佐竹真紀子の個展を見なかった|言水ヘリオ
佐竹真紀子の個展を見なかった
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
数年前、仙台で知人数名と飲食していたとき。バス停をつくって道に置く、ということをしていた美術家のことを知る。名前を尋ね、佐竹真紀子と聞き、携帯電話のメモに記す。その後、バス停の行為から派生して実施された2016年のイベントの記録DVD映像『今日は市バスに乗って、荒浜へ』を見た。震災前仙台駅から荒浜の深沼海岸まで運行していたバスが、乗客を乗せて一日限り復活、置かれたバス停を辿るという内容であった。そして2020年10月にSNSで、11月から12月の会期で佐竹真紀子の個展が仙台で行われることを知る。電車と宿の手配をして、定禅寺通に光のページェントが灯されるのにあわせて出かける準備をした。その時期、仙台では他にも見たい展示があった。
12月に入って数日後、電車と宿をキャンセル。仙台へは行かないことにした。
とても見たいものを見ないという選択をみずからし、佐竹真紀子の今回の個展のことは忘れようとしていた。だが頭のどこかに、12月18日に行われるというオンライントークのことが記憶されていた。その当日、まだ申し込み可能かどうかの確認メールを送った。もう夕方だったので間に合わないだろうという気持ちが半分。だがすぐに返信があり、参加のためのリンク先URLが送られてきた。仕事から帰宅して20時ちょっと前にパソコンの前に座った。
2013年、当時東京にある美大の学生だった佐竹は荒浜(宮城県仙台市若林区)を訪れ、以後その土地に通うようになった。そして東京で、廃材を利用してつくったものがバス停だった。そこには荒浜の、かつてバスが運行し到着していた終点が突如出現したように思われた。そして「これはここにあるものなのか?」という疑問がわいた。あらかじめ現地に置くことを想定したつくったバス停ではなかったが、佐竹は東京からそのバス停を、バスの終点であった荒浜の深沼海岸まで運んで設置した。その後約1年間、誰がつくってそこに置いていったのか不明なままの状況で残されることとなる。現地の人や市に許可は取らなかった。「誰かに承認されたことからスタートしたくなかった」。これが始まり。
ここまで、「バス停」と書いてきた。実はそうではなく、佐竹は「偽(にせ)バス停」と呼んでいる。バス停はすでに津波で流れていった。「本物が流れたということを心に留めておきたい」「それに代われるものではないから偽」「偽って付いていないと怖い」。
初めて偽バス停を置いた日のエピソードがある。通りがかりの現地の人から「ありがとう」と声をかけられた。「その人にそう言わせてしまったのでは」という気持ちを佐竹は申し訳ないような口ぶりで話す。その人は偽バス停の設置を被災支援と思ったのかもしれない。
その後、「他のなくなった停留所もつくりたい」という思いが生じ、荒浜のほかの場所にも偽バス停は置かれていった。そして、同じように停留所が流された蒲生(宮城県仙台市宮城野区)にも偽バス停を設置。だが2018年頃、佐竹はそれらを撤去し始める。現地では区画整備も開始され、状況が変化してきた。地元に残って活動している人々がいる。彼らがこの土地でやりたかったことがあるかもしれない。そう考え、偽バス停をずっと置き続けることを選ばなかった。
偽バス停の撤去と並行して、絵の制作が始まった。震災から時が経ち、その土地から姿を消すものが増えていったとしても、手がかりとなるものは人の中に残っている。イメージをかたちにしたいという思いが湧いてくる。トークを聞きながら「波残りの辿り」というこの展示のタイトルを思い出す。「誰かの頭の中にある風景を引っ張り出す」。
残された昔の絵をいまの人が嬉しそうに見ているさまを目の当たりにした体験から、しばらく離れていた「絵」というものへの信頼を佐竹は獲得し直したという(学生時代は油絵の学科に在籍していたがすぐに絵ではない制作へと移行した)。今回、実物として展示されているのがそれら絵の作品である(偽バス停に関しては記録のみ展示)。パネルに塗り重ねられたアクリル絵の具の層を彫刻刀で掘り、いろいろな時間や場所が物語のように描かれている。
絵を見るという体験。絵を見て誰かと話しをするという体験。後者は絵の「余白」の部分にあたるのかもしれないけれども、佐竹はどちらも大切にしているように思われた。
オンライントークは22時20分頃に終わった。上記はトークからごく一部をまとめ記したものに過ぎない。時間が許せば、絵についての話をもっと聞くことができただろう。途中、どうしても我慢できずにトイレに行った数分があり、どのような経緯で絵の制作が始まったのかということを聞き逃した。要所で的確なコメントをするゲストの細萱航平は宮城県美術館勤務で、自身も作品をつくる、自然災害のモニュメントを研究している方だった。
この個展で発表された絵は、茨城県の水戸芸術館で開催される「3.11とアーティスト:10年目の想像」(2021年2月20日〜5月9日)にて展示されるらしい。行くことができるだろうか。(水戸芸術館は2021年1月8日付で「緊急事態宣言が発令されている都道府県からのご来館は、お控えいただきますようご協力をお願いいたします」との告知を館のサイトに記している)
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佐竹真紀子個展 波残りの辿り
東北リサーチとアートセンター[TRAC]
2020年11月6日(金)〜12月27日(日)
●オンライントークは12月18日(金)20時から行われた
https://artnode.smt.jp/event/20201019_8320
(2021/1/15)
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わっている。