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ハルまちフェスティバル「Musical 地下鉄1号線 The new world」|田中 里奈

ハルまちフェスティバル「Musical 地下鉄1号線 The new world」
Haru Machi Festival, Musical Linie 1: The new world

Text by 田中 里奈 (Rina Tanaka)

 

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「本来、あるはずだった時間が失われてしまったことを、どのように受けとめるのか」
ここ1年のうちに、数多の公演が延期や中止になった。チケットぴあの「公演中止・延期・公演内容変更のお知らせ」iページに掲載されたリストを見れば、延期または中止された公演数の夥しさは一目瞭然だ。また、個々の公演を文字情報としてではなく視覚的に見るプラットフォームとして、早稲田大学演劇博物館によるオンライン展示「失われた公演――コロナ禍と演劇の記録/記憶」iiがある。この展示では、新型コロナウイルス感染症の影響で延期・中止された公演を広範に調査し、収集した公演関係資料の一部(特に公演チラシ)をオンラインで公開している。「本来、あるはずだった時間が失われてしまったことを、どのように受けとめるのか」――上記の見出しに挙げた言葉は、「失われた公演」展の「ごあいさつ」より抜粋したiii

カメラやマイク、またはその両方を使って、演劇や演奏会、パフォーマンスといったメディアを記録(または中継)すれば、果たして公演は「失われ」ないのだろうか。いや、そんなことは無いと私は思う。

無観客公演や配信を最初から念頭に置いて作った作品と、そうではなくて、もともと有観客で上演しようとしていた作品を無理して配信することの間には、大きな隔たりがある。舞台芸術に共通した根本的な問題は、これらの表現方法が基本的に対面で、演者から受け手に届けようとすることに端を発している。とすれば、たとえ、その上演が事前にプログラミングされた内容を完璧に再現するものであったとしても、作り手や受け手の作品への関わり方は、メディアを介することで本質的に変わってしまう。それは、オリジナルと複製の関係というよりもむしろ、動画の編集による加工や、配信におけるインターネット回線の強度、画面越しにパフォーマンスを見ることに慣れていない私たちの感覚といった諸要素が複雑に絡み合っているために起こる変化だろう。何が言いたいのかというと、上演をアーカイヴすること自体が難問だということだ。

ハルまちフェスティバル「Musical 地下鉄1号線 The new world」
それはさておき。2021年3月21日、私は大阪にいた。2月から3月にかけて大阪で行われたハルまちフェスティバルのプログラムとして上演されることになった、ドイツ語ミュージカル『地下鉄1号線 Linie 1』、の大阪バージョンを見るためだ。

『地下鉄1号線』初演版CD(キャプション)

『地下鉄1号線』は、ドイツ・ベルリンのGRIPS Theaterで1986年に初演されたミュージカルだ。一般的には、ブレヒトの『三文オペラ』の次に成功したドイツ・ミュージカルとも言われる(『三文オペラ』をミュージカルに含めていいのかとか、隣国オーストリア発の『エリザベート』をドイツ「語」ミュージカルに勘定すればいいのにとか、この括りにもいろいろツッコミどころはあるのだが)。初演版は、東西に分断されたベルリンを横断する地下鉄1号線を舞台にして、移り行く当時の社会を多様に描き出している。

面白いのは、『地下鉄1号線』の国際的な展開だ。1994年にキム・ミンギによるソウル版が制作されたほか、香港版やカルカッタ版、ヴィリニュス版といった地域版が数多く作られている。それもこれも、世界各国の都市における地下鉄1号線が必ず社会の変化とともに現れ、あるいはその変化に大きく影響を受けながら運行してきたからに違いあるまい。

今回のバージョンは「The new world」。「新世界」や天王寺を舞台にした翻案が施されるとともに、書き下ろしの音楽が付いている。もとのベルリン版がローカル成分多めなので、地域版では現地アーティストによる再創作が行われる習わしだ。出身や専門の多様なアーティストから成り立ったアンサンブルによって演じられるキャラクターは、立ちんぼや大阪のオバちゃんから、ベルリン版の地下鉄1号線の終着点・クロイツベルク出身の人物までさまざまだ。上演時間を1時間に収めるべく、ある程度簡略化されてはいるものの、この作品にとって重要な点は、会場となる地域社会をどのように上演に反映し、観客がそこに何を見出すかにある。

舞台はまちなか、そして荒天
そこで注目すべきは、The new world版の会場だ。劇場内ではなく、屋外での公演なのだが、観客は天王寺動物園前に集合し、大阪市立美術館前までの道のりで上演に遭遇する。天王寺公園の人々の中に紛れている演者たち(もちろんめいめいにマスクを着用している)のパフォーマンスを観るだけでなく、彼らの声にならない言葉や歌声、そしてオーケストラによる演奏を、観客はワイヤレスヘッドホン越しに聞く。近年で言えば、2018年の東京芸術祭に招聘されたバック・トゥ・バック・シアターの『スモール・メタル・オブジェクツ』(池袋西口公園特設会場)でも同じ手法が用いられていたことを思い出す。イヤホンを付けて周囲の音を遮断した状態で、イヤホンから聞こえてくる音と雑踏の中の人々とを結び付けていく行為は、覗き見の愉しさと、文脈を能動的につなぐ体験レベルの強さとが同居している。

