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撮っておきの音楽家たち|レナード・バーンスタイン|林喜代種

レナード・バーンスタイン(指揮者・作曲家・教育家) 
Leonard Bernstein, Conductor, Composer, Mentor

1990年6月29日 北海道厚生年金会館 札幌芸術の森
1990/6/29 Hokkaido Welfare Pension Hall
Photos & Text by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

今年はレナード・バーンスタイン没後30年、ベートーヴェン生誕250年である。
バーンスタインの指揮でまず驚いたことがある。1990年札幌で始まった第1回PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)においてレジデントオーケストラのロンドン交響楽団を指揮した時である。動きは激しくはないが、全身で音楽するバーンスタイン独特の指揮ぶりである。曲はベートーヴェンの交響曲第7番。腕の振りだけでなく、曲が進むと両肩を上下に動かし、背中を伸ばし腰を左右に振る。それらを巧みに使い分けて演奏者の注意を逸らさない。その姿に圧倒された。このベートーヴェンの交響曲第7番は衝撃的な印象として残っている。未だにこの曲を聴くとバーンスタインの指揮ぶりがよみがえる。
そしてこの日演奏され、注目もされたもう1曲はバーンスタイン自作の大曲である「セレナード」。バーンスタインの指揮でヴァイオリン・ソロを10代の若き五嶋みどりが見事に弾き切った感動的な演奏だった。丁寧な指揮に助けられていたようにも感じられた。
このPMFでのバーンスタインにとっての指揮は最初で最後の指揮になってしまった。バーンスタインはこの札幌のPMFの3ヶ月後に帰らぬ人となった。期間中PMFのレッスンでは受講生を前に渾身の力を込めて指揮を実演する.。開幕のスピーチでは「自らの残り少ない時間を教育に捧げたい」と吐露しており、シューマンの交響曲第2番を創り上げていく。またこうもレッスンで語っている。

もしあなたが「自分は音楽家になるべきだろうか」などと疑問を持つなら、その答えは「絶対に‘ノー‘です」。というのはあなたがそれを尋ねたからです。まるで禅問答のようですが、あなたが疑問を持つがゆえに答えは‘ノー‘ なのです。もし音楽家になりたいのなら、心からそう思うことです。それがすべての始まりであり、そうすること(思い続けること)はとても難しいことです。(PMFのパンフレットより)

バーンスタインはユダヤ系アメリカ人作曲家、指揮者であり、ピアニストとしても知られている。20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家である。「ウェスト・サイド・ストーリー」などの有名な代表作があり、宝塚歌劇団でもこれを上演している。1990年第2回高松宮世界文化賞を受賞。小澤征爾、佐渡裕、大植英次などの日本人指揮者の師匠。
1918年8月25日生まれ、1990年10月14日ニューヨークの自宅で亡くなる。72歳。
東京都写真美術館ホールではベートーヴェン生誕250年、バーンスタイン没後30年を記念して、バーンスタイン&ウィーン・フィルによるベートーヴェン全9交響曲シネコンサートが行なわれる。ウィーン楽友協会大ホールをはじめウィーンが誇る世界的な劇場で収録された白熱のコンサート映像。期間は12月1日から12月18日まで。休映日あり。

(2020/11/15)