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パリ・東京雑感|だまされるな ワクチンでイメージチェンジを狙う巨大製薬会社|松浦茂長

だまされるな ワクチンでイメージチェンジを狙う巨大製薬会社
Big Pharma Is Fooling Us

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

新型コロナのワクチンが出来るのは早くて2021年春と言われていたのに、日本を除く先進国では20年のうちに接種が始まった。海のものとも山のものともつかないmRNAワクチンなる新技術が、誰も予想しなかったほどうまく行ったのだ。科学大勝利のニュースによって、ファイザーとかモデルナとか製薬会社の名前に、人類救済者のような後光が射してきた。でも、これまでワクチン開発の手柄は、種痘のジェンナー、ポリオのサーク、サビンら科学者の名前に結びついていたのに、今回はやたら製薬会社にスポットライトが当てられる。これには曰く因縁がありそうだ。
実はアメリカ人に一番嫌われている企業が製薬会社なのだ。世論調査によると、石油会社より下、信頼度最下位の企業である。本来人の命を守り、感謝されるはずの製薬業がここまで嫌われるのは、よほどの悪行を働いたからに違いない。

オキシコンチン(鼻から吸い込むため砕いて粉末にする)

2020年11月にパーデューファーマは薬物中毒の悲劇を招いた罪を認め、約8500億円の罰金を払うことになった。アメリカにはpill millと呼ばれる偽装ペインクリニックがたくさんあり、カネと引き換えに無際限にモルヒネ類の鎮痛剤を処方する。ピルミルの稼ぎが爆発的に増えたのは、1990年代半ばにパーデューファーマが、「中毒性のない奇跡の鎮痛剤」という売り込みでオキシコンチンを世に出してから。オハイオ州の高校ではクラスの3人に1人が中毒し、クラスメイトが次々死ぬ惨状となった。この薬によって全米で20年間に45万人が死亡した。
パーデューファーマの罪状は、違法処方箋を出す100人以上の医者にオキシコンチンを売り込んでおきながら、当局に対しはオキシコンチンがブラックマーケットに流れないための対策を取ったとうその報告をした。またオキシコンチンを処方する医者に不法なリベートを払っていたというもの。人の命を救うのではなく、人の命を奪ってでも最大限に利益を追求する強欲製薬業の典型だ。
ファイザーは1996年にナイジェリアで許可なく髄膜炎の新薬の治療試験をして11人の子供が死に、子供たちの家族がファイザーを訴えた。ファイザーは、子供が死んだのは髄膜炎のためであり、薬のせいではないと主張したが、病院の倫理委員会による治験許可証が、事後に偽造されたものであることが暴露され、2009年、ファイザーは総額約36億円の賠償金を払うことで和解が成立した。

『ナイロビの蜂』のポスター

この事件に触発された『ナイロビの蜂』という傑作映画がある。庭いじりを生き甲斐にするイギリスの外交官が(原題はThe Constant Gardener)人権活動家の女性と恋に落ち、彼女の願いに従って一緒に任地のケニアに行く。ナイロビで幸せな結婚生活をスタートするが、まもなく妻が殺され、主人公の温厚な外交官は妻が殺された理由を探り始める。すると彼女が新薬治験を熱心に追っていたことを知る。巨大な製薬会社がケニアの現地人を対象に新薬の治験を続けており、ライバル会社の新薬より前に発売にこぎ着けるため、副作用を伏せた治験報告を出すようNGOの白人医師に依頼していた。妻が殺されたのは、治験の不正の証拠をつかんだためであることを突き止めたが、NGOの医師から真相を聞き出した直後、外交官本人も殺される。
原作者のジョン・ルカレは小説の最後に「製薬という冷酷なジャングルの探検をさらに進めたあとから振り返ると、この物語は現実にくらべ、休暇先からの絵はがき程度のなまぬるいものであることに気付いた」と付け加えている。本当だろうか?パリのアパートの隣人は石油会社TOTALの弁護士なので、『ナイロビの蜂』のような荒っぽいことが現実に起こり得るのだろうか、と聞いてみたら、「良くできた映画です。あの通りでしょう」と、あっさり肯定した。製薬は10年で世界の売り上げが3倍に増え、2-3年後には自動車産業を追い抜いて、人類の最大の産業に躍り出る勢い。1990年代から弱い会社は次々合併吸収され、いまファイザー、ノバルティスなど巨大企業が市場を支配する。勝ち残るための闘いが過酷であれば、乱暴な治験や、殺人も起こるのだろう。
製薬会社がからむ殺人の映画では、『逃亡者』も人気があった。ハリソン・フォード演ずる医者が、治験中の新薬の副作用を指摘したため、妻が殺された上、彼自身が犯人に仕立て上げられるという話。製薬と殺人の組み合わせは、もはやありふれた物語になってしまったようだ。

