悠久の時を超えて Beyond the time.|西澤忠志
2020年12月11日 京都文化博物館 別館ホール
2020/12/11 The Museum Annex in the Museum of Kyoto
Reviewed by 西澤忠志(Tadashi Nishizawa)
Photos by 中田麦
〈曲目〉 →foreign language
仕舞《玉ノ段》
宮城道雄 《春の海》
黛敏郎 《BUNRAKU(文楽)チェロ独奏のための》
対談 佐藤響×河村浩太郎
―休憩―
黒川拓朗 《創作舞 楊貴妃》
〈演奏〉
チェロ:佐藤響
フルート/能管:井伊亮子
箏:橋本桂子
〈キャスト〉
観世流能楽師シテ方
シテ:河村浩太郎
地謡:河村和晃、樹下千慧
松野浩行(仕舞《玉ノ段》のみ)
後見:松野浩行(《創作舞 楊貴妃》のみ)
日本音楽と西洋音楽とを調和させた音楽をどう創るのか。これは西洋音楽が本格的に受容され始めた時から続く、日本の音楽界に課せられた問いである。
この問いに対する回答として、西洋音楽と能とを組み合わせることは珍しいことではない。しかしそこで実践されていたのは、西洋音楽と地謡、能管、小鼓とを合わせた創作、あるいは西洋音楽に合わせてシテが舞うといった、西洋音楽に合わせるかたちで能の一部分を抜粋し複合させた創作ではなかったのではないだろうかと、筆者は感じていた。
こうした実践が多い中、「京都市ふるさと納税×アーティスト応援」の助成のもと、西洋音楽と能とを合わせることで、次世代にも繋がる新たな作品を創ろうというのが本公演のコンセプトである。全体のプログラムは、最初に日本音楽と西洋音楽とを掛け合わせた過去の実践を示し、これらを受け継ぐ新たな試みとして《創作舞 楊貴妃》を位置づける構成となっている。
まず、能《海人》から仕舞《玉ノ段》。
《海人》のあらすじをまとめる。
藤原房前は、生母が讃岐の海人だと知り、その地を訪れる。そこで見かけた海人に尋ねると、生母の死の経緯を知っていた。かつて外国から送られた宝珠が途中で竜神に奪われた。讃岐まで来た房前の父は、契りを交わした海人に宝珠の奪還を命じ、生まれた子を後継ぎにすると約束した。海人は海底に潜り、竜宮に飛び入って宝珠を盗み陸へ戻ったが命を失った。そう物語ると、実は自分がその海人、房前の母だと名のって海に消えた。房前が丁重な法事を営むと、母の霊は成仏を喜んで法華経を手にした竜女の姿となって現れ、経文を唱え舞う。
この中で、海人(房前の母)が竜神から宝珠を盗んで陸に戻るまでの出来事を舞うのが《玉ノ段》である。
シテの優雅な運び、場を引き締める足踏みの音、静止する瞬間の「間」から、代わる代わる緊張と弛緩の波が立ち現れる。そして謡の豊かな響きと厳しい調子は、物語の空気感を創り出す。能面と装束を着けないシテと地謡の3人のみで演じられたが、シテと地謡が生み出したそれぞれの雰囲気が混じり合うことで、竜神から宝珠を盗むというダイナミック且つ悲愴感のある世界がそこに現出した。
次に日本音楽と西洋音楽とを組み合わせた作品2曲。
宮城道雄《春の海》では、長閑な波、波間を漕ぐ船の櫓、櫓に群がる海鳥といった、船上での音の風景が入れかわり立ちかわる様を、豊かな響きを持つフルートと鋭い音でテンポを創り出す箏の音との重なり合いを通じて楽しんだ。
《春の海》は尺八と箏の編成で新日本音楽の一曲として作曲され、レコードを通じて人気を博した作品である。そこに録音されたのは、元の編成とは異なるヴァイオリンと箏との編成によるものだ。しかし、現在多くの場で聞かれているのは元の編成によるものである。フルートと尺八とは響きは似通っている。そのため、楽器の違いにもかかわらず尺八と同じ感興を得た。
しかし、黛敏郎の《BUNRAKU》を聴くと、所々、文楽を模していることは分かるが、進めば進むほど、文楽とは異なるものになっていくように思える。これは何故だろうか。
