東京佼成ウインドオーケストラ定期演奏会|戸ノ下達也
東京佼成ウインドオーケストラ第152回定期演奏会
Tokyo Kosei Wind Orchestra Subscription Concert 152th
2021年1月16日 東京芸術劇場コンサートホール
2021/1/16 Tokyo Metropolitan Theatre Concert Hall
Reviewed by 戸ノ下達也(Tatsuya Tonoshita)
Photos by Atsushi Yokota/写真提供:東京佼成ウインドオーケストラ
<演奏>
川瀬賢太郎 cond.
東京佼成ウインドオーケストラ wind orch.
<曲目>
A.シェーンベルク:「グレの歌」のモチーフによるファンファーレ
尾方凛斗:吹奏楽のための「幻想曲」―アルノルト・シェーンベルク讃
A.シェーンベルク(大橋晃一編):映画の一場面への伴奏音楽
C.M.シェーンベルク(J.デ・メイ編):ミス・サイゴン(シンフォニック・ポートレイト)
―休憩―
C.J.R.ド・リール(大橋晃一編):ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)
C.M.シェーンベルク(大橋晃一編):「レ・ミゼラブル」セレクション
=アンコール=
C.M.シェーンベルク(大橋晃一編):「レ・ミゼラブル」セレクション 「エピローグ」より
2020年に楽団創立60周年を迎えた、東京佼成ウインドオーケストラ(以下「TKWO」)の、新しいスタートを刻印する演奏会は、「二人のシェーンベルク」をテーマとした意欲的なプログラム。
演奏会は、金管のきらびやかな音の重なりが鮮明な《「グレの歌」のモチーフによるファンファーレ》という、実に爽快な幕開けで始まった。
続いて、シェーンベルクの《ピアノ伴奏によるヴァイオリンのための幻想曲》を題材として、原作の音列を作曲者が運用し直したという「吹奏楽のための「幻想曲」―アルノルト・シェーンベルク讃」は、原作の複雑なリズムと音が、ウインドオーケストラの内部で渦巻いていく。混沌や先の見えない不安を彷彿させる音楽は、やがてマーチとなって、行進、鼓舞、高揚していくのか思いきや、パーカッションとホイッスルの怒号で断裁されて唐突に曲が終わる。まさに、コロナ禍の分断と格差に翻弄される現代社会のようなこの作品は、2020年度全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅴ(2020年度全日本吹奏楽コンクールの中止に伴い、2021年度課題曲に充当)だが、この楽曲をコンクールで演奏する奏者たちは、一体何を思いながら表現しようとするのだろうか、という若干の疑念を抱かせる作品だ。
そして、A.シェーンベルクの新たな一面と、C.M.シェーンベルクへのオマージュを思わせる《映画の一場面への伴奏音楽》は、大橋晃一の吹奏楽編曲の初演だ。シェーンベルクの十二音技法を駆使したスタイルは、混沌としていて随所に顔をのぞかせる。その作品を、ウインドオーケストラで表現する際のポイントは、木管群の繊細さだろう。リズムや音律が複雑な作品にあって、音の跳躍や変拍子が的確に主張されるTKWOのサウンドは、木管群のテクニックが冴えわたる。
前半最後は、A.シェーンベルクの弟の孫にあたるC.M.シェーンベルクが作曲と脚本を担当したミュージカル『ミス・サイゴン』を、数々の吹奏楽作品を作曲し日本でも馴染みのあるオランダの作曲家のJ.デ・メイが編曲した『ミス・サイゴン(シンフォニック・ポートレイト』。デ・メイの編曲は、「序曲~1975年4月、サイゴン」「我が心の夢」「ドラゴンの夜明け」「プリーズ」「今も信じてるわ」の全5章で構成されている。A.シェーンベルクの難解な音の錯綜の後に聴く、C.M.シェーンベルクのミュージカルの音色は、実直な響きとなって聴く者の心に響く。『ミス・サイゴン(シンフォニック・ポートレイト』では、TKWOの楽器群の彩りが際立つ演奏だ。冒頭の金管と打楽器の豪快なサウンドの後に続く、木管とハープや鍵盤楽器の悲しみの暗示は、特にハープや鍵盤楽器群から、ささやかな祈りとなって聴こえてくる。そして木管群やホルンの、陰影と差し込むような光明の音色の対比も鮮明で印象に残る。しかし筆者は、ベースラインとしてハーモニーの基盤を支えながらも、時に木管の音色をも補完するコントラバスが、実に変幻自在で、その主張が作品の厚みを引き立てていたことを特筆したい。これら、各楽器群の精緻なアンサンブルは、その集大成として第4章の「プリーズ」から、第5章「今も信じてるわ」に収斂していく。
