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ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|チーズは消えてなんていない|秋元陽平

チーズは消えてなんていない
Cheese remains here

Text by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by Wikiart (public domain) and Yohei AKIMOTO

「君たちがチーズ・フォンデュを好きかどうかはどうでもいいんだ。昔はこれしかなかったんだから」−−山岳リゾート、吐く息も凍るクラン・モンタナの山小屋風屋台で、旧ユーゴスラビア出身の店員の作った白ワインの匂いがややきつすぎる鍋をつつきながら、老紳士がわたしたち夫妻に言った。ヴァレ州独特の岩肌も荒い山渓が厳めしく連なるここからの眺望はすばらしいのに、このフォンデュは明らかにスーパーで買えるものと大差ない質だ、しかしそれもまた「どうでもいい」のだとぼんやり思う。粗野な木のテーブルには大きなくぼみがうがたれていて、鍋でも載せるのかと思っていたら、彼は「昔はそれ自体が皿だったんだ」といって笑う。「ここに直接スープなんかを注いで、食べ終わったらバケツで水をかけて流すんですよ。リュスティック(田舎風)なやり方でね」。現在ウェルス・ビジネスで名をとどろかすスイスは、20世紀初頭まではヨーロッパの中でも相対的に貧しく、とくに山岳地帯ともなれば多くの家庭で生活は相当に苦しいものだったろう。『アルプスの少女ハイジ』のハイジの食事は普段は黒パンとチーズばかりで、時折牛乳を山の下、「下界」で売ってようやく野菜が手に入るのだ、とあとでひとに教えてもらった。現代の日本でグリュイエールチーズをふんだんに溶かしたフォンデュを食べようとすれば、相当に値が張ることは間違いないが、牧童にとってチーズはいわば「溶かすほどある」食材というわけなのだろうか?真相のほどをわたしは知らない。

誤解されがちだが、フォンデュはスイスの専売特許と必ずしも誰もが納得しているわけではない。そこにはいわば「領土問題」があるのだ。じゃがいものうえに熱したチーズをかけて食べるラクレットも含めて、現在のフランスにあたるサヴォワ地方でひろく食べられており、そこに住む人々はフォンデュが「スイスのもの」だとは夢にも思っていないだろう。しかし困ったことに、そのサヴォワ領で生まれた有名なグルメ評論家の開祖のひとりに、ブリア=サヴァラン(1755-1826)がいる。ちょっと良いフレンチレストランにいけば出てくる同名のデザートチーズがあるし、あるいは洋酒にたっぷり浸された同名のケーキを連想するひともいるかもしれない。いずれにせよ、とかくいろいろなところに名前の登場するグルメの代名詞のような人物である。彼はほとんど唯一の主著『味覚の生理学』によって知られているのだけれど、もっぱらこの中にある種のジョークとして付された格言集のうちのいくつかのもの−−「どんなものを食べているかを言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言い当ててみせよう。」「チーズのないデザートは片目の美女である」−−が一人歩きして有名になった程度であり、この分厚く冗長な本をまじめに読んだ人は少ないだろう。幸いこの書物は近年、文学と料理の双方に通暁した数少ない和製サヴァランとも言うべき東大仏文の先達、玉村豊男によるきわめて行き届いたコメンタリー付き日本語編訳で読むことができる(『美味礼賛』新潮社、2017年)ので、ご興味のあるかたは是非手に取っていただきたい。チーズにこだわるブリア=サヴァランはやはりお国の料理フォンデュにも当然のように一章割いているのだが、我々はそこで「フォンデュはもともとスイスの料理で、要するにチーズ入りのスクランブルドエッグ以外の何物でもないのだが」(Kindle版5815)という困った記述に出くわすのである。サヴォワのベストセラー作家が19世紀初頭にこのような声明を流布してしまったこと、これはフランス側のフォンデュ起源説に決定的な不利をもたらしたに違いない。そして二つ目の困惑は、われわれの知っているフォンデュはスクランブルエッグとは似ても似つかないということにある。こんにちフォンデュといえばまず何よりもチーズを溶かした鍋であり、皿に載った卵料理ではない。ここで玉村は注釈で「食卓の中央に火を持ち出して鍋を囲むという習慣は(壁際の暖炉で暖をとり料理をする建物の構造から)もともとヨーロッパにはないものであることを考えると、サヴァラン式のフォンデュのほうが歴史は古いのかもしれない。」(Kindle版5856-8)という、興味深い指摘をしている。すこし位相のずれる話かもしれないが、そういえば現在でも、ヨーロッパでは他人とひとつの鍋や大皿をシェアして、そこから取り分けるという機会はきわめて少ない。この理由は玉村が挙げたような歴史的事情や家族形態、あるいは衛生観念の現象学に依拠して説明することができるのかもしれない。日本では年末年始の宴席で極めて一般的な「鍋物」というコンヴィヴィアルな食事形態だが、ヨーロッパで例外的にそれに近い料理がフォンデュなのではないか。友人とフォンデュパーティをするときに感じる一抹の懐かしさはそこにあるだろうか。

舌という、耳とおなじくらい慣性の強い身体部位と結びついた食文化とて、グローバリゼーションにはあらがえない。ジュネーヴでレビューサイト一位のレストランはこんにち、レマン湖沿いのとある高級ホテルの最上階に位置する「ペルー風日本料理」店だ(なお日本人シェフによる経営である)。もう少し庶民的なところでいうと、ジュネーヴ大学の付近で日本食材店が大繁盛しており、昼時になるとビジネスパーソンがイートインで寿司を囓る姿がみられ、10年前にはなかったラーメン屋は歩ける範囲だけでも数軒、博多とんこつから北海道味噌まで何でも揃う。郷愁に駆られた日本人は一杯三千円近い値段に絶句しつつ泣く泣く通ってしまうわけだが、どうして地元の人々にも愛されている。ある研究発表のあと、学科のスイス人助教と一緒に「打ち上げでラーメンを食べに行く」という典型的ルーティンを遠いこの異国で再現したときひしとグローバル化を実感したものだ(10月の記事でもそのようなことを書いたが、どうもわたしがグローバル化を実感するのはいつもラーメンがらみである)。

こうしたトレンドに対して、反応の仕方はいくつか考えられる。現地食にこだわるか、食卓ナショナリストになるか。あるいはもっと別のやり方もあるかもしれない−−わたしにとって、カリフォルニア・ロールに舌鼓を打つ外国人に「本当の寿司」なるものを教える日本のテレビ番組は下品である以上に、なんというか、退屈である(だがカリフォルニア・ロールなど嫌いだ、ということは両立するだろう!)。そこでわたしと妻は試行錯誤した。たとえば妻は、ヴァシュロン・モンドールという、クレームブリュレのように上の蓋を裂いて掬って食べるチーズがあるのだが、それを海苔で巻いてほんのわずかに醤油を垂らすという手法を考案した。するとまるで魚介のようなこくが引き立ち、海のない国でノスタルジーに浸ることができる。わたしはといえば、グリュイエールチーズを小さく切って、ナツメヤシの実(デーツ)を載せて食べると、良質な干し柿の、したがって和菓子のオーセンティックな、しかし同時にエキゾチックでもあるような甘味に近づくことを発見した。必ずしもチーズを溶かす必要もなければ、退ける必要もないのだ。

(2021/1/15)

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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。