Cookによれば、《BUNRAKU》は文楽で使われる太棹三味線の音色を真似るだけでなく、「序破急」や「間」といった日本の伝統音楽のコンセプトをもとに、西洋音楽の楽器で彼なりの「現代の文楽」を表現したとのこと。これに従うと、《BUNRAKU》に含まれているのは文楽そのものの音の響きではない。あくまで「文楽らしさ」ひいては「日本らしさ」というイメージである。それが西洋の楽器であるチェロを経由することによって、日本音楽と西洋音楽が混じり合うこととなる。実際、佐藤による演奏は、単に太棹三味線の響きを模倣するのではなく、三味線の鋭い響きとチェロのなだらかな響きを巧みに使いこなした。その結果、日本音楽とも西洋音楽とも明確に言い難い作品であるという謎を残した。その謎を観客の一人として考えるならば、《BUNRAKU》は日本音楽と西洋音楽との違いを乗り越えた、「音楽」と呼ぶしかない作品と言うことができるだろう。
前半の最後は、佐藤響と河村浩太郎による対談。
コロナ禍での能楽師とチェロ奏者の生活、それを通じて感じたこと、そしてファム・ファタルとしての楊貴妃とカルメンという東洋の文化と西洋の文化の共通点が話題に挙がった。本公演のコンセプトについては言及されなかったが、「今回の創作舞を心で感じて欲しい」という演奏者からのメッセージが語られた。
休憩を挟んで、後半の黒川拓朗《創作舞 楊貴妃》に移る。
まず能《楊貴妃》のあらすじをまとめる。
唐の玄宗皇帝に仕える方士(道教の呪術師)は、勅命を受けて今は亡き楊貴妃の霊魂の行方を尋ね、蓬莱宮に赴き、楊貴妃の霊と会った。方士は、貴妃没後の皇帝の嘆きを伝え、ここに来た証拠に、帝と貴妃が交わした言葉を教えてほしいと頼む。貴妃は、七夕の夜に比翼の鳥、連理の枝となろうと二人で誓いあったという話をする。貴妃はさらに、自分は元天上界の仙女だったが、仮に人間界の楊氏の家に生まれ、帝に召されて深い契りを結んだのだと物語り、思い出の曲を舞い、去って行く方士に頭の飾りを与えてその後ろ影を見送る。
この中から、比翼の鳥、連理の枝となることを誓い合った部分以降を抜粋し、囃子方を箏、チェロ、フルート(能管持ち替え)に置き換え、新たに作曲したのが本作である。
比翼の鳥、連理の枝の誓いを話す部分では緩やかな長調のメロディとなり、最後に楊貴妃が孤独になる部分では消えるかのようなかすかな音を奏でる。物語の内容と音楽、舞が合致することで、物語が舞台上に現れている。分かりやすい音楽である。しかし、心からの感動を得ることは出来なかった。
なぜだろうか。
ここで、筆者は佐藤響と河村浩太郎との対談を思い出した。この対談の中では、コロナ禍の生活で気づいたこととして、能舞台では演者と聴衆とが顔を合わせることによって、緊張した空間をつくることできるということが語られた。
思えば、能は物語の風景や描写を観客の想像に委ねているように、演奏者と観客との協力によって、始めてその作品がその場に現れる。そして演奏者と観客の双方が静止した一瞬の中に現れるのが「間」というものだろう。「間」は少しでも動けば簡単に壊れてしまう、とても脆いものである。この「間」を保とうとする演奏者と観客の働きが、その場に緊張感を生むこととなる。現に、最初の仕舞《玉之段》が、それを示していた。
振り返ると《創作舞 楊貴妃》では常に音楽が流れ、音楽を区切る鋭い音がなかった。つまり、そこには「間」がなかった。そのため、音楽の中に緊張感が感じられなかった。
