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Ensemble XENOS 第2回演奏会 VANITAS VANITATUM 空即是色~イタリアルネサンスの不協和的情感~|大河内文恵

Ensemble XENOS 第2回演奏会 VANITAS VANITATUM 空即是色~イタリアルネサンスの不協和的情感~
Ensemble XENOS VANITAS VANITATUM

2021年2月9日 日本福音ルーテル東京教会
2021/2/9 Tokyo Lutheran Church
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 井上晴一郎 (Seiichiro Inoue)

<演奏>        →foreign language
Ensemble XENOS:
髙橋美千子(ソプラノ)
佐藤裕希恵(ソプラノ)
富本泰成(アルト)
田尻健(テノール)
櫻井元希(バス)

<曲目>
L. マレンツィオ:私の愛しい涙
C. モンテヴェルディ:その女は泣き ため息をつく
P. ネンナ:ため息と口づけと言葉
B. パッラヴィチーノ:ああ 苦悩の定め
C. ジェズアルド:苦しみと嘆きを前にして
C. ジェズアルド:ああ なんて虚しいため息
C. ジェズアルド:「お願い!」泣きながら叫んでも
L. ルッツァスキ:ほら ため息と嘆きと甲高い叫びが

~休憩~

L. マレンツィオ:薔薇のように柔らかいあなたの唇で
C. モンテヴェルディ:ああ 死んでしまいたい
L. マレンツィオ:悶えるほどの苦しみ 抉られるほどの苦難
C. ジェズアルド:ああ 苦しみの中で息絶えよう
C. ジェズアルド:もし見ないなら 死なない
L. マレンツィオ:これが聖なる血のついた木なのか?

~アンコール~

C. ジェズアルド:おお、お前たち皆

 

XENOSとはギリシャ語で「異邦人」「異質な」という意味だとプロフィールにある。記載はないが、日本語のくせもの(=曲者・癖者)も掛けているように思われるほど、くせの強いメンバーが集まったアンサンブル。いったいどんな響きが聴けるのか、当日まで皆目見当がつかなかった。

マスクをして現われた5人が譜面台の前でマスクをとり、歌い始める。曲間に拍手はなし。そのまま休憩まで一気に駆け抜けた。休憩後、一度外したマスクをつけ直して高橋が語り始める。いわく、

休憩中に、「お客さんがついてきてないのではないか」とメンバーが心配していたので、少し話をします。とのこと。この瞬間、2つの意味でホッとした。1つは、5人で爆走しているようにみえて、観客のことも配慮していたのだということ。じつは、本誌の注目コンサートでこの演奏会を取り上げ、「ルネサンスの曲なんてどれも同じと思っている人にこそ聴いてほしい。」と初心者に推薦する言葉を書いてしまった。もしこの言葉を受けて、本当にルネサンス音楽は初めて聴くという人がこの中にいたとしたら、この雰囲気についてこられていないのではないかと密かに不安だったからだ。

髙橋のトークにクスクス笑ったり、肯いたり、ホッと息をする音がしたりと反応が感じられたので、あぁ大丈夫だったのだなとこちらも安堵した。もうひとつの意味は後でふれる。時を戻そう。

最初の曲「私の愛しい涙」が始まったとき、全員同時に歌い始めたにもかかわらず、1人1人の声が別々に耳に飛び込んできた。聞き慣れた5人の声に「そうそう、これこれ!」と嬉しくなる一方で、個性の強い人ばかりだとまとまるのも難しいのかとも思った。

2曲目のモンテヴェルディは、特徴的な半音階的上行を1人ずつ追いかけていく形で始まる。先ほどの曲が嘘のように、声部が増えていくごとに、先行する声に溶け合っていく。協和音の美しい響きのなかに時折顔を出す不協和な響きがモンテヴェルディらしい。

その不協和のレベルは、次のネンナで更にあがる。不協和を通り越して、誰かが間違えたのではないかと思うぐらいの音のぶつかり具合。かと思うと美しく調和する部分が続いたりと、聴き手の緊張感に揺さぶりをかけてくる。