後半の《ラ・マルセイエーズ》から『「レ・ミゼラブル」セレクション』は、大橋の新編曲版が《ラ・マルセイエーズ》を序章として連続して演奏された。まさに、「レ・ミゼラブル」の世界一色のステージである。
大橋編曲の《ラ・マルセイエーズ》は、いたずらに旋律を高揚させることなく、ウインドの音色を重ねていくことで、ユゴーの描いた壮大な叙事詩への誘いを描く変奏のようだ。
続く大橋編曲の『「レ・ミゼラブル」セレクション』は、「プロローグ」「宿屋の主人」「星よ」「ワン・デイ・モア」「エピローグ」と題された、全5章の構成で『レ・ミゼラブル』という群像劇を吹奏楽で描く試みだ。各章では、お馴染みのメロディ―が、ソプラノサックス、オーボエ、フルートなどの木管の導入を経て金管や鍵盤に繋がっていく。思わず口ずさみたくなる劇的な展開となる構成だ。言葉の歌唱が、圧倒的な迫力と説得力を発揮するミュージカルの楽曲が、新編曲でどのような音楽となって響くのかと、半信半疑で聴いていたが、人声の温もりがあふれるメロディを、一貫して木管から主張させる。この仕掛けは、その趣旨を遺憾なく表現できる、TKWOのアンサンブルだからこそなせる技だろう。
例えば、第2章の《Master of the House》は諧謔と頽廃が、第3章の《Stars》は希望が、第4章の《One Day More》は歌い継がれる願いが、それぞれに豊潤なウインドアンサンブルで響く。どの楽曲も、木管から受け継いだ金管群や鍵盤群、そして打楽器群へと発展し、重層的なサウンドとなってホールを包むもので、まるで独唱が重唱、そして合唱となって人声が重なっていくような空気の振動が伝わってくる。そこには、当然のごとく、ミュージカル特有の高揚感と一体感があるが、それだけでなく、要所で静かに冴えわたる弱音こそが、この新編曲のポイントだろう。その繊細な弱音は、特にユーホニウムやコントラバス、木管に顕著で、奏者の高度なテクニックあっての表現である。
川瀬は、前半3曲では、パズルを丁寧に当てはめるように、A.シェーンベルクの意図した音の配列を克明に描く。そして、ミュージカル編曲では、旋律を大切に繋ぎながらも、装飾される音の細部までこだわり意識して歌わせる。歌のないウインドアンサンブルでミュージカルを演奏することを十二分に意識して、旋律のみならず、旋律を引き立たせる装飾の音色にも主張させて、作品の意味を問いかける緻密な指揮だ。
本公演の趣旨である、「二人のシェーンベルク」は、演奏された6曲を俯瞰すると、その輪郭が鮮明となる。十二音技法や無調を追求したA.シェーンベルクは、単に自らの意識に拘泥することなく、ファンファーレというイベントのための楽曲や映画音楽の創作にも取組んでいた。その音楽への視座は、C.M.シェーンベルクによるミュージカルへの傾倒となって開花している。たとえ両者にその意識が無かったとしても、結果として、ジャンルを超えた音楽の深化にこの「二人のシェーンベルク」の働きが寄与しているという事実を、作品から実感することができる公演だった。
このコンセプトは、川瀬独自の視点であり、その意志に共感した大橋の独自の編曲に繋がっていく。そして何より、そのコンセプトを公演に結実させた、東京佼成ウインドオーケストラの楽団員や事務局のたゆまぬ努力が、演奏に昇華している。
既に確立された作曲家と、その作品への評価に拘泥されることなく、更なる可能性と深みを目指して音楽を見据え、演奏することの重要性を実感する公演だった。
(2021/2/15)