さて本題に入ろう。全地球を覆うパンデミックという緊急事態は、製薬会社の振る舞いに変化をもたらしただろうか?
新型コロナを終息させるためには、全人口の60-70パーセントにワクチンを打たなければならない。先進国がこの目標を達成したとしても、途上国が取り残されれば、ウイルスがまた世界に広がるリスクはなくならない。一日でも早く地球の隅々までワクチンを行き渡らせることが緊急の課題なのだが、製薬会社にはその用意があるだろうか?国境なき医師団は、「疫病が荒れ狂っても製薬会社はbusiness-as-usualのやり方、つまり生産極大化ではなく利潤極大化の原則を守っている」と非難している。どういうことだろう?
ファイザーなど製薬各社は、自社の工場とライセンスを与えた工場だけで、ワクチンをつくる。各企業の生産能力には限界があるから、ワクチンの供給量は、需要に応じて決まるのではなく、製造する側のスケジュールで決まってしまう。地球上の他のワクチン製造設備は遊んでいるのに、2021年末までに南の国の人口のせいぜい20パーセントにワクチン接種というペースを早めることが出来ない。製薬会社がワクチン製造技術を抱え込んで、特許を開放しないからだ。
mRNAワクチンはこれまでのワクチン製造の制約を破壊する画期的な技術と言われ、ベーシックな設備の小さな製造所でもワクチンを作れる時代が来た。世界のどこでも、これまでのワクチンよりはるかに安く、早くワクチンが手に入るようになったというのが科学者たちの見方だ。科学的、技術的に可能なことを阻むのが製薬会社である。

ジョナス・ソーク

1950年代にポリオワクチンを開発したジョナス・ソークは、テレビのインタビューで「誰がこのワクチンの特許を持っているのですか」と聞かれ、「特許はありません。太陽に特許をかけられますか?」と答えたという。もし特許をとっていれば、70億ドル(当時のレートで2兆5000億円)の価値とか。巨大製薬産業が薬の世界を支配する今だったら、ソーク先生のヒューマニズムはたちまち潰されてしまうだろう。
製薬業の強欲非道に対するドンキホーテ的挑戦がないわけではない。インドと南アフリカがWTO世界貿易機関で、新型コロナに関連する治療薬やワクチン、検査法などの医療ツールを普及させるうえで壁となる知的財産権を一時的に停止することを求めたのだ。南アフリカ代表は「(新型コロナのために)各国政府はロックダウンをして経済活動を止め、国民の自由を制限している。それなのに、知的財産権だけは神聖不可侵とみなされ、一切手がつけられない。今は利益を追い求める時ではない。」と言う。たしかに、飲食店がつぎつぎ店を閉じ、家賃を払えない人が続出する時に(日本以外の国ははるかに規制が厳しく経済への打撃も大きい)、製薬業だけはノータッチ、聖域扱いなのは不気味でさえある。
さて、この知的財産権停止の提案は100以上の国に支持されたが、アメリカ、EU、スイス、日本など製薬資本を抱える先進国が反対し、特許停止は実現しない。アメリカ代表は、「知的財産権を保護し、イノベーションと競争のインセンティブを促すことが、ワクチンと治療薬を最も早く普及する最良の方法だ」という。特許によって儲けが保証されなければ、人間は研究開発に励むはずがない、という常套の論法だ。

ファイザー世界本社

しかし、たとえばモデルナのワクチンのベースとなる新テクノロジーはアメリカ国立衛生研究所によって開発されたものだったし、研究費と注文前払いとして国から約2600億円を受け取っており、そのうち1000億円で研究開発のコストは100パーセントカバーされている。(モデルナは限定的に特許を外すと言っているが、国境なき医師団は全く不十分と批判の声明を出している。)ファイザーはドイツ政府から開発費として約469億円、アメリカとEUから前払い約6180億円を受け取っているし、アストラゼネカはアメリカとEUから約2060億円を受け取っている。つまり、これらのワクチンは国民の税金によって開発された。特許がインセンティブとなって前代未聞のスピーディーな開発が実現したのではなく、公共の研究所と公共の資金が原動力だったのだ。だとすると、ワクチンは基本的に国民のものではないか?国境なき医師団は「公的研究機関と公的資金から生まれた科学的突破口を、製薬会社は力ずくで商業化し独占しようとしている」と非難する。
こうして製薬会社の利益が優先されるために国民は何ヶ月も何年も待たなければならない。待たされる数ヶ月数年の間に死ぬ人々は、製薬会社の利益追求の犠牲者だ。

 (2021/1/15)