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撮っておきの音楽家たち|ペーター・シュライヤー|林喜代種

ペーター・シュライヤー(リリック・テノール歌手/指揮者)
Peter Schreier, Tenor/Conductor

2005年11月14日 東京オペラシティ・コンサートホール
2005/11/14 Tokyo Opera City Concert Hall
Photos & Text by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

ドイツの世界的テノール歌手のペーター・シュライヤーが2019年12月25日故郷のドレスデンで死去した。84歳だった。

2005年2月石川県立音楽堂で行われたオーケストラ・アンサンブル金沢の定期公演に登場し、「マタイ受難曲」をすべて暗譜で指揮しながらエヴァンゲリストを歌った。これが日本で最後のエヴァンゲリストの歌唱となった。また2005年末で歌手生活から引退し、以後公の場での演奏活動では指揮に専念することを発表して世界各地でお別れ公演が行われた。その一環として日本でも同年11月に大阪、東京(2回公演)、岡谷の4回の公演によってファンに別れを告げた。このシューベルトの歌曲集「冬の旅」の演奏会が日本での歌手としてのシュライヤーに接する最後の機会となった。写真はこの時に撮影したもの。

1935年7月ザクセン州マイセン生まれ。父親はこの地の教師で教会の楽長・オルガン奏者。1945年6月ドレスデンの空襲の数ヵ月後、10歳になる直前にドレスデン聖十字架合唱団の寄宿学校に入学。合唱団はその頃再編されつつありほかの少年合唱団員とドレスデン郊外の地下室で生活した。厳しい指導のもとバッハの音楽を叩き込まれた。

1959年8月ベートーヴェンの「フィデリオ」で第一の囚人役を歌い、プロ音楽家としてのでデビューを飾った。続く数年、モーツァルトの2つのオペラ「後宮からの誘拐」(ベルモンテ役)、「魔笛」(タミーノ役)で成功。1963年東ベルリンのウンタ―・デン・リンデン通りにあるベルリン国立歌劇場と契約した。カール・ベーム指揮の「トリスタンとイゾルデ」の若い水夫役で1966年のバイロイト音楽祭に初登場で活路を見出す。1966年ウィーン国立歌劇場、1967年ザルツブルク音楽祭にデビュー。そして戦後最高のモーツァルト指揮者であるカール・ベームのもとで数々のモーツァルト作品を歌う。彼自身もまた最高のモーツァルト歌手であるとみなされている。しかしワーグナー「ラインの黄金」「ジークフリート」でも傑出したローゲやミーメを歌った。2000年6月オペラの舞台から引退。最後に出演した演目は「魔笛」の王子タミーノであった。もはや若い王子にふさわしく歌い演じることはできないというのが引退の理由であった。
シュライヤーは活動初期からドイツ歌曲の優れた歌唱で知られ、生涯傑出したシューベルトやシューマンの歌い手だった。J.S.バッハの音楽も若いころから重要なレパートリーの中心としてきた。「私にとってモーツァルトもシューベルトもブラームスも、どの音楽も全てJ.S.バッハの音楽への愛情から発しています」と語っていた。

2020年1月8日ドレスデン聖十字架教会で行われた告別式には3000人を超える市民が参列したという。

(2020/8/15)