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西村朗 考・覚書 (9)日本万国博覧会1970|丘山万里子

西村朗 考・覚書 (9)日本万国博覧会1970
Notes on Akira Nishimura (9) Japan World Exposition, Osaka, 1970

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

1970年3月から半年間、大阪千里丘陵で開催された大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマとし、ロンドン(1851)以来アジアで初の国際博覧会であった。岡本太郎の太陽の塔をシンボルに77カ国が参加、国際機構、政庁、州、都市、企業など計116の展示館が広大な地に集った。テーマソングは『世界の国からこんにちは』で、作詞島田陽子、作曲中村八大、歌手がこぞって競作、とりわけ三波春夫盤は140万枚のミリオンセラーとなった。日本の高度成長期の頂点を体現するかのその明るい歌声は、筆者の耳にも残っている。
一方で安保闘争、よど号ハイジャック、三島由紀夫自決などの騒乱が不穏な空気を漂わせてもおり、西村によれば「とにかく世の中、落ち着きがない。一方で万博やって、その横では万博反対運動というのがある。太陽の塔の目玉の中に居座る輩が出てきたりとか、とにかく揺さぶられる時代でした。何か日本全体がちょっと狂気へ向かうような世相になっていると僕には映っていましたね。その時代にもまれたというのは僕にとって大きな精神的刺激となって、後に引くことになったと思うんです。」1)
そうした空気の中、祭の大太鼓が轟き渡っていたわけだ。

西村は中学で知り合った友人から現代音楽の最先端を知る。ピアノはツェルニー30番段階であったものの、ベートーヴェンからバルトークにまで迫っていた彼の音楽愛好史が、ここで一気にペンデレツキ『ルカ受難曲』にまで飛ぶのだ。情報源は『音楽芸術』やNHK-FM『現代の音楽』(1957~)だった(のち西村は2003~2009、2015~現在まで解説者を務める)。
三善晃『交響三章』に感激、武満徹『テクスチュアズ』も不可思議で神秘的な印象を受けた。クセナキス、リゲティらを知ったのもこの頃だ。
大阪は1963年から《大阪の秋》国際現代音楽祭を開催しており、ルトスワフスキ、ペンデレツキなど、東欧圏の作品の紹介に力を入れ、欧米前衛路線とは異なるカラーを打ち出す。同時に、ストラヴィンスキーやバルトークなど現代音楽に親しみやすい作品も織り込んで聴衆を集めた。西村が現代音楽に目覚めた中高生期には、海外のほか日本の作品も多く演奏され、67年《室内楽ー日本の作品》として黛敏郎『阿吽』、諸井誠『竹籟五章』、入野義朗『二面の箏と十七絃のための三楽章』などが並んでいる。68年にはドイツ特集としてベルント・アロイス・ツィンマーマン『一楽章の交響曲』などを紹介、翌69年は《東欧と日本人の作品》をテーマに松村禎三『管弦楽のための前奏曲』、松下眞一『北極交響曲』が取り上げられた。松村の音楽との出会いの衝撃はすでに前稿で述べた通り(「震えるほどの感動をおぼえた」)。
万博での現代音楽体験は、むろん大きな刺激ではあったが、その耳の下地はすでにできていたと言って良い。

