コロナ禍の試み – 師走に考えるヴァイル生誕120年、没後70年 –|大田美佐子
コロナ禍の試み – 師走にふり返るヴァイル生誕120年、没後70年
– 英米圏のブレヒト/ヴァイル作品と日本のヴァイル祭
Reviewed by 大田美佐子 (Misako Ohta)
Photos by Tristram Kenton (Opera North), ゴミアキノリ (ヴァイル祭)
11月29日読売新聞関西版の夕刊一面トップは「第九 新様式の響き」と題して、コロナ禍の状況下で、密を避けるための様々な工夫を凝らした形態での実施が特集された。ベートーヴェンのメモリアルイヤーである今年は、なおさらのこと第九が投げかけるメッセージ性が浮き彫りにされる。
ベートーヴェンのメモリアルイヤーは、作曲家クルト・ヴァイルの生誕120年、没後70年にあたる。ヴァイルの場合、作曲家本人よりも、1928年の初演から90年を迎えた音楽劇「三文オペラ」のほうが注目されてきた。2018年にはKAAT神奈川芸術劇場(谷賢一演出)、宮崎県のメディキット県民文化センター(永山智行演出)、池袋西口公園の野外劇(ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ演出)、京都大学吉田寮食堂(益山貴司演出)など、様々な演出家によって、多様なコンテクストをもつ場を舞台に上演され、その百花繚乱ぶりは実に見事だった。日本と三文オペラの縁は長く深い。オットー・クレンペラーの指揮の「小三文音楽」がリリースされた後、初演から4年後の1932年には、新劇や浅草オペラ出身の歌手を配役した東京演劇集団による「乞食芝居」として、日比谷ではオペラ歌手たちを中心とした布陣で、新宿ではレビューで、とすでに3つの趣の異なるプロダクションが立ち、まるで三文フィーバーのように一世を風靡した歴史があるi。
さて、今年のヴァイル作品の上演は、コロナ禍の直撃を受けた。1940年代の作品で、アメリカの家族の歴史を描いたミュージカル「ラブ・ライフ」のニューヨーク上演も幻に。東部ドイツの生誕地デッサウで、毎春行われてきたヴァイル・フェストも多くの催しがキャンセルされた。そんななかで、ブロードウェイのロックダウンを目の当たりにしたニューヨークのクルト・ヴァイル財団は、コロナの時代に対応し得る小編成のヴァイル作品を紹介したii。ヴァイルの生きた時代はまさに危機の時代にあり、社会情勢の変化に合わせて、様々な音楽劇が生み出されていった。ラジオ劇、学校オペラ、聖劇、民謡オペラ、ヴォードヴィルなど。そしてコロナ禍の今秋、アメリカとイギリスで、ヴァイルとブレヒト作品がオンライン用に制作、上演された。
ひとつは、まさにアメリカ大統領選の最中に上演されたニューヨークのCity Lyric Opera による「三文オペラ」iii。ヴァイルの信頼も厚かったマーク・ブリッツステインによる英語訳を使用した。この三文オペラのもっとも大きな特徴は、多様性を象徴する人種混合キャストという点である。演出はニューヨークの実験演劇集団Mituで、ビデオ・ゲームの発想を演劇に転換するチリ出身のアッティリオ・リゴッティ。主役のメッキースはシュツットガルト出身でジャンルを超えて活躍するバリトン、ジャスティン・オースティン。ジェニーは同じくミュージカルからオペラまで幅広いレパートリーを持つアフリカ系アメリカ人のシャネル・ウッズ、ポリーはアジア系の舞台女優サラ・ラフラム。METやブロードウェイで活躍する歌手や役者たちの声量の豊かさが際立った。音楽を担当したのはThe Curiocity Cabinet。指揮者で作曲家のホイットニー・ジョージが2009年に立ち上げ、現代音楽を中心に、無声映画のシリーズなども手がけている音楽集団である。ジャズバンドの編成から着想を得た三文オペラのクロスオーバーな音楽観を、アレンジをあまり加えず、演劇的に鋭い感性で好演した。
