火の鳥 音楽の神秘的な形|チコーニャ・クリスチャン
〜『火の鳥 音楽の神秘的な形』〜
L’uccello di fuoco – La forma misteriosa della musica
2021年1月 17日 ロームシアター京都 メインホール
2021/1/ 17 Rohm Theatre Kyoto Main Hall
Text by Cristian Cicogna
Photos by 山地憲太/写真提供:ロームシアター京都
ロームシアター京都 開館5周年記念事業
京都市交響楽団 × 石橋義正
パフォーマティブコンサート →foreign language
管弦楽 京都市交響楽団
指揮 園田隆一郎
演出 石橋義正
振付 藤井泉
ビジュアルデザイン 江村耕市
衣装 川上須賀代
特殊メイク JIRO(自由廊)
<プログラム>
ストラヴィンスキー:交響的幻想曲「花火」
花園大学 男子新体操部
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
茉莉花(コントーション)
池ヶ谷奏、薄田真美子、斉藤綾子、高瀬瑶子、中津文花、松岡希美(ダンス)
ラヴェル:ボレロ
アオイヤマダ、徳井義実(チュートリアル)
ラヴェル:歌曲集「シェエラザード」
森谷真理(ソプラノ)
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
茉莉花(コントーション)
池ヶ谷奏、薄田真美子、斉藤綾子、高瀬瑶子、中津文花、松岡希美(ダンス)
アルゼンチン出身の作家で詩人のホルヘ・ルイス・ボルヘスは音楽を「時の神秘的な形」と定義した。
音楽とは何か。
この問いが筆者に浮かんだのは、京都市交響楽団がイーゴリ・ストラヴィンスキー作曲の交響的幻想曲「花火」を演奏し始めて間もなくのことだった。
オーケストラをピットに納め、舞台上の演技に観客の注目を集めるのが通常の演出だ。しかし、今回は高い台にのせて、アクティングスペースの背景にしていた。
左右のソデから流れるスモークが舞台中央にぶつかり合い波打ち、劇場内を薄霧のように漂っていた。
オーケストラが「花火」を演奏する薄暗い台の前で、突然、体操の大会が始まった。ぴかぴか光る銀色のラテックスのトラックスーツを着た選手六人が新体操のアクロバティックな技を披露した。
半ひねりして高く跳ぶ身体が競技用の反発材がつけられた弾みやすい床に着地する時の音がオーケストラの大太鼓の音と一致したら、面白かったかもしれない。
サイケデリックな照明は、演目のとおりオリンピックの開催式の花火を思わせた。青や緑色のレーザー光線が連発銃のように客席に向けられ、花園大学の男子新体操部員たちの力強い芸術性を際立たせた。
音楽とは一体、何か。いつ、なぜ誕生したのか。
およそ四万年前にさかのぼる、白鳥やハゲタカの穴の開いた骨が人類最初の楽器と考えられている。音楽は感情を伝える道具として、言葉より先に生まれたかもしれない。その後に、祈りや祝祭、あるいは狩猟や戦闘に用いられていった。
石器時代の人間は焚火を囲んで、自然の音や動物の動きを真似て踊りをしていたに違いない。
そんな想いに耽っていたとき、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の演奏に合わせて、コントーションのパフォーマンスが始まった。ゼブラ模様のボーディスーツをまとったコントーショニストの動作が卵からかえった有毒のクモかサソリに見え、ダンサー六人が登場し踊り出した途端、私はコントーションにも音楽にも集中できなくなってしまった。
体中を縦横に走るオレンジ色の太い線の、目に鮮やかな衣装を着て、片方の腰に大きな瘤をつけた踊り子たちが、手首と足首を繋ぐ長い紐で互いの体を結んだり、紐を絡めあったりしながら、奇妙な動きを見せた。フラミンゴの求愛のダンスかと思ったが、そうではなかった。分裂により生まれる生殖パターンらしい。「将来、人は有性生殖をしなくなるという仮説を元に、牧神とニンフのそれぞれが分裂などの生殖行動を行う様を描く」と。このような意図が果たして観客に伝わっただろうか。私にはそうは思えない。