70年大阪万博会場は現在、万博記念公園になっている。
当時の現代音楽シーンをとりわけ鮮烈に提示したのは太陽の塔(テーマ館の中心で当時は地上、地下、空中の3空間から構成)が天を突くお祭り広場と鉄鋼館で、この2つは今なお健在だ。太陽の塔の前には太陽の広場の青々とした芝生、背面にお祭り広場が広がり、各種イベントに使用されている。
筆者が訪れたのは先月3月末で、コロナの最中であり(だが、桜満開で家族連れ、おまけに春休みとあってウィークデイにもかかわらず中高生があちこち群れており、なかなかに危険であった)、イベントなどもってのほかゆえ、ただただ広いスペースがあるだけで何もない。おそらく、このシーズンでなければ人の賑わいもなく、ガランとした空間が広がるだけであったかもしれない。
この広場での開会式(3月15日)には三善晃『祝典序曲』、佐藤勝『ファンファーレ』が鳴り響き、《音と光のファンタジア》では黛敏郎企画構成の『世界の祈り』が上演された。秋山邦晴のディレクションにより松下真一『太古の音楽』『夢と瞑想の音楽』、松平頼暁『おはよう音楽』『杖はひるがえり』、夜のイベントには小杉武久、一柳慧の音楽が流れた。
コンピュータ制御のテープ音楽を1000個のスピーカーで鳴らしたこの広場は、日本の最新テクノロジーと現代音楽のコラボという最先端実験シーンでもあった2)
当時の音源はほとんど残っていないようだが、秋山邦晴が採った貴重な記録をCD化したのが『松平頼暁 他 “大阪万博お祭り広場・夜のイベント” CD』。以下、その内容を、CDショップ OMEGA POINTのHPから引用しておく(sound fileで一部を聴くことができる)3)

tr.1 旗、旗、旗と光の広場
これは具体美術協会のメンバーがいろいろな旗を作って、その旗を持って歩くイベントであった。万博の音楽ディレクターだった秋山邦晴が記録した実況録音である。その音楽は、ジョン・フィリップ・スーザ「美中の美」(1908年)を始めとするマーチの断片が次々と現れ、やがて電子音を含む音響や変調音によってそれらは暴力的にかき消されてしまう。さらにマーチはミュートされ、電子的な音響のみが流れるようになる。
松平頼暁は「歩くんだから行進曲をやってくれって言うんです。それで、行進曲のレコードを回しながら、例えばレコードのメロディの部分をカットしてリズムだけ聴こえるようにした上に、キーボードで即興演奏をして、更に全体に変調をかけるなんていうことをやったわけです」と述べている。

tr.2 ビームで貫通
イベントの正式名称は「ビームで貫通、マッド・コンピューター、ミニマル・サウンド・オブ・ライダー」。ディレクターだった吉村益信によれば、『ビームで貫通』というのは、スケール・アウトな広さのお祭り広場において、サーチライトの光のビームでお客さんの体を貫き通してやろう、という意図であった。また浜田によれば、「ミニマル・サウンド・オブ・ライダー」はオートバイのショウと、内田裕也とフラワー・トラベリン・バンドのショウを重ね合わせたロックンロール・ショウであった。
松平の自宅には「ビームで貫通」の素材と思しきテープが3本ほど残されていたものの、これらの素材の制作に松平は関与していなかったとのことである。これらの素材がどのようにして「ビームで貫通」にて使用されていたのかも不明であるが、これらのテープをもとにして「旗、旗、旗と光の広場」のように、松平がライブ・エレクトロニクス的な操作を施して上演されていたのかもしれない。(ライナーノートより抜粋)

先駆的実験というより先端テクでのお遊び気分で、お祭り広場にふさわしくはあったのかもしれない。
高2の西村はこの「お祭り」に何を感じたろうか。
巨大祭典の「跡地」というのはどこも何がしの空疎を抱えているものだが、そこに立ってみると改めて「現代音楽の黄金期」の噴き上がる熱気とその後の凋落を実感もしたのであった。

太陽の塔を中心とするテーマ館のディレクターは黛敏郎。それぞれの展示に照応し、地下スペースには松村禎三『祖霊祈禱』、地上、空中スペースは一柳慧のコンピュータ音楽『ミュージック・フォー・リヴィング・スペース』、テープ音楽『マンダラマ』が流れた。
現在は撤去され、塔がそびえるのみ(塔内部の参観は可能)。

残った唯一のパビリオンである鉄鋼館(総合プロデューサー前川國男)は桜並木の傍にあるが、訪れる人もなくひっそりと静かだ。なぜ残ったかといえば、それが音楽堂として建設されたからである。
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/steel/
内部に1008のスピーカーを装備したスペース・シアターで、担当芸術プロデューサー武満徹のコンセプトを『樹の鏡、草原の鏡』(新潮社)から引用する。

