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堤剛 チェロ・リサイタル|西村紗知

堤剛 チェロ・リサイタル
Tsuyoshi Tsutsumi Cello Recital

2020年12月25日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2020/12/25  Tokyo Concerts Lab.

Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供:東京コンサーツ

<演奏>        →foreign language
堤 剛 (チェロ)
土田英介 (ピアノ)

<プログラム>
三善 晃:C6H(1987)
細川俊夫:線II(1986 / 2002)
新実徳英:横豎(1987)
黛 敏郎:BUNRAKU(1960)
松村禎三:肖像(2006)
一柳 慧:コズミック・ハーモニー(1995)
湯浅譲二:内触覚的宇宙IV(1997)
武満 徹:オリオン(1984)

※アンコール
一柳 慧:限りなき湧水 ※土田英介ソロ
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲 より

 

アンコールのバッハのことがずっと気にかかっていた(C-durの第3番のプレリュードだったろうか)。いや正確には、バッハと本編のプログラムとの間の、隔壁のようなものについて、しばらく頭から離れなかった。
無伴奏というのがどういうことなのか、私は演奏者でも作曲家でもないのでほんとうのところはわからない。しかし、バッハの無伴奏チェロ組曲は、その演奏家の生全体の容れ物のようだと思った。この作品がなければこの演奏家は存在しえず、そしてその逆もまた然り、と感じてしまう。作品と演奏家の過去・現在・未来が舞台上で結実するかのようだった。それは奇跡だ。そういう奇跡をアンコールで見聞きしたと思った。
前半4作品は無伴奏、後半4作品は伴奏付き。この日のプログラムのどれ一つとっても、もはやその作品の価値が歴史的となったものはなかった。

例えばそれは、細川俊夫「線II」湯浅譲二「内触覚的宇宙IV」武満徹「オリオン」における、特殊奏法の必然性の強さについて考えれば、説明できるだろう。「線II」の最後は2本の弓で弦を鳴らし、駒の向こう側を弾くことで発せられるかすれた音響で締めくくられる。でもこれは、線形の音型がはじめからずっと最後まで変奏されていくので、その帰結に、不安定な、かすれた音響による線が必要とされるのはそれこそ必然であった。

「内触覚的宇宙IV」と「オリオン」はともに、ピアノの内部奏法が採用されている。弦を手で押さえたうえで打鍵すると「コンコン……」という密やかな信号音のように鳴る。すると、チェロに対して単に随伴するような機能はピアノから消え失せる。チェロとピアノの、それぞれの音と音の線のつながらなさが、遥か彼方に広がっていくような音響設計をかなえている。こういうどんどん広がっていく音響は、特殊奏法はないが一柳慧「コズミック・ハーモニー」にも共通しているようであった。それでも、ピアノがダンパーペダルでつくる響きのなかに、チェロが包み込まれるというのではない。あくまでも一対一の関係性である。

ほんとうに譜面に書かれたなにもかもが、肉体化されていくのだと思うようでもあった。
というより、音色そのものに、肉体の痕跡が刻まれているのを聞いているよう。三善晃「C6H」は出だしから音がかなり広い音程で跳躍する。後半にかけてさらにストイックに変奏が加速していくので、肉体的というより機械的ですらある。けれど機械的な演奏ではなかった。作品の側がどれほど肉体を振りほどこうとしても、演奏者がどの音も自分の手元から離そうとはしなかった。新実徳英「横豎」だと、一人芝居の語りのようなものに近かったかもしれない。嬰ハ音近くのかさついた倍音含みの音が次第にクレッシェンドしていくはじまり。最低弦でうなるドライブするような音型、これと重音の長音との対比。トリルも刻むような音型も、聴衆にまっすぐに語りかけてくるような迫力。

松村禎三「肖像」は、アンコールのバッハのような奇跡に最も近いと感じた。最後のアリアは老木の花だ。美は要らない。すべての出来事がおのずから美になっていく。

どの作品も、なんとなればこの日を境に未来へ向かってその存在価値を示し始めたかのようであった。この日の作品は、発表当時のセンセーションそのままに、青春のきらめきをもっているようにさえ思える。黛敏郎「BUNRAKU」は、駆け回るarcoのパッセージも瑞々しく、三味線への見立てを作品の最初から最後まで一瞬たりとも崩すまいという意志そのものが眼前によみがえるようで、聞いていてまぶしい。
ただその青春のきらめきは、逆に言うと、バッハの作品のように歳を重ねるまで、気が遠くなるほどの年月と演奏者とを要するということと裏表の関係にあるだろう。永遠の青春の苦渋というのをこんなにも感じることはなかった。

日本の現代音楽の遺産は未来に開かれていると感じた。演奏者の肉体が、そのたびごとに、未来のまだ見ぬ演奏者の肉体へとつながっていく。

(2021/1/15)

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<Artists>
Tsuyoshi Tsutsumi, cello
Eisuke Tsuchida, piano

<Program>
MIYOSHI Akira : C6H(1987)
HOSOKAWA Toshio : Sen II for violoncello(1986 / 2002)
NIIMI Tokuhide : Ô-ju for Violoncello solo(1987)
MAYUZUMI Toshiro : BUNRAKU(1960)
MATSUMURA Teizo : portrait(2006)
ICHIYANAGI Toshi : Cosmic Harmony for violoncello and piano(1995)
YUASA Joji : Cosmos Haptic IV for violoncello and piano(1997)
TAKEMITSU Toru : Orion for cello and piano(1984)

※Encore
ICHIYANAGI Toshi:Inexhaustible Fountain * Eisuke Tsuchida, piano
J. S. Bach : from Cello Suite