むしろ、《創作舞 楊貴妃》の音楽は、物語や雰囲気を伝えることが主要な目的にあったように思える。確かに、常に音楽を浴びることによって、物語の雰囲気を間断なく感じることができた。しかし、そのために観客が物語を想像するための余地や必要性は無くなり、ただ一方的に音楽や舞を見るだけになってしまった。彼岸と此岸との境の象徴でもある橋掛りの代わりに敷かれたカーペットに沿ってシテが退場する途中で、観客から拍手が起きたのもそのためであろう。その結果、音楽が終わると同時に、余韻を残すことなく物語が終わってしまったのである。
流れていた音楽が止まり「間」に鉢合わせた瞬間、「どのような音が次に来るのだろうか」と観客が考える余地が生まれる。それが解決した時に、観客は新たな発見をした喜びや感動を知ることができるだろう。
作曲者は、もう一方の物語の作り手である観客の想像力を信頼しても良かったのではないだろうか。
筆者は公演前に、「京都市ふるさと納税×アーティスト応援」の本公演のページを閲覧した。それによれば、この公演を開催するきっかけとして、コロナ禍の中で「芸術文化とはなにか」を見つめ直したとのことである。演奏者と観客との双方向的な関与が無ければ、芸術文化を現出させることも維持することもできないことは対談でも語られたところだ。今回はあくまで西洋音楽と能とを合わせた作品であったが、それに加えて観客をも巻き込むことは不可能ではないだろう。
西洋音楽、能、観客の三者が混じり合った芸術を何と呼べばいいのだろうか。筆者はその答えをまだ知らない。しかし、そうした区別を乗り越えたものの中からこそ、次世代にも通じる新たな芸術が現れるのではないか。
今回のような野心的な試みを筆者は歓迎するとともに、今後を期待したい。
註)あらすじについては、以下の文献を抜粋し、パンフレットをもとに加筆した。
荻原達子「海人[能曲名]」『新版 能・狂言事典』平凡社、2011年。
松本雍「楊貴妃[能曲名]」『新版 能・狂言事典』平凡社、2011年。
宮城道雄著、千葉潤之介編『新編 春の海:宮城道雄随筆集』岩波文庫、2002年。
Cook, Lisa M. 2014. “Venerable Traditions, Modern Manifestations: Understanding Mayuzumi’s ‘Bunraku’ for Cello.” Asian Music 45 (1): 98–131.
京都市ふるさと納税×アーティスト応援|創作を途絶えさせない
アーティストからのメッセージ07『佐藤響さん/河村 浩太郎さん』
(2021/1/15)
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西澤忠志(Tadashi Nishizawa)
長野県長野市出身。
現在、立命館文学先端総合学術研究科表象領域在籍。
日本における演奏批評の歴史を研究。
論文に「日本における「演奏批評」の誕生 : 第一高等学校『校友会雑誌』を例として」(『文芸学研究』22号掲載)がある。
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<program>
Shimai 《Tama no Dan》
Michio Miyagi 《Spring in the sea》
Toshirō Mayuzumi 《BUNRAKU》
Takurō Kurokawa 《Creative dance Yōkihi》
<cast>
Cello:Hibiki Satō
Flute/Nohkan:Akiko Ii
Koto:Keiko Hashimoto
Shite-kata in Kanze school
Shite:Kōtarō Kawamura
Jiutai:Kazuaki Kawamura, Chisato Jyuge
Hiroyuki Matsuno(only performance in Tama no dan)
Kōken:Hiroyuki Matsuno(only performance in Yōkihi)