まず、固定された客席という観念を、コンサート・ホールの構造からなくそう。
そして、コンサート・ホールの空間構造は、質的に異なった無数の空間が重層している状態として想像されるべきである。
すると、固定された音源(複数)と演奏の場(複数)は、それぞれに可動な状態として考えられなければならない。
そして、音像の移動(Space running)は、点から点への線的な移動ではなく、面としての交錯が要求されてくる。日常の生活空間が示唆する多くのことに眼を向けよう。
たとえば、地球上での時差、異なる時間帯(Time Zone)を、コンサート・ホールの空間に設定して考えることは不可能であろうか。
聴衆をつつむ多くの音の層は多面な運動体としてあり、聴衆はその音のスペクトラムと時間帯を通過する旅行者になる。
新しいコンサート・ホールは、客席とステージとに単純に区別されていた量的空間を、一つの質的空間へ変質させる器官なのである。p.113

もっとも、武満はそれから5年後、『スペース・シアター Expo’70 鉄鋼館の記録』録音盤のノートでこの企画に関わったことへの後悔を述べている(すでに拙稿コラム『カデンツァ』で少し触れた)。以下、その言葉だ。

「当時私は、万国博について、その実現は日本の情況にそぐわないものであり、また芸術家は国家によってコントロールされる行事に妄りに協力すべきではないという考えを持っていたので、前川氏からの要請をかなり永いこと拒んでいた。」
けれども引き受けたのは、「スペース・シアターが万博終了後も公共施設として存続するという特殊なものであること」、さらに「スペース・シアターはたんに劇場として新しい機能を備えるだけでなく、従来の劇場でなされる音楽の授受の関係を根本的に革める新しい“場”になるという確信を持ったからである。」p.113

だが、終了後、このスペース・シアターが新しい公共の場として実用されることはなかった。武満らの要請を無視、日本万博協会も日本鉄鋼連盟(パビリオン企画者)もただこの場を放置したという。

その放置後の今。


パビリオンの2階ガラス越し、階下にスペース・シアターはあった。観覧スペースには説明ビデオが流れ、当時の雰囲気を映像でも伝える。スペース・シアターでは、高橋悠治『エゲン』とクセナキス『ヒビキ・ハナ・マ』が再現され、クセナキスは「12チャンネルと800のスピーカーのための電子音楽作品」との説明。


ガラス越し全体の俯瞰しかできないが、当時は、この場を人々が自由に行き交ったのだろう。レーザー光線のカラフルな色彩の変化、点滅、光源の飛翔....。
筆者は昨今の映像と音楽のコラボを想起、ほとんど変わらんではないか、と思ってしまった。何より、天蓋に浮かぶ球状マイク群(ドローンみたいに見える)の光景が、昨年日フィルと落合陽一のコラボで見た映像の一部に酷似しているのに衝撃を受ける。
いったい「新しさ」とは何なのだろうか。

西村はこの万博体験での印象を、やはり鉄鋼館が最も大きかったと語っている。
「クセナキス、武満徹、高橋悠治...。光がとにかくやって来る。これを避けながら...。余談ですが、レーザーの専門家に後で聞いたら、やっぱりよくないそうですね。弱いレーザーとはいえ、目に受けない方が安全だということでした。」『光の雅歌』p.31
続けて、レーザーは強めて行けば鉄板でも切れるほどだ、とその危険性に言及する。
筆者の階下俯瞰感覚でいえば一種のネオンがついたり消えたり流れたり飛んだり、に音が鳴っている、ぐらいだが、実際、その交錯の中で動き回っていれば全く異なる体験になったろう。
帰京し、立川の国文学研究資料館で開催中の『ないじぇる芸術共創ラボ展「時の束を披く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―」』に出かけ、WOW(日フィル×落合コラボの時の映像担当)の展示前でその画像の流れの速さに眩暈を覚え気分が悪くなったことを考えると、生理的に無理ではあろうが。
西村のレーザーを「避ける」反応は、その種の人工性への本能的な回避なのかもしれない。それは、彼が小学校の校庭で感じた光「いい天気で、光がきらめいている」(本稿(2))とは当然、異なる。筆者は西村作品のタイトルの「光」の多さから「光フェチ」と述べたが、人工光線飛び交うスペース・シアターでの彼の反応を興味深く思う。
ちなみに立体音楽堂としての形状と視覚特性を考慮して作曲された高橋の『エゲン』は、サウンド・アーティストであるフランソワ・バッシュの楽器彫刻や木管楽器の響きが素材として使用され、作品構成には IBM360コンピュータ上のプログラムを用いている4)
現況、もちろん音楽も流されてはいるのだが、遠くで鳴っている感じでリアルさはない。
一方、クセナキス『ヒビキ・ハナ・マ』は、オーケストラの音を素材としたミュージック・コンクレートで、12チャンネルによる空間音場の創出は、音質、音量両面で圧倒的強さを誇ったそうだが、こちらも中に入らねば体感できぬもの。

