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BOOKS|『資本論』(講談社まんが学術文庫)|小石かつら

資本論
原作:マルクス、まんが:岩下博美
講談社まんが学術文庫
2018年4月出版
ISBN978-4-06-510667-9

Text by 小石かつら(Katsura Koishi)

漫画で読む古典的な著作は、種々のものが出版されている。今回、「講談社まんが学術文庫」を取り上げたいのは、異色だと感じるからだ。このシリーズは2018年に創刊され、既に30冊ほどがラインナップされている。その中から『資本論』を選ぶのは、シリーズ最初期に刊行されたことと、「圧倒的に読ませるストーリー」だったからだ。

まず概略を記そう。
シリーズ全体を通して、解説が無い。枠外の説明も、コラムも、後書きも、全て無い。最初のページから最後のページまで漫画だけで、漫画以外の要素は無い。つまり、学習漫画ではなく、「普通の漫画」の体裁なのだ。さらに内容も、「『資本論』の解説」ではなく、『資本論』のエッセンスのみを、ひとつのストーリーの中に組み込んでいく(解説的要素も少しある)。漫画『資本論』では、19世紀のイギリスを舞台に、パン屋を営む主人公が、大規模なパン工場を作り、さらに郊外にスーパーマーケットを設立していく物語が展開される。主人公は「封建制」から自由になる手段として「資本主義」に救いを求めるが、その構造を理解することによって絶望する。220ページほどの読み切りの短さの中に、労働者の実態を描くのだが、ラストシーンでの、「(思考した元労働者である)主人公」と「労働者」との徹底的なすれ違いは圧巻である。

よく指摘されることだが、マルクスは「誰に宛てて」この『資本論』を書いたのだろう。当時の識字率、知識水準といったことがらを考えると、読者層はかなり絞られる。一方の講談社の漫画は、小学生でも読める。ごく一部の人間が理解し、それぞれの解釈が、わかりやすく説明されていたのが19世記、20世紀だったと考えると、漫画として流布するのは、同じ構図なのかもしれない。難解な古典が、漫画というエンターティメントになることで、安直な理解をもたらす危険性はあるだろう。しかし、解釈や描写の内容に偏りがあることなど、織り込み済みだ。それよりも、漫画のストーリーを通して現在の社会に置き換えて捉えられることこそが、漫画『資本論』の豊かな点である。

この「古典的な作品を漫画にする」という行為自体は、オペラの読み替え演出に似ている。オペラの読み替え演出と同様、「ひとつの解釈のかたち」を提示し、その演出について議論をすることができる。文庫の最後のページに「編集部では、この作品に対する皆様のご意見・ご感想をお待ちしております」と記されている。このようなことが書かれることは、普通の漫画にも、学習漫画にも無い。編集部は、待っているのだ。

オペラの読み替え演出は、旧東ドイツで始まった。日本では賛否両論ありつつ受け入れられているが、アメリカで流行らないのは面白い現象だ。話が飛躍するが、日本が、歴史上社会主義が成功した唯一の例だと言われることとも関係があるかもしれない。つまり、労働者に思考の機会を提供しているという側面である。漫画は、日本で広く受け入れられている文化である。旧東ドイツの「労働者」が、現代の自分たちの状況に置き換えてオペラを解釈したように、我々は、原作が漫画家によってどのように解釈されて描かれているのかについて、細部まで謎解きをしながら読み込む。同じ古典の「読み替え漫画」を比較してたのしむ。そんな、オペラの読み替え演出のような論争をおこす仕掛けとして「読み替え漫画」が広まれば、「古典」にとって、新現象となるかもしれない。

最後にひとつだけ。これほどの「作品」を提示しておきながら、「作者」の提示が希薄なのは残念である。たしかに漫画家の名前は載っている。しかし、1人で全てを担ったのか、チームだったのか、参考文献は何だったのか。古典をあつかう以上、最低限の情報は必要だろう。(シリーズには、これらが記されているものもある。)オペラの演出家がクローズアップされるように、「作者」としての漫画家も注目されてほしい。むろん、それが「講談社」としての存在であるなら、資本論的には愉快である。

(2021/5/15)