リゴッティはZOOMの特性を活かし、事前に了承した一般の観客たちは、コロナによって隔離されたそれぞれの部屋から、いたって個人的な要望を書いたプラカートを掲げて匿名の「物乞い」としてオンラインで登場した。三文オペラのもっとも「オペラ」的な瞬間ともいえる、断頭台のメッキースを救う女王の使者も、レチタティーヴォで高らかに恩赦を宣言しない。メッキースの「恩赦」は、ジャケットにワッペンをたくさんつけたひとりの普通の男によって、語られる。メッキースがこうして救われる様子は、「救いは上からはやってこないものだ」という強烈なメッセージでもある。ブラック・ライブズ・マターを意識したそのキャスティングと布陣は、公民権運動を先導する存在でもあった1940年代のブロードウェイの多様性と革新性を彷彿とさせた。
もうひとつは、イングランド北部の都市リーズにある国立劇場、Opera Northivの舞台からオンライン配信された「七つの大罪」(写真)である。「七つの大罪」はヴァイルのパリ亡命時代の作品で、ブレヒトとの最後の共演作となった。演出家はダンサー、振付師でもあるゲイリー・クラーク。「怠惰、傲慢、激怒、飽食、好色、貪欲、嫉妬」という七つの大罪を、「瀕死の白鳥」のパロディーなど古典を引用しつつ、ヒップホップ、モダン・ダンスなど、あらゆるダンスを駆使して表現。特に現代に問いかけるアナーキーな踊りで、豊かな感受性ゆえに脆さを露呈するアンナIIを見事に演じたシェリー・エヴァ・ハーデンの抜群のセンスは、この作品の身体性の重要性を強烈に印象づけた。演出家クラークが特に心を砕いたという「家族の存在」は、時代を30年代に設定することで、「亡命の民」がさまよう姿に重ねられた。アンナIを歌ったウォリス・ジュンタは、オペレッタやバーンスタイン作品も得意とする歌姫だが、地声とオペラの歌唱法の絶妙なバランスで、なかなかの芝居巧者。オペラとミュージカル、芝居の三つ巴で、クロスオーバーな作品の持ち味が生かされるのは、ウェスト・エンドの伝統をもつイギリスならではの舞台だと感じた。指揮は、ヴァイル作品に造詣の深いジェームズ・ホームズ。今回は、作曲家HKグルーバーが15人編成に新しく編曲し直したものを使用した。ひとつひとつの楽器の響きが際立つことで、さらに攻撃性を増すヴァイルの音楽を堪能した。
最後にこのコロナ禍のメモリアル・イヤーに、日本で行われたヴァイル祭(渋谷Loft Heaven、オンライン配信有)について触れたい。ブレヒトソングをライフワークとするこぐれみわぞうと大熊ワタルらによるヴァイル・プロジェクト。前半は三文オペラからのソングを中心に演奏された。日本のちんどんをはじめとするストリートの音楽が、三文オペラが根底にもつストリート性をあぶり出し、絶妙に融合したサウンドは新鮮だった。バロックから着想され、貴族的な見かけの出自を持つ三文オペラの序曲が、日本のストリートミュージックで異化される。その想定外の破壊力に心が躍った。三文オペラの新訳を発表した演出家・劇作家でもある大岡淳の圧巻のパフォーマンスで、「大砲ソング」も懐メロとは程遠い攻撃性をもった。後半のアメリカ時代のヴァイルでは、ヴォーカルのみわぞうがヘブライ語で歌った聖歌「Kiddush」が、知られざるヴァイルの世界の扉を開いた。クラシック、ロック、ジャズ、民謡、ユダヤ教の聖歌など、ジャンルを超えて受け継がれるヴァイルの懐の深い音楽性と共鳴する世界が、ブレヒトの色褪せない批判力とともに今の時代に投げかけるものは大きい。
(2020/12/15)
i日本の《三文オペラ》試論(1) : 黎明期における三文熱をめぐって
ii 小編成のヴァイル作品
iii City Lyric Operaの三文オペラ
iv Opera Northの「七つの大罪」