足利での一日|言水ヘリオ
足利での一日
如鳩と沼田居展 いのちの眼で見えるもの
足利市立美術館
2020年4月18日(土)~8月16日(日)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため4月18日から5月18日までは臨時休館(当初4月18日~6月7日の会期を予定していたが変更。5月19日からの開催時、栃木県外からの来場者は入館不可。6月26日以降栃木県外からの来場者も入館できるようになった)
http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2020NS.html
石井克作品展 石井克の鳥
artspace & café
2020年8月8日(土)〜8月23日(日)
https://artspace-and-cafe-ashikaga.com/news/news_15.html
Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
自分の場合、新宿から足利まで電車で行くとき、久喜で東武伊勢崎線に乗り換えるより、全部JRに乗り小山経由で行った方が電車賃が安い。身体障害者手帳を利用して割引で乗ることができるからである。8月9日、二つの展示を見るため栃木県の足利へ向かった。
昼過ぎに足利駅に到着。近道と信じていつも歩いている裏通りをへて、美術館前に着く。見知らぬ人と目が合いなんとなく挨拶を交わす。館内に入るとすぐモニターが置いてあり、自動的に来館者の体温を計るしくみになっていた。氏名、連絡先などを紙に記して受付へ。障害者手帳の提示で入館料は無料となる。
牧島如鳩(まきしまにょきゅう、1892〜1975)と長谷川沼田居(はせがわしょうでんきょ、1905〜1983)の絵が展示されている。如鳩の絵は、実物を見るのは初めてかもしれない。両者ともに足利市の出身である。この展覧会は、4月の開催予定で展示搬入がなされたものの、実際の開催は当初の予定からひと月後となった。その間は見る者不在のまま、展示室に作品だけが並んでいたことになる。その時期、他の美術館などの会場でも、同じような状況がいくつも発生していた。
牧島如鳩はハリストス正教会の自給伝教者としてイコン画を描いた。並行して仏画も描いており、やがてキリスト教と仏教の図像が入り混じった類のない作品が生まれることになる。今回展示されていた如鳩の作品は50数点。そのなかの、「魚籃観音像」を前に、この絵か、と思いしばらく立ち止まった。大漁を祈願する福島県の小名浜漁業協同組合からの依頼で描かれ、以来大漁が続いたという。1999年に開催された牧島如鳩展の際には、「不漁になるから」という理由で展覧会への借用を断られた。この絵がここにあるから、この漁港における大漁は続いている。そう考えられていたのだ。
「魚籃観音像」は136.8cm×205.5cmの大きな絵である。真ん中には、小名浜上空の魚籃観音。左手に稚魚の入った器を持っている。その下方には小名浜の風景が描かれている。画面左上には数々の天使と、マリアと思われる人物。右からは菩薩と天女。魚籃観音の衣は網になっており、その下にいる小さな存在が魚を網の中に放り込んでいる。画面最上部中央には北極星が輝き、その右に北斗七星、左にカシオペア座が位置している。
言字もて仏や神を分かつまじ 至極、至愛の元は一つなり
如鳩の歌である。彼は、キリスト教や仏教など、様々に分かれた宗教ももともとは一つであるという歌をいくつも詠んでいる。キリストと仏の習合した絵も、分化する前の元愛が描かせたと言えるのかもしれない。如鳩のほかの絵も見ながら、わたしは、菊地成孔がかつて彼のラジオ番組で語った「21世紀がもし平和の世紀になりたいんだとしたら、道は一個ですよね。異教徒を愛するしかないです」という言葉を反芻していた。
