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シンフォニエッタ静岡 第1回関西定期公演(第62回定期公演)|佐藤馨

シンフォニエッタ静岡 第1回関西定期公演(第62回定期公演) 
Sinfonietta Shizuoka, JAPAN The 1st Subscription Concert in Kansai (The 62nd Subscription Concert) 
 
2020年10月15日 住友生命いずみホール 
2020/10/15 Sumitomolife Izumi Hall 
Reviewed by 佐藤馨 (Kaoru Sato)
写真提供:シンフォニエッタ 静岡 

〈演奏〉        →foreign language
指揮:中原朋哉
オーボエ:吉村結実
管弦楽:シンフォニエッタ静岡

〈曲目〉
オネゲル:交響曲第2番
フロラン・シュミット:ジャニアナ ~弦楽のための交響曲~
ルーセル:シンフォニエッタ 作品52
イベール:協奏交響曲 ~オーボエと弦楽のための~

 

筆者は浜松が出身地だ。高校までは地元にいたのだが、シンフォニエッタ静岡は同じ県内の団体ということで、名前は知っていた。当時はついぞ演奏を聴く機会に恵まれなかったが、公演チラシを見るたびに、他の団体の凡百なプログラムからは一線を画した曲目に心を躍らせたものである。
こんな探求心のある、挑戦的なプログラムを打ち出してくる団体があるというのが、そもそも驚きだった。その頃クラオタになったばかりの私は奮い立たされると同時に、マイナーな好みでも肯定的に受け止めてくれる人たちがいるように感じられて安心した。彼らの存在を知ることができたからこそ、ネームバリューにとらわれず「耳」を使う姿勢を志し、その態度を今も貫いていられるのだと思う。
2005年創立のシンフォニエッタ静岡は、活動目的に「まだ十分に知られていない芸術作品を演奏する」(公式ホームページより)ことを掲げている。時代を問わず、マイナー曲と呼ばれる作品に光を当て、それらが今後広く演奏される環境の土台を作っていこうということらしい。過去の演奏会記録を見れば、彼らがいかにその目的に則して活動しているかが分かる。定期公演の曲目は定番もマイナーも隔てなく織り交ぜられ、世界初演や日本初演もあり、普段はまずお目にかかれない曲が散りばめられている。何より、こうしたスタイルがすでに15年も続いているのは、本当に驚くべきことだ。活動が独り歩きすることなく、支持する聴衆がちゃんとついていることの証だろう。

そんなシンフォニエッタ静岡がついに関西に来た。その記念すべき第1回公演のプログラムは、一般に知られた曲が一つもない。かなりロックだ。痺れる。こんなのを並べられて行かない手はない。むしろこの並びを前に心が動かなかったならば、私はもはや音楽について語る資格がない。凝り固まった「クラシック音楽」ではなく、精力的に地平を開拓していく彼らの姿勢を評価するのは、音楽を愛する人間としての責務である。
プログラムには、近代フランス作曲家による弦楽合奏曲(イベールのみオーボエ入り)が並んだ。面白いのは、オネゲルとイベールの曲がスイスの指揮者パウル・ザッハーの委嘱により作られ、シュミットとルーセルの曲は女性指揮者ジャヌ・エヴラール(女性のみの弦楽オーケストラを率いた)のために作曲された点だ。弦楽合奏という多少特殊な編成のレパートリーが、その分野で活躍する演奏者の存在によって広げられていくことが、端的に示されていよう。
勝手に半ば共謀者のような心持ちで、この演奏会が聴衆からどう受け止められるかワクワクしながら向かったのだが、残念なことに客入りは良くなかった。空席の方がよほど目立つ状態で、コロナ云々とはいえ、なかなかに寂しい客席となっていた。しかし、少なくとも彼らは関西ではまだ正体不明の存在で、そんな団体の挑戦的な選曲でも、このご時世に足を運んでくれる聴衆が確かにいるというのは大変心強いことだ。そうした人がいないなんてことになったら、もはやクラシック音楽に用はない。
開演前から舞台上には譜面台とイスが用意されていたが、室内オーケストラとはいえかなり少ない。各パートが片手で数えられる程しかなく、かなり切り詰められている。感染対策かもしれないが、普通のオーケストラの人数でもやるような曲をこの少人数で挑むとなると、見た目にも緊張感が増してくる。録音では大人数の合奏を聴くことが多いから、果たしてこんな最小限のアンサンブルではどう響くのか、むしろ興味をそそられた。

演奏が始まってまず気が付くのは、人数が少ないぶん、まるで室内楽を聴いているかのような鮮やかで繊細な響きになり、各声部の動きがクリアに聴き取れることだ。大人数の迫力には劣るが、断然スマートで芯を捉えやすくなる。それだけにボロが出ればすぐ分かるし、実際、アンサンブルに不安を感じる場面もあった。
初めのオネゲル、少人数の響きはより生音で、弦が軋む裸の音色が際立ち、それが曲の悲壮感を煽っていた。難所はやはり終楽章。諧謔的なモチーフと焦燥感が交錯し、様々な拍子が同時進行する。拍子が最も混濁する終盤手前ではさすがにアンサンブルの弛みがあったが、その後は、ニ長調の実に晴朗なクライマックスが築かれた。
続くシュミットでは、その擬古典的な曲調に今回の少人数はむしろ似つかわしく感じられた。特に第3楽章のコラール、大所帯であのような澄んだ響きは得られまい。室内オーケストラの美点が発揮される結果となった。
後半のルーセル、曲の堅固さはプーランクの同名曲とは正反対。演奏は快活で軽やかなものという印象で、両端楽章のリズムの軽妙さがより浮き彫りになったが、個人的には重量級サウンドでも楽しみたいところ、音圧の物足りなさが歯痒い。
最後のイベール、彼には珍しく深刻な曲調。ソロの吉村はかなりの安定感を見せたが、それを支えるには若干弱いアンサンブルだったろうか。音楽のアクセントや活力が平板な感じで、ソロの生き生きとした情感に比べ、精彩を欠くように聴こえた。だが晦渋なこの曲に対し、十分な完成度で迫ったといえよう。
私が感心させられたのは、一体彼らがどれだけの勇気と確信をもって舞台に上がっているかということである。近代作品に特有の、屈折したリズムの応酬、疑わしい和声の変化、技術的にも簡単ではないこれらのパッセージを相手にしながら、奏者はアンサンブルで丁々発止を繰り広げねばならない。そこでは、オーケストラとしての融け合いを保ちつつ、自分だけを頼みとする強靭な自立性が求められる。シンフォニエッタ静岡の面々はそうした個の強さを十分に見せてくれた。
各奏者の個の強さが束になって、オーケストラの全の強さに生まれ変わる、その事実を改めて痛感させられた次第である。これからここ関西でも、まだ私たちが知らない音楽を大いに鳴らし、聴くことの地平、新たな耳の快感を強力に切り拓いていってほしい。それ以上に、このような稀有な団体の価値を耳で判断し、シンフォニエッタ静岡を愛してくれる聴衆が今後増えていくことを願いたい。

(2020/11/15)


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佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士前期課程2年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。演奏会の企画・運営に多数携わり、プログラムノート執筆の他、アンサンブル企画『関西音楽計画』を主宰。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。
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〈cast〉
Conductor:Tomoya Nakahara
Oboe:Yumi Yoshimura
Orchestra:Sinfonietta Shizuoka, JAPAN

〈program〉
Arthur Honegger:Symphony No.2
Florent Schmitt:Janiana -Symphony for Strings-
Albert Roussel:Sinfonietta, Op.52
Jacques Ibert:Symphonie Concertante -for Oboe and Strings-