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門井幸子写真展「春 その春」|言水ヘリオ

門井幸子写真展「春 その春」

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)

 

 

2020年11月23日。前日の東京都の新規陽性者数は400人近く。この日は祝日ということもあってか、銀座を歩く人はいつもより多い印象をうける。銀座にある観光スポットのひとつともされている古いビル。手動ドアのエレベーターに乗って5階にある一室へ。こぢんまりとしたわりに天井が高く感じられる、白い空間である。三つの壁に3点ずつ9点、縦長の額に横長の写真が、余白を下部にやや多く取った状態で収められ展示されている。そしてギャラリースタッフの席の頭上に小さな額の1点。合計10点のモノクローム写真。

白い紙に黒で色を描く、ということができるのだろうか。たとえばふたつの屋根があり、片方が赤、片方が青なのを黒だけで描きわける、というようなこと。ある程度推測することはできる。溶けかけの雪。北海道。土。草。木。空と雲。見えているのが白黒の写真でも、頭の中で記憶色に変換してはいないだろうか。だが、土の中から頭を覗かせている植物の芽は、緑色ではなく赤黒い色であるかもしれない。

水分を含んだ土の上の枯れ草や小枝。雪を踏んだときのさくさくした感じ。この土地に接する足の裏の感覚が呼び覚まされる。撮影者が体験したであろうそういった感覚を追体験したような気持ちになりもするが、自分はいま展示会場に立っている。そして、写真の平面上にいる。一瞥して通過するのではなく、ある程度時間をかけて、見えている写真との共鳴を試みつつ。

 

 

撮影中歩いていた地面は場所によっては凍土であり、やがては溶けて湿地になり足を踏み入れることが難しいらしい。また、あたりにはさまざまな動物が生息しており、鹿の群れが道を横切ったり、海にはトドやラッコが見られたりするそうだ。

展示されている写真には、そういった動物たちの姿はない。人も写っていない。北海道を象徴するような事物、自然に現象する珍しい出来事などは避けられ、そこに見られるそのままの風景が選ばれているように思われる。動物も、流氷も、別に撮ってはいるのかもしれない。

森の様子を観察すると、どこかに人の手が入っているようにも見える。行き来するほかの生き物もあるだろう。写っていないということが、むしろより広く存在を迎え入れたということになっている。

 

 

直接的に語られはしない数々のことが、この展示にはこめられているのではないだろうか。いつも光をあてられる存在がある一方で、まるで存在していないかのように扱われがちな物事がある。木漏れ日さえもあたらない地表で、その奥で、同じように時間は流れている。

撮影は、2019年3月、4月、5月の、3回にわたって滞在した北海道根室市で行われた。ある日、春のまぶしい輝きがはっきりとあらわれるというよりも、行きつ戻りつしながら、徐々に季節が移っていく様子を想像する。生命の躍動を謳歌するような、はなやかな春というわけではないのかもしれない。そこには循環があり、その過程としての自然に視線は向けられている。生起したものごとが生という活動を終えて朽ち、やがてまた……を繰り返していく。

週末、もういちど会場へ。前回見ていなかったことに気づく機会でもあるが、考えごとなどはせず、写真の前に立ってただ目をあけていた。

門井幸子が道東の地で撮りはじめたのは2011年。「春 その春」の展示は2014年から続いている。

門井幸子写真展「春 その春」
Gallery Nayuta
2020年11月23日(月・祝)〜12月6日(日)
https://www.gallerynayuta.com/2020/10/19/門井幸子展-春-その春/

(2020/12/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事をしている。