ただ、高橋作品よりは「めざましい」感はあった5)
ここでは武満『クロッシング』も演奏され、また4日間にわたる特別企画《今日の音楽》ではライリー『イン・C』が日本初演されている。ケージ、ベリオ、グロボカール、フォス、スカルソープらの音楽も提示され、ピーター・イェーツ司会の討論会も行われた。無論、日本の作曲家も多数参加、「不確定性」を中心に活発な議論がなされた。

他に西村が挙げているのは西ドイツ館。
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/germany/
こちらは半球形ドームが特徴的で、展示はすべて地下という設計だった。もちろんドームはもうない。この音楽堂オーディトリウムはシュトックハウゼン考案で、彼の「空間音楽 Musik im Raum」を反映させたものであった。会期の前半はほぼ連日出演、『 螺旋 Spiral』『ツィクルス Zyklus 』『ポーレPole 』『 エクスポ Expo 』を演奏したという。ドイツの誇るコンピュータ制御台に向かう彼の姿はドイツ前衛の雄そのものであったようだ。なお、『マントラ』はこの来日時、京都や奈良の古寺にインスピレーションを得て構想された作品である。

もう一つ、挙げているのがせんい館。
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/textiles/
松本俊夫の映像・光・音のプロジェクトに湯浅譲二『スペース・プロジェクションのための音楽』が作曲された。ここに西村は何度も足を運んだと言っている。「人形から音がぽこぽこ出るようなのがあったりとか。」6) おそらく『ルネ・マグリットの男の音楽「人形Aその1」「人形Aその2」』であろう。
湯浅と西村の対話『未聴の宇宙、作曲家の冒険』(春秋社)には、当時についての興味深いやり取りがある。万博で「メジャー」だったのは武満、湯浅、松平ら「いわばアウトサイダー」で自分が目指している芸大系の作曲家の仕事があまり見当たらなかった、という西村の言葉に、湯浅はこう応じている。 「なぜかというと、僕らは他の芸術分野の前衛の人たちと協力していたからなんですね。その人たちはむしろアウトサイダーなんですが、すごく有名になっている人ばかり。横尾忠則とか、松本俊夫とか。要するにアンチ・アカデミズム、本当にアウトサイダーもいいところで、そういう人たちと一緒にやったからできたということだと思うんです。」p.79
こうしたシーンに関しては、大阪万博50周年記念としてこの2月に開催された記念展覧会で、音楽評論家・音楽プロデューサー西耕一の精査による貴重な資料などが展示された7)。筆者は見逃してしまったが、このパビリオンでの湯浅の音楽も西の手によってCD化されている8)

内外の現代音楽最先端の結集に西村は何を見たか。
大阪万博に出かける前に氏に尋ねたところ、以下の答えをいただいた。

武満からの影響は、最初期作の『オーケストラのための耿(こう)』(1970)に映じている。
大阪万博は黄金の60年代アートの総まとめイベントとして、まだ高校生の自分にもとても大きな影響を与えた。特に抽象性の高い前衛手法、コンセプト追求、あるいは新ロマン主義的な根源的テーマ設定、テクノロジーとのコラボ、多種の異文化混淆などなどに目も眩む思いだった。

