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注目の一枚|CHOPIN/RACHMANINOFF/BOULEZ 務川慧悟|丘山万里子

CHOPIN/RACHMANINOFF/BOULEZ 務川慧悟

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

ALM RECORDS
ALCD-7253  税抜価格2,800円

<演奏>
務川慧悟 pf

<曲目>
フレデリック・ショパン (1810-1849)
 [1] ボレロ ハ長調 作品19
 [2] バラード第1番 ト短調 作品23
 [3] ノクターン第18番 ホ長調 作品62-2
セルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943) :『楽興の時 作品16 』
 [4] 1. Andantino
 [5] 2. Allegretto
 [6] 3. Andante cantabile
 [7] 4. Presto
 [8] 5. Adagio sostenuto
 [9] 6. Maestoso
ピエール・ブーレーズ (1925-2016) :『アンシーズ』
 [10] アンシーズ (2001年版)

<録音>
さいたま芸術劇場 音楽ホール 2020年2月19-21日

2019年ロン・ティボー・クレスパン国際音楽コンクール第2位、2012年日本音楽コンクールでは反田恭平と優勝を分け合った務川、国内デビューソロアルバムである。
ショパン〜ラフマニノフ〜ブーレーズ。その流れに何があるか。

冒頭ショパン稀曲『ボレロ』の強靭連打3音の底鳴りからしゅわしゅわ発泡する細粒の音たち。羽根飾りが揺れるような装飾音をまとわせつつ歌われる優美な調べ。ころころまろぶ淡水真珠の連なり。響きの海に躍る光粒子を克明かつ幻想豊かに描く。そしてボレロというよりポロネーズのリズム・カッティングの鮮烈。
初心者から巨匠まで営々愛してやまない『バラード』『ノクターン』を、今生まれたばかりの赤児の音楽のようにくるみ、抱き、奏でる。一音一音の間にうつろう心模様、たくさんの溜息と涙の雫、微笑と熱情の橋梁を架ける濃やかな愛とひんやりした理知。
ラフマニノフがその線上にあるのは確かで、(1)Andantino (ノクターン)、(4) Presto (プレリュード)、(5)Adagio sostenuto (バルカローレ)に顕著だが、でもところどころに潜む内声のわずかな不穏がショパンよりはっきり聴こえてくる、それが時代の声。にしても「溜め」(音の間合い)の按配の見事さにはたびごと胸の深部を掬われるようだ。 (3) Andante cantabileの葬送から終息への溶暗とか。さらにペダリングの傑出。響の微小から極大まで、ぼかすにじむ溶け合う重なる浮かび上がるつんざく、それらすべての音や句の揺動伸縮が完全なコントロール下にある。美しい。
そこにブーレーズが来る。
序奏〜高速主部1〜ゆったり間奏1から各主部・間奏の緩急を交互に繰り返す4連構成。深いしじまに蠢く低音、高空からしたたる甘水、同一高速連打の凄まじい砲撃、挟まれる音色の夢幻変化、その素早い音空間切断面の眼を射る輝き。撃ち込まれる衝撃低音の上に線香花火のごとく散る刹那の短句。とまあ、たとえ「緩」でも息詰まる緊迫の持続なのだが、その怜悧鋭利の呼吸・響の美と冴えはブーレーズもまたショパン、ラフマニノフの流れにあり、だが彼は2つの大戦による西欧世界の崩落の欠片の蒐集凝縮形を、ピシピシ凍る鏡面の響をもって造形、過去と今日に大きなアーチを架けてみせたのだ、とそう弾く。破壊は科学技術文明が手にした現代の眼と意識を動力としたが、それをブーレーズは音に容赦なく取り込む。が、一瞬かすめる抒情の色、うう、とつぶやく、あるいは呻く声(に聴こえる)の微小片の「音色へのこだわり」に、つまりは「音とひと」への信仰が未だある、とそう弾く。

ライナーノーツに、デジタルと自然の狭間の曖昧を往来せねばならない現代を音にした『アンシーズ』とあった。ショパン、ラフマニノフからは生まれ得なかった音・響世界、と彼は言うが、おそらくは時々刻々「腑分け・解像」されてゆく現代の心身と対峙する務川のこれからの音、世界、語りの一つの過程と問い、「ひと」は「音」は何処へ?がここにある。
筆者はそう聴いた。

(2020/9/15)