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アンサンブル九条山 コンサート・vol.11|大田美佐子

アンサンブル九条山 コンサート・vol.11
Ensemble Kujoyama concert vol.11

2021年3月26日 豊中市立芸術文化センター多目的室
2021/3/26 Toyonaka Performing Arts Center Multipurpose Hall
Reviewed by 大田美佐子(Misako Ohta)
写真提供:アンサンブル九条山

〈出演〉
上⽥希 Nozomi Ueda(クラリネット)
⽯上真由⼦ Mayuko Ishigami(ヴァイオリン)
福富祥⼦ Shoko Fukutomi(チェロ)
畑中明⾹ Asuka Hatanaka(打楽器)
森本ゆり Yuri Morimoto(ピアノ)
太⽥真紀 Maki Ôta(ソプラノ)
若林かをり Kaori Wakabayashi(フルート)
ゲスト:ヤニック‧パジェ Yannick Paget

〈プログラム〉
エマニュエル‧セジョルネ《⽕をお持ちですか?》(2001)4⼈のパフォーマーのための
ジョヴァンニ‧ソッリマ《哀歌》(1998)チェロのための
若林千春《ひっくりカエル》(2016 / 2021)バス‧フルートのための
ヴィンコ‧グロボカール《楽器にされた声》(1973)バス‧クラリネットのための
**** 休憩 ***
三善晃《鏡》(1983)ヴァイオリンのための
キャシー‧バーべリアン《ストリプソディ》(1966)ソプラノのための
マーク‧フォード/ エヴェリナ‧ベルナッカ《Coffee Break》(2013)5⼈のパフォーマーのための

 

現代音楽で世界初演を含む骨太の公演を続けるアンサンブル九条山の公演を体験した。タイトルは「THEATER!」。

アンサンブル九条山は、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、フルート、打楽器、ピアノ、声、など管弦打の多様性に富む編成。今回の「THEATER」では、楽器と人との間のみならず、音楽と人との間に生じる関係性がきわめて劇的なものであると、あらためて感じさせる構成である。

最初の作品はフランスのエマニュエル・セジョルネによる《火をお持ちですか》。パフォーマーのもつ光のリズムが、コミカルなゲストゥスを喚起して「THEATER」の幕が上がった。

続くシチリア出身ジョバンニ・ソッリマの《哀歌》。中東の空に響くマカームのような祈りを思わせる非西洋的な旋律と身ぶり、モンゴルの草原にこだまする馬頭琴を想起させる世界。チェロという西洋の古典楽器のスタンスから解き放された発音体は、奏者が口ずさむ旋律を越境してどこまでも遠くに運んでいく。
若林千春の《ひっくりカエル》はバスフルートの作品。「片思いの恋が成就された途端に急に心変わりを起こす」という心理学用語の「蛙化現象」にインスパイアーされたという。ラストに奏者が後ろを見て演奏する際に暗示的に奏でられる「かえるの歌」の粋なユーモアに脱力する。
ヴィンコ・グロボカールの《楽器にされた声》はバスクラリネットのための作品。マウスピースを外して「管」となった楽器と奏者との関わりを通して、ダイレクトな人の内面の叫びが作品として昇華した、ダイナミックな作品。トークでは、奏者の上田希曰く「(マウスピースに関する) 演奏技術は必要ないので、誰でもやってみることは可能です」とのこと。人と楽器との根源的な対話は、哲学的でもあり、体力勝負でもあり。

第二部の冒頭にはヴァイオリンのための三善晃の《鏡》。今回のプログラムでとりわけ異質であるように感じたのは、シアトリカルな身ぶりを強調した作品と比して、精緻な書法のなかにある伝統とも深く響きあう、その内省的な性質によるものなのか。

本日の白眉はアメリカの伝説的なソプラノ、キャシー・バーベリアンが書いた「ストリプソディー」。アメリカン・コミックスが眼前に浮かぶようなコミカルで戯画的な表現の合間に、声自体の美しさとカタルシスを楽しませた太田真紀の解釈は、小気味よく洗練され爽やかだった。この爽やかさはどこから来るのか..。つまり、演者が感情移入したり憑依したりせずに、デフォルメを押し付けず、グラフィック楽譜に書かれている「ストリプソティー」の世界を「再現」するという、作品との距離感と意識のあり方によるものなのかもしれない。
最後にはふたたび、五人のパフォーマーのための「コーヒーブレイク」。作曲者はマーク・フォードとエヴェリナ・ベルナッカ。コーヒーブレイクに集う4人の女性と一人の男性の出会いの物語。登場人物が紙のコーヒーカップやストロー、蓋を使って、リズムを刻みつつ、音楽とパフォーマンスの境界線を曖昧にしていく作品。ここで繰り広げられた楽器の名手たちによる、楽器を使わないパフォーマンスは、冒頭の作品と呼応して「THEATER」の幕を閉じた。

 

演奏会を聴き終えて感じた、この稀有な清々しさと楽しさ、高揚感は何だったのかを考えてみた。もちろん、舞台と観客の間にある空気を物理的に揺らす「生の時間」に飢えていた筆者にとっては、テンポよく次々と繰り出される作品との新鮮な出会いが掛け替えのないものに感じられた。しかし、もっと本質的だと思うのは、「THEATER」のなかで、現代音楽の多彩なアプローチが、私たちの日常生活の感覚の延長にあり、それを豊かにしてくれるものでもあると感じられたことだ。楽器のテクネと対話しつつ、私たちの世界を映し出す「THEATER」のパフォーマーでもあった九条山アンサンブルの演奏家たち。この現代音楽のユーモアや劇性は、一般的には排他的と捉えられることの多い現代音楽がもつ、魅力的で自由な精神そのものなのである。

(2021/4/15)