長谷川沼田居は、如鳩の父である牧島閑雲に南画と漢学を習い、如鳩からは洋画を学んだ。55歳頃視力が減退し、68歳で全盲となったが、78歳で亡くなるまで描き続けた。以前沼田居の絵を見たのがいつだったのか、思い出すことができない。いずれにせよそれから15年は経っている。カレンダーの裏に墨で「ん」と一文字描かれた作品を見て視界がにじんでしまったことを思い出す。今回展示されていた沼田居の作品は70数点。竹林、草、木などを描いた絵を見ると、茎や葉、枝ぶりに不自然なところが感じられない。想像や絵の都合ではなく、徹底的に対象を見て、描いているように思われた。そうでなければこのようには描けない。沼田居の画塾に通っていた方が、「その指導内容は、見えるものは正確に、更に、心に感じたものを、『心眼』で描くということであったが、沼田居の絵画指導の基本はデッサンであった」と述べている(磯川佳央「長谷川沼田居の思い出」『「心眼の画家 長谷川沼田居」展図録』p.9)。目の前のものを凝視して、それを写生するとともに、見えない領域も描くというのが、沼田居の絵であった。今回一番気になったのは、主に鉛筆で描かれた自画像のシリーズである。作品に見られるとはこういうことか、という直接的な体験をした。見られているので、こちらも目をそらすことができない。だが、自画像はわたしを見るだけでなく、視線は裏返って自画像自身の内面にも照射されているような気がする。目を開いているようでもあり、また、閉じているようでもある。目元は暗く、キリストになったり抽象化したりする。
視力低下が始まってからは、それまでの細やかな筆致は少なくなる。毛筆による大胆な作品が増え、書も手がけるようになる。その頃に描かれた「太陽花之図」という、目玉のようなひまわりの花の絵は代表作の一つである。そして、全盲となる直前に何点も描かれた「かきつばた抽象」。書と絵が重なったこの作品の前に立つと、どうしても霊的なものがそこに沸き立っているのを感じてしまう。描いている沼田居の目には、この絵はほとんど見えていなかったのだろう。彼の「心眼」による描画は、かつて「見る」ことを突き詰めた結果得られたものではないのだろうか、とふと思う。そして展示の締めくくりとして、「ん」の作品が壁に掛けられていた。
また、チラシにもホームページにも記載はなかったが、美術館1階の特別展示室では「河野次郎・通勢展」が開催されていた。この二人は牧島如鳩と縁の深い画家である。
館近く、中央通り沿いにあるartspace & caféへ移動する。かつて旅館だった建物の1階部分が喫茶兼展示スペースになっている。2月にここに来たとき、足利市立美術館で3月に開催される「石井壬子夫と石井克—うけつがれる画家のまなざし」のポスターが貼ってあり、気になり覚えていた。しかしその展覧会は中止となってしまった。そしてこのたびの足利行きが、石井克の絵を初めて見る機会となった。
石井克は1941年、茨城県水戸市生まれで、足利市在住。今回の展示では、森をテーマにした鳥の描かれた作品が集められたが、他のテーマでも絵を描いている。この空間に並んでいる絵は22点。会場に入ってまず一枚の絵の前に立つ。その題名を確かめると「森」とあり、制作年と識別のためのアルファベットが続いている。描かれているのは、上半身頭部にくちばしらしきものを持ち、下半身は細く長い下肢の、全体として鳥を彷彿とさせる形象であった。くちばしに見えるものは長く、直線的で、真横に伸び、閉ざされている。下肢は不安定で奇妙にバランスを欠いている。翼や羽は見当たらない。しばらく、その絵を目に焼き付けるような時を過ごす。展覧会のタイトルには「石井克の鳥」とあり、勝手に、鳥の絵を見るつもりであった。そしてこれは、鳥なのだろうか。
同じように、一点一点作品を見る。やがて、気のつくことがあった。
ときおり、「鳥」の体の内側に模様が見えることがある。これは、いま見えている画面の下に、以前描いた絵が残っていて、それが見えているのだと、スペースの方が教えてくれた。とはいっても、一度描いた絵をやめにしてその上から別の絵を描く、ということではないようだ。「一枚の絵が完成しても、また描き加えたくなってしまう」(作者談)ということらしい。その結果、その部分だけ前に描いた部分が残ったというわけである。残した、と言うべきだろうか。ある時点で納得のいく絵として完成しても、作者の納得のいき方には変化が生じ、描き続けるという行為は止むことがないのだろう。一枚の絵は、何枚もの絵として描き継がれてきた。
