ヴォクスマーナ第45回定期演奏会|齋藤俊夫
ヴォクスマーナ第45回定期演奏会
Vox humana the 45th subscription concert
2021年3月18日 豊洲シビックセンターホール
2021/3/18 Toyosu Civic Center Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 平井洋 (Yo Hirai)
<演奏>
指揮:西川竜太
混声合唱:ヴォクスマーナ
<曲目>
萩森英明:『空間の経験』12人の声のために(委嘱新作・初演)
横島浩:『うれしい ひなまつり』(委嘱新作・初演)
松平頼暁:『Constellation 2』(2018委嘱作品・再演)
木下正道:『Soyez le bienvenu ようこそいらっしゃいました』詩:エドモン・ジャベス(委嘱新作・初演)
(アンコール)
伊左治直:『夜の楽語集』歌詞:新美桂子
次にどんな作曲家と作品が登場し、どんな世界が広がっていくのかを楽しみにして10年以上、ヴォクスマーナと筆者の付き合いももう随分長くなる。歌手と作曲家の技量と感性と知性には限界というものがないのか、と驚かされ続けてきて、底が見えた試しがない。さて、今回の演奏会では……?
萩森英明『空間の経験』、8人の歌手が指揮者を見ているのと、指揮者に背を向けているのとで交互に並んでおり、その前に椅子に座った歌手が4人指揮者の方を向いている。
透明感のある澄んだハーモニーで「豊洲文化センター」→「ゆりかもめ」→「豊洲保育園」→「深川消防署」と、会場の豊洲文化センターから次第に遠ざかった地名・施設を歌う。
立った8人歌手は歌いつつ、始めは舞台前方で近距離密集していたが、次第に舞台後方に扇形に広がっていく。そうなるとどうなるかというと、音響の広がりが増すのは当然ながら、歌の各センテンスの入りのタイミングとスピードが歌手ごとにズレるのである。意図せざるポリリズム、意図せざるヘテロフォニーとでも言い得るか、これが妙な味わい、深みを歌唱にもたらす。
歌詞の地名が豊洲から離れていって、ある地点からUターンして豊洲に戻っていき、歌手たちもゆっくりとセンターに戻って、全員が戻って終曲。地理的視点が合唱の題材になり、かつ美しく、かつ面白くなるのかと新鮮な気持ちを味わった。
横島浩『うれしい ひなまつり』、全く嬉しくも楽しくもないひなまつりだが音楽的に唯一無二のユニークさを持った作品であった。
プログラムノートによると「息を吸いながら発声する」「喉を閉めて発声する」といった特殊唱法で、「かっ」「くわっ」「こおっ」「ぐっ」という聴いててこちらが苦しくなる音があちらこちらから聴こえてくる。かと思えば「うおお!」「あああ!」と叫ぶ歌手もおり、鈴(りん)の音が不吉に鳴らされ、その中から「学校の」という文節が見え隠れ(聴こえ隠れ?)してくる。学校で何があったんだ?と思うもその回答は聴こえず、「歌うから聞いて」「歌うから聞いて」「歌うから聞いて」という言葉が増殖していって、鈴の音で了。こんなひなまつりはご勘弁願いたいと思いつつ、作曲者の発想力とヴォクスマーナの歌唱力に感嘆せざるをえなかった。
松平頼暁『Constellation 2』、始めは全員で波打つグリッサンドを歌い、その上下に単音節の声(プログラムノートによるとギリシャ神話やローマ神話の神々だったようだ)が散りばめられる。グリッサンドは手拍子、足踏み、トライアングルの音などの挿入で連続性を失っていく。そこから(プログラムノートによると)ケプラーの業績と太陽系の星々の紹介が、日本語と外国語との混淆したテクストで歌われ、語られる。意外、といってはなんだが、「美しい種々の旋律」が一聴するとランダムもしくはカオスな中から聴こえてくる。手拍子、足踏み、トライアングル、クラベスやグリッサンド歌唱が混じってもこの「美しい種々の旋律」の存在感は失われず、最後は(またしても意外なことに)終止形らしい音型の合唱で終わる。奇想のなかに光る美しさを湛えた作品であった。
プログラムでは最後の木下正道『Soyez le bienvenu ようこそいらっしゃいました』、歌手が舞台上に特殊な形で配置され、変拍子すぎて指揮が見るだに大変そうな作品であったが、なんという力に満ちた歌であったことか。
全体を記述するのは筆者には無理だが、なるべく客観的に記述すると、ほぼ同音型、多分同歌詞を各歌手が歌い継ぎ(つまり発声の位置パラメータが変えられ)、その歌を前景としてヴォカリーズや叫び声が空間を充填する。長いヴォカリーズの中、歌手があちこちで「レ・セ・ケ」(歌詞のどこに当たるのか筆者にはわからなかった)を反復し始め、多声部書法がとんでもないことになりつつクレシェンドし、頂点で全員で叫ぶように歌う。ここまでが本作で筆者が記述しえる作品の半分程度まで。
その後も12人12パートの多声部書法、しかも歌手の特殊配置によって位置パラメータが複雑に変化しつつ、ソロや和音や絶叫が要所要所で差し込まれる変拍子という、聴いているこちらも汗みずくになるほどの難曲。
最後は全体がデクレシェンドして「スワイエー」という歌詞(正確な歌詞はわからず)があちらこちらで反復され、声が次第に透明に昇華していって終わるか、と思ったら、喉を絞るような呻きで終曲した。
語りたいが語ろうにも語りつくせない凄まじい作品であった。
恒例の伊左治直のアンコール『夜の楽語集』は1950年代から1970年代の昭和歌謡を意識して、「パッパッパヤッパッパッパパーヤ」「ダバダーダバダー」「シュビドゥビシュビドゥバ」といったオノマトペが其処此処に入り、官能小説風のテキストの肝心な所(書くのがためらわれるような所)に音楽用語(これがタイトルの楽語)が入るという小洒落たもの。肺臓に大きな息が入るような心地して、楽しく演奏会を終わらせてくれた。
今回も、人間の発想に限界はない、という喜ばしい確信を得させてくれたヴォクスマーナと作曲家たちに心からの感謝と敬意を払いつつ、次の挑戦では何が起きるのか今から楽しみである。
(2021/4/15)