音楽とは、何か。
巻き貝に息を吹けば、シャーマンの声は霊魂の声に変わる。パプアニューギニアの人々にはうなり板の音は先祖の声に聞こえる。
ネアンデルタール人は災害や野獣の危険から免れるために洞窟の奥に逃げ込んだ。女性が寒さと暗闇の恐さを和らげようとして、焚火の前で赤ん坊を抱いて子守歌をハミングしている情景が瞼に浮かぶ。
現代の人間はなぜ歌うのだろうか。
ソプラノ歌手森谷真理はモーリス・ラヴェル作曲の歌曲集「シェエラザード」を歌ったが、観客はその衣装に度肝を抜かれた。衣装と言うより、巨大なインスタレーション作品だ。
多角形の骨組みに歌手を乗せて、その骨組みを伸縮性の青い布が覆っていた。さらに骨組みの角は白と黄色に光り、まるで深海に潜む化け物の目のようだ。
先を尖らせた白い鬘を被る森谷真理の頭上にはヤリイカと蛍を交配させた遺伝子組み換え生物が不気味に迫っていた。衣装担当の川上須賀代は海洋生物のイメージをしていたらしい。舞台上から流れ出る青白いスモークが劇場内に充満し、客席に向けられた複数のレーザー光線がスモークを切り裂く。その幻想的な雰囲気のせいもあり、海ではなく宇宙にいる印象を私は受けた。
体を拘束する大がかりな大道具に邪魔され、ソプラノの歌声は客席までなかなか届かず途中で消散してしまう。最後に三人の裏方によって退場させられたが、インスタレーションと合体した森谷真理の振る手はどう見ても、のろのろと泳ぐ魚の鰭(ひれ)にしか見えなかった。
ラヴェルと言えば、「ボレロ」だ。
独特な構成の名曲で、15分ほどの演奏時間中、最初から最後までずっと同じテンポを刻むスネアドラムの上で二種類のメロディーを繰り返し、楽器を替えながら演奏される。
フルートの弱々しい旋律から始まり、トランペットを中心とした編成の楽器隊が高らかにメロディーを奏でて終幕するまで、一つの壮大なクレシェンドになっている。
「ボレロ」に合わせたパフォーマンスは舞台が美容室のようだ。
客役はダンサー、モデルのアオイヤマダ。美容師役はお笑いコンビ・チュートリアルの片割れで、俳優の徳井義実。
真っ赤なドレスに真っ赤な口紅を塗ったアオイヤマダは肩まであるプラチナブロンドの髪の毛を切ってもらおうと椅子に座る。ネクタイに灰色のジレー姿の徳井義実はハサミを大振りしてカットに没頭する。
アオイヤマダは米映画「氷の微笑」でシャロン・ストーンが演じた名シーンのように挑発的に何度も足を組んだり、しなを作ったりして、美容師にアピールしようとする。それに反応する徳井義実のリアクションがユーモラス。
二人の演技に合わせて、オーケストラとアクティングスペースの間に張られた紗幕(しゃまく)に映像が映された。赤い口紅を塗った半開きの口や黒い瞳が瞬間的に表れたり消えたりする。まるでサブリミナル広告のようだ。
ますますドラマチックなリズムになっていく「ボレロ」の鳴り響く美容室。艶を競うセクシーな女性客とイケメンの美容師が交わす熱い視線。サブリミナルのメッセージはエロスだろうか。それとも、タナトスだろうか。
徳井義実が握るヘアドライヤーは拳銃のように見えるし、男性シンボルにも見える。
得も言われぬ高揚感を伝える「ボレロ」なのに、ストーリー性の乏しい演技が素晴らしい音楽の波に呑み込まれ、物足りない。
最後の方で展開の兆しが現れた。アオイヤマダがしばらくの間ケープの下に顔を隠し、特殊メイクを施した仮面をかぶったのだ。仮面というより、銀色のマスク。それは特殊メイクアップアーティストJIROによる作品で、ゼラチンで成形した顔面が最短三分で内側から融解していくそうだ。
徳井義実がヘアドライヤーの熱風をかけると、アオイヤマダの新しい顔が溶けていく場面はパフォーマンスのクライマックスのはずだが、最後に無言のコントのオチのように溶けだした顔面から両方の眼球がぽろりと落ちて、「ボレロ」の演奏が終わった。
愛と死の差はカミ一重?
