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パリ・東京雑感|学芸と自由 ランボーをパンテオンに入れると……|松浦茂長

学芸と自由 ランボーをパンテオンに入れると……
Rimbaud et Verlaine, « symboles de la diversité », bientôt au Panthéon?

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

日本史や政治学の動向には疎い僕でも、加藤陽子とか宇野重規とかは、ときおり新聞に載る評論が冴えているので名前を覚えていた。素人にもよく分かる文章を書くから、菅政権の誰かにとって不都合だったのだろう。日本学術会議の候補リストから外されてしまった。専門家の目から見てどうなのか、政治思想史が専門の東大名誉教授に聞いてみたら、「宇野君は優秀。共同研究もしたけれど、象牙の塔にこもる人でない。菅首相は選別の基準として『総合的、俯瞰的な活動』とおっしゃるが、宇野君の仕事は、まさに総合的、俯瞰的ですよ」と、あきれていた。
1935年、学界の定説だった美濃部達吉の天皇機関説が叩かれ、否定されたのが、ファシズムへの決定的な一歩だったのを思い出す。

フランス学士院

フランスでもこんなことが起こるだろうか?ルーブル美術館からセーヌ川の方を眺めると大きなドームの建物が見える。これがフランス学士院。中でも別格に尊敬されるのがアカデミー・フランセーズで、定員40名の終身制だ。空席が出来ると会員が選挙して後任が決まるが、形式的には大統領に直々に会って対話して、正式に任命されることになっている。したがって、大統領がノンと言うことも出来るのかも知れないが、39人の知的エリートの判断を拒むには余程の蛮勇が必要だ。フランスの大統領は、自分もアカデミー入りを夢見るような文筆家だから、トランプ流の蛮勇をふるえるはずもない。ただ、後で会員資格が剥奪された例はあるとか。大戦中ドイツに協力した数人で、これも大統領が1人で決めたわけではあるまい。
学士院は国からのカネの他、独自の財源を持っている。その一つ、パリ近郊のシャンティイー城は、建物がおとぎ話のように美しいだけでなく、ラファエロを始め選り抜きの名画が飾られる一流美術館だ。僕がフジテレビのパリ支局長をしていたとき、シャンティイーの館長が僕を昼食に招きたいという話があった。館長さんはアラン・ドゥコー、例の不滅の40人アカデミシヤンの1人である。あわてて彼の書いた本を読み、緊張して出かけた。
お城の一室で、専任シェフの作った小鳥の料理を、アカデミシヤンと向き合って食べるなんて、貴族になったような気分だ。それにドゥコーさんとの会話の楽しいこと。1945年8月9日深夜、皇居地下壕で開かれた御前会議で天皇が終戦の御聖断を下すときのスリリングな瞬間を劇映画のように語ったかと思うと、ヨーロッパの宗教の衰退を嘆き、使徒パウロについての本の構想を語り、つぎつぎ僕に質問する。フジテレビから城の修復費を出させようという下心があるからには違いないが、アカデミシヤンというのは、なかなかのエンターテイナーだなあと感心させられた。
エンターテイナーと言えば、2014年にアカデミー・フランセーズ入りしたフィンケルクロートは国民的人気者だ。毎週レプリック(反駁)というラジオの1時間番組を持っていて、意見の違う2人をゲストに招き論争させる。フェミニストの女性と反フェミニズムの女性が出たときは、片方が喋っているのに相手も早口でまくし立てる。こんなとき、フィンケルクロートの皮肉たっぷりの捌き方は愉快だった。
フランスの哲学者は日常の些細な話題から芸術まで何でも「哲学」してしまうから、番組のテーマも「ヨガ」「カラヴァッジョ」「幸福に老いることは出来るか?」「民主的統治」と何でもありだ。
フィリップ氏がまだ首相だったとき、彼を呼んで文学論を語らせたことがある。ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』について、1時間、若い頃の思い出を交えてユニークな意見を聞かせてくれた。日本で現職の首相が戯曲についておしゃべりしたらどうだろう?軟弱な閑人と言われるのが関の山では?
ちょっと脱線して、首相の文化愛好で思い出すのはジョスパン首相だ。クリスマスイブにオペラ座に『魔笛』を見に行った。入り口の階段を上がるとき、普通と違う気配を感じて前を見ると知った顔。思わず妻に「ジョスパンだ」と大声で言ってしまい、首相は振り返ってにっこりした。お目当ての夜の女王ナタリー・ドゥセーは病気代役だったけれど、ジョスパンもドゥセーを聞けなかったのだからと、みずから慰めることにした。

パンテオン

さて本題に入ろう。学者、専門家の人選に、フランスの元首相が猛反対の論陣を張るのを見つけた。ド・ヴィルパンが、ランボーをパンテオンに入れるのに反対したのだ。我が菅首相の「総合的、俯瞰的」一点張りと対照的に、その雄弁なこと。
パリのカルチエ・ラタンの丘の上にパンテオンと呼ばれるドーム付きの建物がある。ヴォルテール、ユゴー、ゾラ、キュリー夫妻などフランス国家の理念を支えた偉人達が眠る、いわば共和国の神殿だ。最近では2018年、シモーヌ・ヴェイユ(アウシュビッツの生き残りで、妊娠中絶を合法化した元厚相)がここに祀られた。そして、いまパンテオン入り有力候補に浮かび上がってきたのが詩人ランボーだ。ランボーとヴェルレーヌの遺骸を一緒にパンテオンに移すよう求める請願書に名を連ねたのは、アカデミシヤンのリナルディ、前パリ市長ドラノエ、ジャック・ラングら9人の元文化相、人気哲学者オンフレなどそうそうたる顔ぶれだし、バシュロー文化相も請願支持を表明した。
ランボーなら知名度も高いし、フランスの偉人として祀っても良さそうになのに、ド・ヴィルパンは、なぜ反対するのか?