雨の通天閣(筆者撮影)

新世界を舞台にした作品が本場で、しかも街中で上演されるとなれば、そりゃあ、配信よりも対面で観たい。観客の人数は数十名に制限されていたので、素直に抽選に応募したところ、運良く当選を果たした……のだが、通天閣が見えてきた頃には、突風の吹き荒れる嵐になっていた。

11時の回は演者も観客も傘を差して上演に臨んだと聞き(野外公演ということで、雨天時の演出や振付も練習済みだったiv)、雨合羽を装備し、見た目は半ば台風のお天気アナウンサーである。そんな状況で会場に向かっていたところ、見知らぬ番号から電話がかかってきた。「昼の公演は荒天のため中止になりました」。夕方の公演が実施されるとなれば、そちらの回に振り替えてもらえると聞き、しばらく粘る。しかし天候は回復せず、夕方の回も中止となった(後日、3月20日のゲネプロを撮影した映像がYouTubeで公開されたv)。

収束点ではなく通過点として
「本来、あるはずだった時間が失われてしまったことを、どのように受けとめるのか」。この問いに立ち戻った時に思い出されるのが、劇作家の岩井秀人が、初日の幕が開かない状態での創作活動に関して尋ねられた際に発した次の発言だ。

僕は作品を上演できなくても作り手としての最低ラインは達成できると思っているんですね。(…)誤解がないように伝えるのが難しいのですが、僕にとっての演劇は「お客さんがいること」が絶対じゃない。稽古場で俳優とやり取りをする中で生まれるもののパーセンテージが自分の中で非常に大きいんですvi

もちろん、観客の前でパフォーマンスを行うことがもたらす創作上の恩恵は計り知れない。上演には、美学上の意義に限らず、助成金やスポンサーを獲得するための「成果」という一面もあるので、一概に断ずることはできない。だが、岩井がインタビューの中で言及しているように、制作や稽古の段階でのやり取りがすでに創造的だとすれば、私たちがごく当たり前に「作品」として捉えていたのはごく一部分でしかない。

もっと広い範囲を「作品」としてみなすとき、「中止になった公演」は収束点ではなく通過点になる。そのように芸術活動を評価し、支えていこうとする立場の表明は、成果に対してだけでなく、そこに至るまでの創造活動に対して補助しようとするシステムについて考えることにもつながるだろう。

公演が中止になったことは非常に残念だった。けれど、「中止になった公演」について記録を残すことも、「それを観に行ったことで得た充実感」について語ることも、あとから振り返ってみたときの標として意義のあることなのだと思う。失われてしまった機会は、そこから何も生まれないのではなく、そこから何かが生まれるのだろう。

(2021/4/15)

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ハルまちフェスティバル「Musical 地下鉄1号線 The new world」
大阪市・天王寺公園
2021年3月21日11:00/13:30(*)/16:00(*)
*荒天のため中止

原作:フォルカー・ルートヴィヒ『Linie 1』
翻訳・台本:市川明(大阪大学名誉教授)
翻案・演出:中立公平
作曲・編曲・指揮: 西村友
演奏:Osaka Shion Wind Orchestra
衣装アートワーク:白子 侑季 (シラコユウキ) / SHIRACO WORLD (シラコワールド)
メイクアップアーティスト:吾郷泰英

出演(掲載順):万姫、森田かずよ、甲賀雅章、C-ma.Mia、恵奈、松岡優香、真珠白子、西村友花、マリー・ハーネ、Haruki Usuda、福本佳、渡辺帆夏、山中葉幸、Dani、春野恵子、小山知香、破運陀王常

共催:一般社団法人KIO
協力:特定非営利活動法人 まち・すまいづくり
特別協力:ゲーテ・インスティトゥート大阪・京都

(註)

  1. チケットぴあ「公演中止・延期・公演内容変更のお知らせ」https://www.pia.co.jp/t_pia_info/real/
  2. 早稲田大学演劇博物館・演劇映像学連携研究拠点「失われた公演――コロナ禍と演劇の記録/記憶」2020年10月7日公開(随時更新中)、オンライン展示。https://www.waseda.jp/prj-ushinawareta/
  3. 「ごあいさつ」(早稲田大学演劇博物館・演劇映像学連携研究拠点「失われた公演――コロナ禍と演劇の記録/記憶」)。https://www.waseda.jp/prj-ushinawareta/about/
  4. 公演当日と終演後、翻訳・台本の市川明にお話しを伺った。
  5. ハルまちフェスティバル「Musical 地下鉄1号線 The new world」https://www.youtube.com/watch?v=kB6j9TeQyXo
  6. Spice「ハイバイ『投げられやすい石』岩井秀人にイロイロ聞いた~「作品の時代性とか1秒も考えたことないです、マジで」」、2020年11月14日。https://spice.eplus.jp/articles/278495