4曲目はパッラヴィチーノ。冒頭、聞こえるか聞こえないかギリギリまで音量を絞って、1声ずつ入ってくるさまは、マドリガーレ(すなわち世俗曲)であるにもかかわらず、突然宗教曲になったかと思わせるほどの荘厳さ。ふと気づいたら、ぽろぽろと涙が零れ落ちていた。涙を堪えるとマスクの中が涙で溢れる。このコンサートは客電が点いたままなので、舞台からこちらは丸見えになる。演奏者に見えてしまったらと気を揉んだが、後半最初のトークの「お客さんがついてきていない」発言で、気づかれていなかったのだと安堵した次第。

パッラヴィチーノの最後はあっけなく終わり、いよいよ本日のメインのジェズアルドが3曲とルッツァスキ。いずれも言葉の1つ1つがはっきり伝わってくるだけでなく、ほんの一瞬でころころと変わっていく和声の移り変わりが(おそらく歌うのは非常に難しいはずなのに)、雑に流れてしまうでもなく、しっかり認識できるのに、ごく自然に聴ける。その動きに身を任せていたら、あっという間に前半が終わってしまった。

後半は再びマレンツィオから。Basciami(口づけして)とかStringemi(抱きしめて)とかDolce(甘く)といった言葉がまさにその言葉通りの音色で歌われるのが楽しい。マドリガーレは言葉と音楽との距離が近いというのを実感する。

続くモンテヴェルディはゼクエンツが絶品。「前半はオペラっぽくなり過ぎたので、後半はマドリガーレらしくする」とトークで言っていたはずなのに、最後の「あの口、あの口づけ~」のくだりはオペラそのものだった。

また、「ジェズアルドの歌は死と生が中心になっていて、歌っている内容は愛と死だ」と語られたが、後半はまさに「愛と死」のオンパレード。哀しみ、苦悶といった内容の表現に優れている佐藤の持ち味が光るが、それが突出してしまわないで全体を引き上げているのがこのグループの醍醐味であろう。

さらにふと、田尻が随所でいい味を出していることに気づく。これまで声のよい歌手だとは認識していたが、これほど豊かな表現を持ち合わせているとは気づかなかった。個性的な歌手に囲まれて才能を開花させる瞬間に立ち会えたのだとしたら嬉しいことだ。

最後はマレンツィオの宗教的な内容のマドリガーレ。プログラムノート(櫻井による)に「全体として描かれるのは、イエス・キリストの死によってもたらされる救いと、その神秘に対する畏敬の念」とあるが、まさにそれが体現された演奏だった。今日歌ってきた曲はすべて、ここに流れ込んでいるのかと腑に落ちた。コロナ禍にもかかわらず、客席を半減させ、充分な対策を取ってまでこの演奏会をおこなった意義が凝縮されているように感じた。

今回はマドリガーレで構成されたプログラムだったが、次回は宗教曲を取り上げることを検討しているという。アンコールでは、ジェズアルドの「聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム」より1曲がとりあげられた。今回の宗教的内容を含む曲のレベルの高さから考えて、次回は途轍もないことになりそうである。


*終演後、マスクをつけて、スマートフォンに録音したお礼の言葉を流しながらのお見送り。こんなところにも斬新さが光る。

(2021/3/15)

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Ensemble XENOS:
Michiko TAKAHASHI
Yukie SATO
Yasunari TOMIMOTO
Takeshi TAJIRI
Genki SAKURAI

Program

Luca Marenzio – Care lagrime mie
Claudio Monteverdi – Piagn’ e sospira
Pomponio Nenna – Sospir baci e parole
Benedetto Pallavicino – O dolorosa sorte
Carlo Gesualdo – Tribulationem et dolorem inveni
Carlo Gesualdo – Deh, come invan sospiro
Carlo Gesualdo – «Mercè!», grido piangendo
Luzzascho Luzzaschi – Quivi sospiri pianti

–intermission—

Luca Marenzio – Basciami mille volte
Claudio Monteverdi – Sì, ch’io vorrei morire
Luca Marenzio – Dolorosi martir, fieri tormenti
Carlo Gesualdo – Moro, lasso, al mio duolo
Carlo Gesualdo – S’io non miro, non moro
Luca Marenzio – E questo il legno che del sacro sangue

–Encore–
Carlo Gesualdo – O vos omnes