「発起人達は、請願を派手に売り込むために、ランボーとヴェルレーヌを『フランスのオスカー・ワイルド』にまつりあげてしまった。つまり、彼らの公然たる狙いは、2人の文学の天才を讃えることより、(同性愛)カップルのイコンとして霊廟に祀ることなのである。……その結果、かくも変幻自在な二つの人生、二つの作品群は、単なる愛の情念に矮小化され、……詩はアクセサリーの地位に格下げされてしまう。」

アルチュール・ランボー

ド・ヴィルパンに言わせると、ランボーを担ぎ上げた人々は、同性愛のシンボルをパンテオンに掲げようと企てたのであり、それは詩の豊かさを損なうものだ。しかも、同性結婚をめぐって大規模な反対デモがあったことから明らかなように、同性愛は今でも国民の間の分裂、対立の原因となる党派的テーマだ。国民一致の殿堂たるパンテオンにはふさわしくない。

「パンテオン入りとは、フランス共和国からの感謝を込めたお墨付き。生涯を自由、平等、友愛に捧げた人々のその闘いを国として再確認することだ。そこにはハッキリした枠組みがある。フランスは肌の色、宗教、性的嗜好による差別を認めない。ただ一つ、国民という範疇しか認めないところに、(同性愛という性的嗜好の)区別主義を持ち込むのは、パンテオン創設の理想を裏切ることにならないか?独自のアイデンティティ(同性愛)のイコンを押しつけるのは、不和と争いの精神を拡散する恐れがありはしないか。」

ド・ヴィルパンのいう「差別を認めない」に注を加えておこう。フランスは国民の間の区分を無視し,ただ一色に見る原理主義を守っていて、もし僕がフランス国籍を取れば、100パーセントフランス人、日本人の属性は消えてしまう。国勢調査その他の調査で人種、民族、政治的または宗教的帰属に関するデータの収集は法律で禁じられているのだから、区分の程度を知る術もない。
さて、ここまでは、ランボーを担ぐ人たちの意図がパンテオンにふさわしくないという議論だが、ド・ヴィルパンはさらに、詩人ランボーその人がパンテオンの理念に反すると、文学論を展開する。

「ランボーとヴェルレーヌは、フランスの魂の一面である自由を、鮮やかに体現している。しかし、2人をパンテオンに閉じ込めたりしたら、彼らを突き動かした反逆、怒りの嵐は、色褪せはしないか?
ランボーが叫ぶ復讐を飼い慣らそうと思うのか?

『工場主、君主、元老院
 くたばれ、権力、正義、歴史
 倒せ、嗚呼、消え失せろ、
 この世の共和国』

結論としてド・ヴィルパンは、怒れる詩人達を政治的枠組みに押し込めてはならない、ランボーにふさわしい墓はパンテオンではなく海だと言う。

「お願いだから、どうかネルヴァル、ボードレール、ランボーたちをそっとして置いてください。彼らをミイラにしないで下さい。金ぴかの虚飾のもとに引きずり込めば、窒息してしまう。ヴィヨン以来の呪われた詩人達はいかなる党派にもグループにも属さない。
実のところ、彼らの叫びは彼らの書く言語さえも超越し、彼らに死なき死を与えるのは海しかない。彼らにふさわしい埋葬場所は海=墓だけである。

『もう一度探し出したぞ。
  何を? 永遠を。
  それは、太陽と番った
  海だ。』

ド・ヴィルパンも菅首相も詩人や学者を政治の観点から拒否した点は同じだ。だが、2人の視線の向きはちょうど正反対ではないか?ド・ヴィルパンは文学を仰ぎ見、破壊的なほどに奔放な自由に畏怖の念を抱き、飼い慣らして政治的に利用できるような、生やさしいものではないと警告する。文芸は政治より遙か高みにある。文学・思想の世界の「反逆・怒り」は、フランス国民の「自由」をリフレッシュし、豊かにすることを、ド・ヴィルパンは良く知っているのだ。

殺された中学教師サミュエル・パティの国葬

学問・文芸が国民の「自由」の源泉であり守護神であることは、マクロン大統領にもよく分かっている。10月16日、パリ近郊の中学の教師が「表現の自由」について教えようと、道徳の授業でムハンマドの風刺画を見せたため、刃物で首を切断されるテロがあり、マクロン大統領は教師の国葬をソルボンヌ大学の中庭で行った。自由のために殉教した英雄へのオマージュである。国葬会場にソルボンヌを選んだことについて、ジュペ元首相は、「大学は啓蒙の象徴です。大学は知識継承の場であるだけでなく、とりわけ自由意志の学習・訓練の場ですから」と言い、マクロン大統領の選択を褒めている。
自由と学問の切っても切れない関係を、いつ日本の政治家は忘れてしまったのだろう?

(2020/11/15)