Menu

ワーグナー作曲 歌劇《ローエングリン》|能登原由美

ワーグナー作曲 歌劇《ローエングリン》
Wagner “Lohengrin” Opera in 3 Acts in German with Japanese supertitles

2021年3月6日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホール
2021/3/6 Main Theatre, Biwako Hall, Center for the Performing Arts, Shiga
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:びわ湖ホール

全3幕 ドイツ語上演 日本語字幕付
〈セミ・ステージ形式〉

作曲・台本/リヒャルト・ワーグナー        →foreign language

指揮/沼尻竜典
ステージング/粟國淳

〈キャスト〉
ハインリヒ国王/妻屋秀和
ローエングリン/福井敬
エルザ・フォン・ブラバント/森谷真理
フリードリッヒ・フォン・テルラムント/小森輝彦
オルトルート/谷口睦美
王の伝令/大西宇宙
ブラバントの貴族I/谷口耕平
ブラバントの貴族II/蔦谷明夫
ブラバントの貴族III/市川敏雅
ブラバントの貴族IV/平欣史
小姓I/熊谷綾乃
小姓II/脇阪法子
小姓III/上木愛李
小姓IV/船越亜弥

管弦楽/京都市交響楽団
合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル

 

敢えて冒頭から個人的見解を言わせてもらおう。このオペラをならしめているもの、それは、自らの救済を女性に求めたワーグナーの欲望である。少なくとも、私にはそのようにしか見えない。もちろん、当時の社会的・思想的コンテクストの中にこれを置いて、ナショナリズムだの革命だの、奇蹟、信仰、芸術の至上性だのとあげつらうことはできるだろう。けれどもっとも重要なモチーフである「禁じられた問い」―それは、男性から女性に突きつけられたものだ―の説明となると、どうしても腑に落ちない。どのように言い繕っても結局、自己愛の強い男が生涯の伴侶となる女に求めたエゴに過ぎないのではないかと。

とはいえ、ここは作家論、作品論を展開する場ではない。あくまで、公演についてレビューするところだ。この話は後ほど触れることとして、まずは今回の上演について述べたい。

コロナ禍ゆえに制約は多かった。セミ・ステージ形式(ステージングは粟國淳)、歌手は距離を保つべく離れて立ち、多少の移動や接近はあるものの身体的な接触はない。舞台背後にあるスクリーンに情景などを投影し場面を補足するが、中央にオーケストラがいるためか、あるいは舞台上の人物がそれぞれの島の上で前を向いて歌うためなのか、映像も音楽も今ひとつ融合しない。最初の奇蹟となる白鳥の騎士(ローエングリン)の登場や、その素性や出自を疑わないという「禁じられた問い」の提示もどこか空々しい。空虚を音楽で補うには個々の世界が屹立しすぎて、相互の関係性や繋がりが弱いのだ。第1幕が冗長に感じられたのも、それが理由のひとつかもしれない。そうした中で、伝令役の大西宇宙のメリハリある歌唱が印象に残った。

全体が一つに収斂し始めたのは第2幕。エルザとオルトルートが対峙する場面から。オルトルートの嫉妬と怨嗟、エルザの心に芽生え始める疑念など、2人の女性の感情が絡み合い、音楽にも動きや流れが出てきた。なかでもオルトルートを演じた谷口睦美が素晴らしい。当初は声にも演技にも硬さが見られたが、対決が進むにつれ役の中に入り込み、エルザに懐疑と不安をもたらすと同時に、禁問を発するよう唆す妖魔の役割を見事にこなしていった。

一方、その第2幕の最後、エルザがオルトルートの誘惑を払いのけローエングリンへの愛を誓う場面は、このプロダクションの性格を決定づけるものとなったのではないか。というのも、私の記憶が正しければ、エルザは自らの愛の対象が結婚を誓った騎士その人ではなく、「遠いところにある」と歌った(邦訳されていた)。同時に、カテドラルのステンドグラスが背後に映し出され、エルザの試練が婚約者の喪失ではなく自らの信仰の危機として強調されることになったのである。エルザ役の森谷真理の清澄な歌声も、この言葉に霊性を与え、いわば「信仰宣言」のような趣が備わった。