また、絵の上方にしばしば一つの円形が描かれている。森から見える月か太陽とも思えたが、円形の色彩は暗く、どちらかというと光を吸い込む穴のようであった。あるいは、作品が成り立つ際に生じてしまう何らかの徴のようなものだろうか。わからないが、自分には説明のつかないものとして、絵の中にそれはあり、見逃すことができない。円形といえば、目が描かれていない「鳥」がいくつもあり、描かれている場合でも、黒い色に埋れていたり、近づいて見ると痕跡のような筆跡が認められる程度であることが多い。これは、目が描かれない、ということではなく、この絵全体が、そのように描かれている、ということなのかもしれない。
絵の中で「鳥」は、背景に包まれるように立った状態で、たいていやや平面的に描かれている。暗い色調で統一されている絵もあれば、ところどころ鮮やかな色が置かれている絵もある。閉ざされたようでもあり、深くどこまでも続いているようでもある。石井克は、1972年から、2002年に定年で退職するまで、養護学校の先生をしていた。一人の生徒の思い出を記している文がある。その生徒が森の中に入っていくと「瞳が輝き、常同行動もなくなり、すっと立つ。木々のざわめき、木漏れ日、鳥の鳴き声と響き合い、森と一体になる。(中略)私は、あらゆるものが生息する深遠な森の虜となり、その時から『鳥人』など、森をテーマに絵を描くようになった」(石井克「父と私」『石井壬子夫と石井克—うけつがれる画家のまなざし』p.35)という。この文に、今回展示されている作品群が描かれるようになったきっかけの少なくとも一つが表わされていると考えてもよいのではなかろうか。自分の絵を追求し納得のいくまで何度も描き続ける子どもたち。彼らと共に過ごした体験が、作品には込められていて、あふれてきそうに思える。「鳥」は、無言で何か告げているようでもある。わたしは森へ行ったことがなく、現実の体験として思い出せる森がない。「森」という題の一連の作品を見て、自分はその中に入って行けたのだろうか。絵を見て、絵と響き合ったものを、なかなか言葉にすることができない。
見終わって、その場で遅めの昼食。カレーを食べる。喫茶兼展示スペースの場合、席についた状態で作品を見るというのは、また違った体験である。食べた後、コーヒーを飲みながら、たまたま来場していた石井克さんとなんか話したり、話に耳をかたむけたり。しばらくして、近くにある一枚の絵の方を見ながら「こういう場所で自分の絵を見るってのはいいもんですね。これまで、見たことがなかったから」と言う声が聞こえてきた。描いているときに見えているのでは?と問うてみると、そういうことではないようだった。その絵は、鳥の形象は希薄に感じられたが、見ていると、また、いまになって思い返してみても、森の中で空気が動いて、それがいくつもの音になっているような作品であった。
一人になり、物思いにふけっていたら、営業終了の時間になってしまい、あわてて会計を済ませて足利駅へ向かった。
〈参考図書〉
『如鳩と沼田居展 いのちの眼で見えるもの カタログ』足利市立美術館、2020年
『牧島如鳩展図録』美術館連絡協議会、2008年
『「心眼の画家 長谷川沼田居」展図録』足利市立美術館、2002年
『第8回足利市立美術館友の会展「石井壬子夫と石井克—うけつがれる画家のまなざし」』足利市立美術館友の会、2020年
『生きること 描くこと』石井克、国土社、1987年
『表現と自立 描くなかで育つ子どもたち』石井克、一莖書房、2005年
(2020/9/15)
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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。2010年から2011年、『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』の編集。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事をしている。