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ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|オーベルマンの谷で(2)|秋元陽平

オーベルマンの谷で(2)
In the valley of Obermann (2)

Text & Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

『オーベルマン』は、人によっては読むのがつらいと感じるだろうほどに冗長な小説である。語り手である若いオーベルマンは、全てを望むが故に何一つかなえられず苦悩する、自称早老の精神枯渇者である——要するに19世紀初頭に青春を送った文学青年の平均的肖像ということになるのだが、オーベルマンの語りのねちっこさはそれにしても群を抜いている。彼はまず、パリそしてリヨンで自らの世俗の雑事——相続上のトラブル——に悩まされたのち、全てを一旦放り出して突如出奔、スイスを旅しながら「自分探し」を始める。同書は書簡体小説の形をとるが、ルソーの『新エロイーズ』やラクロの『危険な関係』のようにさまざまな筆者の手による手紙が入り乱れてドラマを形作るタイプのものではなく、むしろゲーテの『若きウェルテルの悩み』のように、基本的に主人公が友人に宛てた手紙のみが掲載され、相手の返事はその内容から推測するしかない、という形式をとる。この形式の書簡体小説というのはしたがってそれ自体、モノトーンであり、そのぶん独白する人間の内奥に入り込んでいく濃密な体験を読者に約束するものである。さらに、ウェルテルの場合は編集者がウェルテルの死後その手紙を編集する体裁をとって介入するためいくらかポリフォニックだが、オーベルマンの場合、序文の書き手も、手紙に注釈を付ける人物も、そして筆者セナンクールも同一人物であるという印象——決してそんなことは明言されてはいないのだが——も手伝って、主人公の内的感覚の袋小路に閉じ込められたような圧迫感が強い。
『オーベルマン』では、ウェルテルのように、愛の終わりと死といった、ドラマティックな結末を伴うひとつの出来事の推移は扱われない。もちろん、青年オーベルマンにも恋愛があり、実存上の危機——たとえば職についてまっとうな社会人として生きるかどうかという悩み——もあるが、ひとりの友人に宛てたその膨大な手紙の大半は、哲学上の——それもこう言って良ければ、同時代のドイツ観念論の哲学者たちと比べるとはるかに素人ふうの、生煮えの——議論に費やされているというものである。それに付き合わされる手紙の宛先たる友人もいくらか困惑し、ときに論駁し、オーベルマンをたしなめようとしていることが、オーベルマンの反応からうかがえる。彼はそんな友人の生真面目さ加減を、剽軽な文体で、友愛を込めてからかいさえするのだ。この友人は彼にとって欠くべからざる存在であると同時に、自身が放浪の旅で描く円周に対する中心点のような存在であるという。二人は絶えず遠くにありながらも、一定の距離を続けるのである。

「もしあなたがリヨンにいたら、ぼくはあなたに相談することなしに[出奔を]決心することはできなかったろう。ただ黙っている必要があったんじゃなくて、ぼくはあなたから隠れる必要があったんです。ひとは偶然のなかにさえ、必然と思うものに口実をあたえる大義を見いだすものだから、あなたの不在はありがたく思われました」(第一の手紙)

オーベルマンとこの「あなた=友人」とのあいだの友情は、このようにたいへん回りくどい。引き留めて欲しい、反論してほしい、しかしあなたとはいまは距離を置いて手紙でやりとりしたい……。そんな彼が友人に得々と語って聞かせるスイス紀行において描かれるのは、いまも多くの旅人を楽しませる、ナルシスの花咲き乱れる初夏のヴヴェイや、厳しくも崇高な冬のツェルマットではなく、どこか薄曇りの心象風景である。ヨーロッパ・ロマン主義は風景としてのスイスの雄大な山岳地方の「発見」から始まるなどとよく言われるが、『オーベルマン』においては、壮大な情景はしばしば自己沈潜の中にあべこべに嵌め込まれてしまう。しかし、それがセナンクールの散文に、逆説的にも旅行記的と言っても差し支えないような叙情を与えていることは否めない。例えば、こんな記述がある。

「イヴェルダンより
 ぼくはひととき、今までより美しい場所で、自分が自由だと感じたよ。そこによりよい生を見いだしたと思ったんだ。でも、あなたには本当のことを言うと、ぼくは満足してない。ムードンというヴォー州の中心で、ぼくは自問した。この名高い、待望の場所でぼくは幸せに生きていけるだろうか?しかし深い倦怠のせいでぼくはすぐにその場を立ち去ったんだ。それから、この印象をその土地の悲しい雰囲気に結びつけて、自分にそれが必要だと思おうとした。ムードンの地は森深くて絵画的だが、湖が無いんだ。夜はイヴェルダンに泊まることにした。この岸辺には、ぼくが喜びよりも優先する、悲しみのまじった安らぎがあるんじゃないかと期待してね。」(第四の手紙)

彼はこうして、「悲しみのまじった安らぎ」をもとめてレマン湖の岸辺をさすらうが、この感情自体は、スイスという国と昔から結びつけられてきたものだ、と言って言えなくもないだろう。その昔、スイス出身の傭兵たちが、故郷から遠く離れた赴任地で「牛追い歌Ranz des vaches」を聞くと懐かしさのあまり病臥したのが「懐郷病Heimweh」、すなわち病としてのノスタルジーの起源だという言い伝えは有名である。わたしが以前ベルン出身の夫妻とヴヴェイのお祭りで出会って立ち話をしたとき、この牛追い歌の話をしたことがある。「あれを聴くと、懐かしい気持ちになるよ」と男性のほうが言うので「普段よく聴くんですか?」と問うと、「いや、Youtubeで聴いた!」。この牛追い歌は現在でも、たとえば牛飼いが山から下ってくる秋口にインターラーケンあたりで聴くことが出来るが、彼は実際にその場に立ち会ったことはないらしい。それでも、ノスタルジーはノスタルジーというわけだ。思えば、故郷を思う気持ちというのはまさしく、悲しみと安堵感がない交ぜになった気持ちではないだろうか? (続)

(2020/7/15)

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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。