現代音楽関連のパビリオンで言えば、鉄鋼館、西ドイツ館、せんい館は強く印象に残っている。すぐには作曲に反映させられなかったが、拙習作『Removes for Orchestra』(1972春)や『弦楽四重奏曲』(1973春)には武満とシュトックハウゼンが混在したような奇妙な心理的技術的影響の痕跡が見られる。

後日談だが、万博跡地の国立民族学博物館を特集したNHK-BSの番組に出演(1993年4月収録)、そのときの特にインド古典音楽に関するタゴール先生(かの大詩人のご親戚で大阪における日印文化交流の貢献者、音楽を含む芸術家)のご高説(インド伝統音楽の女性的性格、宇宙的な母胎性)から極めて大きな影響を受けた。千里丘は2つの面で時を置いて啓発を受けた場所である。

1973年、芸大作曲家を受験し入学した時、そこは非常に静かで、大阪万博の興奮の余熱は微塵も感じられなかった。入試の面接で、興味のある作曲家と作品を教授陣から問われた時、シュトックハウゼン、クセナキス、武満とは言えずに、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲と答えたのを覚えている。入学してすぐに、万博余熱の、微分音による前衛的な弦楽四重奏曲を書き、コンクールに落ちて、芸大では試演してもらえそうにないので、桐朋学園に出向いて凄いメンバーにお願いした。
第1ヴァイオリンは河津偕子(白尾偕子)さんで、チェロは山崎伸子(高校生)さん。指揮は西村、譜めくりは堤俊作さん。
懐かしい思い出です。

万博は世界各国の多様な文化の陳列でもあった。
最新テクノロジーの誇示と同時に、文化の多様性に耳目を拓く場でもあったのだ。西村が後日談として語るインド古典音楽、舞踏もまた、鳴っていた。それが彼の耳に届いたかどうかは別としても、時を経て彼はそこに引き寄せられてゆく。
今風に言うなら、万博は一つのテーマパークで、遊んだ高校生の若い感覚は、集った最前線の作曲家たち(当時30~40代)とは異なる世界観を、おぼろげにでも掴んだように思う。
当時の華々しい前衛に目くらむ思いをしたものの、その「前衛性」からはすぐに抜け出したのではないか。
武満の影響を受けたという『耿』のスコアは筆者の手元にある。
次回はそこから話を始めたい。

1) 『光の雅歌』春秋社p.27
2) 以下、万博に関する記述は『日本戦後音楽史 上』(日本戦後音楽史研究会編)を参照する。
3) OMEGA POINT
http://omega-point.shop-pro.jp/?pid=152997765
4) 『日本戦後音楽史 上』p.475
5) こちらで視聴できる。
http://brassamplifier.blogspot.com/2016/09/expo-70.html
6) 『未聴の宇宙、作曲家の冒険』春秋社p.79
7) 大阪万博解体新書 2020/2/7@ SUPER DOMMUNE、2/16 @T-LOTUSM
大阪万博50周年記念展覧会 2020/2/15~24@天王洲T-ART HALL
https://www.dommune.com/streamings/2020/020701/
8) 湯浅譲二/EXPO’70「せんい館」のための音楽(40ページ解説、8ページ写真集つき)
https://www.3s-cd.net/2021-0228/

参考資料)
◆書籍
『光の雅歌』西村朗&沼野雄司 春秋社
『日本戦後音楽史 上』(日本戦後音楽史研究会編)平凡社/2007
『未聴の宇宙、作曲家の冒険』湯浅譲二、西村朗 春秋社/2008
『樹の鏡、草原の鏡』 武満徹 新潮社/1975

◆CD
『松平頼暁 他 “大阪万博お祭り広場・夜のイベント”』
http://omega-point.shop-pro.jp/?pid=152997765
『湯浅譲二/EXPO’70「せんい館」のための音楽』
https://www.3s-cd.net/2021-0228/
『スペース・シアター Expo’70 鉄鋼館の記録』
https://www.colors-chords.com/products/detail.php?product_id=149
◆Youtube
カールハインツ・シュトゥックハウゼン :‘Spiral’
ヤニス・クセナキス:‘Hibiki Hana Ma’ (響き・花・間)
一柳慧: ‘Music for Living Space’

『西村朗考・覚書』(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)

(2021/4/15)