イ短調 op.25 《ルーマニア民俗音楽の性格で》