「火の鳥」はロシアの民話に基づくバレエ音楽だ。作曲の依頼人はバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者のセルゲイ・ディアギレフ。
魔法の庭に生える黄金の木の実を食べに来る火の鳥。不死身の魔王カスチェイと戦うイワン王子。最後に、火の鳥の羽にある不思議な力を借りて、イワン王子はカスチェイを倒すという話だが、ストラヴィンスキーは全音階だけを利用し東洋風な要素を入れることによって、魔法の世界と人間の世界の対立を見事に表現した。ミハイル・フォーキンの振付で大成功を収めた「火の鳥」は現代バレエの原点とされる。
しかし、今回のバレエは上記の話を完全に無視した。
数千個のリボンでできている巨大な物体がオーケストラの頭上に吊り下げられ、赤く光るシャンデリアのように復活する火の鳥を表す。ストラヴィンスキーの1919年版のバレエ組曲に合わせた終盤の踊りでも、コントーショニストとダンサー六人が前半と全く同じ衣装で登場。
フィナーレで六人の体を組んで複雑で綺麗なフォーメーションを作って、生き返って飛んでいく火の鳥を表現したが、衣装の意味が最後まで私には全く分からなかった。
音楽(特にクラシック音楽)にわざわざパフォーマンスを合わせる必然性はどこにあるのだろうか。今回の公演にそれを理解することは難しかった。
AIやバーチャルリアリティーの技術が加速度的に進んでいる今日、コンサートでも芝居でも映像による観客を呑み込むようなリアルな体感が当たり前になることも十分に考えられる。
ショーペンハウアーは次のように語っている。
「音楽は、イデアを越えて、この現象界から完全に独立しており、現象界を全く無視しているので、たとえこの世界が全く存在していなくても、ある程度存在しうる。」(『意志と表象としての世界』9.s 52 §iii.wwv.v)
1977年にNASAがボイジャー探査機を打ち上げたとき、機内にはゴールデンレコードが搭載された。地球人が宇宙人に伝えたかったのは、音楽であったことを示している。「地球の音」の部分に続いて、90分の音楽が収録され、大半はクラシックの巨匠のものである。邦楽からは「鶴の巣(す)籠(ごもり)」という尺八の曲が選ばれた。
ボイジャーは2004年に太陽系の帳を破り、現在も星間旅行を続けている。
地球が滅びるとしても、ゴールデンレコードのおかげで音楽は存在し続けるだろう。
十分にありえることだ。
(2021/2/15)
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チコーニャ・クリスチアン(Cristian Cicogna)
イタリア・ヴェネツィア生まれ。
1998年にヴェネツィア「カ・フォスカリ」大学東洋語学文学部日本語学・文学科を卒業。現代演劇をテーマに卒業論文「演出家鈴木忠志の活動および俳優育成メソッド」を執筆。卒業直後に来日。
日本語及び日本文学への興味は尽きることなく、上記「カ・フォスカリ」大学に修士論文「『幻の光』の翻訳を通して観る宮本輝像」を提出し、修士号を取得。
SCOT(SUZUKI COMPANY OF TOGA)の翻訳及び通訳、台本の翻訳に字幕作成・操作をしながら、現在、大阪大学などで非常勤講師としてイタリア語の会話クラスを担当している。
研究活動に関する業績
・“Il rito di Suzuki Tadashi(鈴木忠志の儀式)”、イタリアの演劇専門誌Sipario、ミラノ、2006年
・“From S Plateau”(演出家平田オリザの演劇について)、Sipario、ミラノ、2007年
・“Ishinha”(劇団維新派の活躍について)、 Sipario、ミラノ、2008年
・Bonaventura Ruperti, a cura di, Mutamenti dei linguaggi nella scena contemporanea in Giappone
・ボナヴェントゥーラ・ルペルティ監修『日本の現代演劇における表現の変化』(カ・フォスカリーナ出版、ヴェネツィア、2014年)において、第三章「鈴木忠志:身体の表現」、第八章「平田オリザの静かな演劇」を執筆。
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Concerto con performance in occasione del 5° anniversario del Rohm Theatre Kyoto
Orchestra Sinfonica di Kyoto & Yoshimasa Ishibashi
Musica Orchestra Sinfonica di Kyoto
Direzione Ryuichiro Sonoda
Regia Yoshimasa Ishibashi
Coreografia Izumi Fujii
Visual Design Koichi Emura
Costumi Sugayo Kawakami
Trucco prostetico JIRO
Programma
Stravinskij: Fantasia sinfonica Feu d’artifice
Squadra maschile ginnastica ritmica Università Hanazono di Kyoto
Debussy: Preludio al pomeriggio di un fauno
Marika (contorsioni)
Kana Ikegaya, Mamiko Usuda, Ayako Saitoh, Yoko Takase, Ayaka Nakatsu, Nozomi Matsuoka (danza)
Ravel: Bolero
Aoi Yamada, Yoshimi Tokui
Ravel: Ciclo di canzoni Shéhérazade
Mari Moriya (soprano)
Stravinskij: Ballet suite L’uccello di fuoco (1919)
Marika (contorsioni)
Kana Ikegaya, Mamiko Usuda, Ayako Saitoh, Yoko Takase, Ayaka Nakatsu, Nozomi Matsuoka (danza)