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国際音楽祭NIPPON 2020 諏訪内晶子 室内楽プロジェクト Akiko Plays MODERN with Friends|西村紗知

国際音楽祭NIPPON 2020 諏訪内晶子 室内楽プロジェクト Akiko Plays MODERN with Friends
INTERNATIONAL MUSIC FESTIVAL NIPPON 2020 Akiko Plays MODERN with Friends

2021年2月16日 紀尾井ホール
2021/2/16 KIOI HALL
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by Hiroko Chiba/写真提供:ジャパン・アーツ

<演奏>        →foreign language
諏訪内晶子、米元響子(ヴァイオリン)
鈴木康浩(ヴィオラ)
辻本玲(チェロ)
阪田知樹(ピアノ)
*有馬純寿(エレクトロニクス)

<プログラム>
スティーヴ・ライヒ:ヴァイオリン・フェイズ <1967>(諏訪内)*
川上 統:組曲「甲殻」<2005-2019>より
「ウミサソリ」「ミジンコ」「ガザミ」「オトヒメエビ(世界初演)」(諏訪内/辻本/阪田)
マーク=アンドレ・ダルバヴィ:ピアノ三重奏曲 <2008>(米元/辻本/阪田)
レオ・オーンスタイン:ピアノ五重奏曲 Op.92 <1927>(諏訪内/米元/鈴木/辻本/阪田)

 

古典派・ロマン派のレパートリーを華麗に弾きこなし、その評価は盤石である諏訪内晶子が、オール・現代音楽プログラムに挑戦する。
この「室内楽プロジェクト」は二夜構成で、この日の前日には、「Akiko Plays CLASSIC with Friends」というタイトルのもと、J.S. バッハ、ブラームス、ドヴォルザークの作品が演奏されたという。筆者は残念ながらこの日の「MODERN」の方しか聞きに行けなかった。
オール・現代音楽プログラムといっても、いわゆる実験音楽はプログラムには見当たらない。例外はエレクトロニクスを要するライヒくらいだろう。聴衆への配慮から実験音楽が除外されたわけではなさそうであった。というのも、この二夜連続の演奏会のプログラムの目的は「CLASSIC」と「MODERN」の橋渡しにあったのだろうから。逆に言えば、それぞれを橋渡しできる範囲での「CLASSIC」と「MODERN」だったのである。
しかしそれは、興味深いことに、耳馴染みの良さという印象に帰結するものではなかった。確かにぼんやりと聞いていれば、どれも素敵な作品である。けれども、よくよく聞いてみれば、聞きやすい作品など一つもなかった。
どうしてかというと、この日の作品はいずれも、響きや音色の独自性というよりも作品の構造に、場合によっては微視的と言いたくなるほど細かなリズム作法に負うところが大きかったからである。――ポリリズム、変拍子、今度はヘミオラだ。さっき登場した動機が3連符のリズムに変奏されて、さっきとは別の楽器が演奏し……そういったのをこの日の作品では何度も聞いた。
つまり、「CLASSIC」と「MODERN」の橋渡しというのは、ブラームスの先にライヒを位置付けるということだったのではないか。ブラームスがやっていたような精緻なリズム的主題労作は、ライヒの「ミニマル・ミュージック」における、リズム的要素の他の要素に対する圧倒的な優位、この帰結を導く前段階となっているように思えてくる。

スティーヴ・ライヒの「ヴァイオリン・フェイズ」。自らに含まれるどの音とも関係できるようにあらかじめ設計されたフレーズが、ひたすら反復される。それは継起的に連なるよう、というより、幾度となく繰り返される「同時」に耐えるよう設計されているように思う。フレーズの入りは少しずつずれて、「フェイズ」も移り変わっていく。少しでも不正確なずれ方をしてしまったら作品が壊れる。会場は緊張感で満たされていた。
だが、フェイズを聞かせるというより、仮想的な重奏を行っているという感じがあった。これは、ヴァイオリンの音色が、つまりこの生々しい声のような響きが、作品の書法に抗っているように思えたからだった。終盤には、ヴァイオリンのいかにもメロディらしい部分が登場する。メロディの生気が必要な作品だったのかどうかはよくわからない。

ライヒの後も、緊張感は続く。
川上統の作品は、ポップで聞きやすいという漠然とした印象があるものの、組曲『甲殻』については、冷静に聞いてみればそうではない。確かに耳障りな響きはないけれども、演奏者も聴衆も、精一杯神経を研ぎ澄まさなくてはならない。時間の流れに沿って動き出すミニアチュールのような書法は、性格を帯びることを拒絶し、意のままにならない有機体の運動に飽くまでも留まろうとしているように思える。曲の短さもまた、あらゆる要素が凝縮されたゆえの短さであって、聴衆の意向に沿うようにして短いのではない。むしろもっと聞いていたいのだが、作品の方が、勝手にすり抜けて逃げていってしまうようである。
そうして、リズム構造の高度なつくりこみ、時間の凝縮によってまさに「甲殻」たらんとしている。「甲殻」のイメージの模写、泳ぎ回る様子や機敏に動く様子として感じられるものは、結果として生じるのであって目的ではないように思う。イメージの模写が目的になったら、途端につまらなくなってしまうだろうから。

マーク=アンドレ・ダルバヴィの「ピアノ三重奏曲」はヴァイオリンを米元が担当。これもあまりとっつきやすい作品ではなかった。冒頭、ピアノが鳴らすEsの音に弦のEの音が衝突するところから始まる。EからBまで下行しそこからまたGまで上行するV字型の主題が提示され、この主題の変奏が続いていく。縮小、拡大、あるいは2拍3連。急にテンポが緩まる中間部、ヴァイオリンパートに非常にメロディアスな聞かせどころがある。再現部、冒頭のピアノと弦の衝突は、FとFisでもう一度実行される。

レオ・オーンスタインの「ピアノ五重奏曲」がこの日の最後。3楽章構成だがどれもずっと鬼気迫る表情、情緒豊かで血気盛んに、血の滾るような情熱そのまま、といった様子。楽章作法はそれほど厳密でないように思う。というのも、どの楽章にも急に舞曲のような展開が訪れることがあった。ソナタ形式の枠に押し込められてきた東欧の民族音楽的な素材の数々が、今ひとたび舞曲のかたちをなして、まさにソナタ形式の作品の最中で息を吹き返す。この作品においてスリリングなのは、急に5つの楽器がテンポを切り替え、踊りたいときに踊り出すその瞬間であった。
生のリズムが、図式的な形式を壊す瞬間ごとの衝撃を体感した。

最後まで聞き終えて、筆者はすっかり疲れてしまった。ともあれ、この日のリズム作法の系譜を、たいへん興味深く聞いたものだった。

(2021/3/15)

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<Artists>
Akiko Suwanai, Kyoko Yonemoto(Violin)
Yasuhiro Suzuki(Viola)
Rei Tsujimoto(Cello)
Tomoki Sakata(Piano)
Sumihisa Arima(Electronics)

<Program>
Steve Reich:Violin Phase <1967> ※Sumihisa Arima(Electronics)
Osamu Kawakami:Excerpts from Suite “Carapace” <2005-2019>
Sea Scorpion / Water Flea / Swimming Crab / Banded coral shrimp (world premiere)
Marc-André Dalbavie:Piano Trio <2008>
Leo Ornstein:Piano Quintet Op.92 <1927>