もちろん、この解釈は全く目新しいものではない。が、すでに第1幕で露わになったように、この演出においては人々が互いに孤立し、人間相互のダイナミズムや緊密性はむしろ後景に退いていた。つまり、もともと希薄であったエルザと騎士の関係性はその後も深まることがなく、むしろこの第2幕の結果、信仰を通じた個と神との関係性が前面に浮かび上がってきたのである。第3幕においてエルザはついに禁問を発し夫を失うが、彼女を絶望の淵に追いやったのは、神の御前で誓った結婚の破綻と、自身の信仰の躓きだったのではないだろうか。

この上演が問いかけたのはそれだけではない。騎士が白鳥とともに去り、一連の物語は幕を下ろす。残されたエルザはなすすべもなく一人打ちひしがれ、対照的に不気味な笑いを浮かべるオルトルートの姿は、舞台を超えてこちら側にも多くの示唆を与える。というのも、コロナにより共同体からも信仰からも切り離されつつある現在の我々が重なって見えたのだ。解決を見ないまま宙に放り出されたエルザのごとく、我々になすすべはないと嘲笑うかのように。

一方で、オペラの題材が現代社会に投げかける意味についても、改めて考える必要があるだろう。我々が今直面しているのは、ウィルスの問題だけではない。

というわけで、冒頭の話に戻ろう。

白鳥の騎士、すなわちローエングリンがエルザに出した要求は、「自らの素性も名前も問わない」こと。要するに、自らの存在そのものを愛するという「絶対的な愛」だ。この点だけをみれば、ロミオとジュリエットまがいの純粋な恋愛ドラマとも思えるが、一方で、夫となる男への「盲信」を要求する作者の欲望に過ぎないとも思えてしまう。もっと言えば「絶対的服従」である。もちろん、その「絶対的愛」は、本プロダクションで示されたようにキリスト教への帰依とみなすこともできる。とはいえ、ジェンダーに関する議論がかつてないほど熱を帯びる今、禁問を破ったエルザの行動についても両者の関係性についても、これまでとは違う見せ方が出来ないものか。つまり、エルザの葛藤の根源は女性に非力を求める伝統的価値観の呪縛にあったのであり、彼女を妄想から覚醒させたオルトルートこそ救済者であったのだと。そもそも150年も前に作られた作品。多額の費用をかけて上演する理由の一つは、そこに内在する様々な要素から今日的意義を見いだし、目の前にいる観客に提示することでもあるのだから。

(2021/4/15)


—————————————
Wagner “Lohengrin”
Opera in 3 Acts in German with Japanese supertitles
Music & Libretto:Richard Wagner

Conductor:Ryusuke Numajiri (Artistic Director of Biwako Hall)
Staging : Jun Aguni

〈cast〉
Heinrich der Vogler, Deutscher König:Hidekazu Tsumaya
Lohengrin:Kei Fukui
Elsa von Brabant:Mari Moriya
Friedrich von Telramund:Teruhiko Komori
Ortrud : Mutsumi Taniguchi
Der Heerrufer des Königs : Takaoki Onishi
Vier brabantische Edle I : Kohei Taniguchi
Vier brabantische Edle II : Akio Tsutaya
Vier brabantische Edle III : Toshimasa Ichikawa
Vier brabantische Edle IV : Yoshifumi Taira
Vier Edelknaben I : Ayano Kumagai
Vier Edelknaben II : Noriko Wakisaka
Vier Edelknaben III : Airi Ueki
Vier Edelknaben IV : Aya Funakoshi

Orchestra:City of Kyoto Symphony Orchestra
Chorus:BIWAKO HALL Vocal Ensemble