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カリフォルニアの空の下|“STEAM”教育におけるアートの役割|須藤英子

“STEAM”教育におけるアートの役割
The role of arts in “STEAM

Text & Photos by 須藤英子(Eiko Sudoh)

白人警官による黒人男性暴行死事件に端を発する抗議運動が、最も暴徒化していた5月末、不意に明るいニュースが全米を駆け巡った。電気自動車界の先鋭テスラ社の宇宙部門が、NASAと共同でロケットを開発。民間企業による初の有人飛行を成功させ、宇宙飛行士二人を宇宙ステーションに送り込んだのだ。打ち上げからドッキングに至るロケットからの映像は全てYouTube上でライブ中継され、暴動で荒廃した地上とは裏腹なその美しい光景を、多くの人々が同時共有した。アメリカ最先端の科学技術力が、顕示された瞬間であった。

オバマ政権以降アメリカでは、ITをはじめとする科学技術力の伸長を目指し、“STEM”教育が推進されてきた。“STEM”とは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の四領域の頭文字を取ったもので、分野横断的な問題解決型の教育を指す。近年、このテクノロジーを主とする“STEM”に、人間性を重視するArts(芸術・人文)が追加され、“STEAM”教育が叫ばれるようになってきた。今回はこの“STEAM”教育について、アートの役割に注目しつつご紹介したい。

◆“STEAM”教育の実践例
我が家の1年生の娘のクラスでは、3月以降の自宅学習期間中も、“STEAM”という名の授業が毎日行われていた。そこでは、理科で調べた生き物を工作で作る、国語で学んだ国旗の知識を生かして自分の旗をデザインする、アースデイにちなんで廃材を利用した楽器を制作し、オンライン上で合奏する等、図工と他教科を連動させたようなクリエイティブな活動が行われていた。

一方4年生の息子のクラスでは、日常的な“STEAM”の授業はなかったが、年に一度の“STEAMフェア”というイベントで発表を行うチャンスは与えられていた。友達と二人で“環境科学”という分野を選んだ息子は、それに関連するYouTube動画を見ながら“リサイクル”について調べることを決めていたが、その後あえなく学校が休校になり、イベントもキャンセルされてしまった。

この“STEAMフェア”は、毎年市の教育委員会が開いているイベントだ。改めてそのホームページを見てみると、そこでは“STEAM”について「科学(S)、技術(T)、工学(E)、数学(M)のスキルを用いて、創造的、芸術的(A)な視点から取り組むプロジェクト」と説明されていた。またその「創造的、芸術的(A)な視点」については、「結果だけではなく、試行錯誤、多様な思考、主体的問題解決、十分な忍耐力を含むプロセス」と記されている。プロジェクトを遂行する上でのいわば“人間力”といったものが、アートに期待されていると言えよう。

このイベントの今年のテーマは、「あなたは何について不思議に思いますか」というもの。さらに低学年では「何を集め、どう整理し、なぜそうするのか」、中学年では「何を発明し、どんな問題を解決し、なぜそれが重要なのか」、高学年では「何を日々不思議に思い、 それを知るためにどんな実験をするのか」といったサブテーマが設けられていた。具体的なものから抽象的なものへと学年が上がるごとにテーマが広げられ、その中で「自分の周りの世界について批判的に考え、問題解決者になること」が目指されている。

◆High Tech Highについて
手探りで問題を見出し、身近なところからその解決法を考えるこのような学習を、教科やイベントとして取り入れるだけではなく、全授業に適用した学校がある。カリフォルニア州サンディエゴのHigh Tech Highだ。この学校は、2015年に公開されたドキュメンタリー映画「Most Likely to Succeed」で紹介され、未来型の教育を行う学校として世界に衝撃を与えた。

High Tech Highには、一方向に向かった机の並びや、教師が生徒に一斉に教えるといった光景がない。代わりに生徒はタブレットやパソコンを駆使し、各々の課題について友達や教師と相談しながら学習を進める。混沌としつつも活気に溢れるその教室では、生徒自身が自らの学びに熱中する。

映画では、日頃の成果発表の場であるオープンスクールデイの様子が映し出されていた。世界中から見学者が集まるこのイベントでは、生徒自らが各々のプレゼンテーションを行う。紛争問題の解決策を表現するミュージカルや、自己と他者の調和を示す巨大なゼンマイ時計など、音楽的、美術的な発表が溢れる学校。そこにはまるで劇場や美術館のような、創造力に満ちた熱気が漂っていた。

日本でも近年、問題解決型の教育に大きく舵を切った私立学校が人気を集めているが、このHigh Tech Highは、驚いたことに私立の学校ではない。所得に関係なく地域の希望者が抽選で入れる公立のチャータースクールで、低所得層の生徒も半数を占めるという。テストのための授業がないにも関わらず、州の一斉テストでは平均を上回り、大学進学率も98パーセントと高いこの学校は、未来の教育の一つのスタンダードを示しているのかもしれない。

◆問題解決型の学習とは
このような問題解決型の学習が注目される理由として、グローバル化が急速に進む社会において、これまで以上に複雑な問題が増えてきたことが挙げられる。現在のコロナ禍も、まさにその一つであろう。答えのない問題に創造的に立ち向かっていくには、柔軟な思考力とともに、粘り強さや協調性が必要だ。そのような人材の育成には、正解のある課題を通した暗記中心の系統学習ではなく、正解のない課題を用いて問題解決へのフレームワークを学ぶ新しい学習が必要なのだ。

アメリカでは、オバマ政権によって“STEM”教育が国の優先事項と位置づけられて以来、問題解決型の学習への関心が広がった。デジタル技術の発達によって、子どもたちがコンピューターを活用し、自ら情報を集めながら学習を進めるアクティブ・ラーニングが可能になったことも、このような新しい教育が加速した一つの要因であろう。

問題解決型の学習には、様々な形態がある。提示された課題への解決法を模索する“プロブレムベース学習”、自ら課題を設定した上で解決法を考える“プロジェクトベース学習”、また自分の考えを形にし、周囲のフィードバックを得ながらより良いものを目指す“デザインベース学習”などだ(参照:木島里江、ヤング吉原麻里子「世界を変えるSTEAM人材」朝日新聞出版)。いずれの場合も、問題解決に向けた試行錯誤の過程そのものを学ぶことに、力点が置かれている。

これらの学習は、チームを組んで行われることが多い。お互いに考えを出し合い、失敗や妥協を繰り返しながら、アウトプットへと繋げていく。そのプロセスこそが、現実社会での問題解決に不可欠であるためだ。子どもたちは、人と人とのコミュニケーションとコラボレーションをも、実践的な課題を通して学んでいくのである。

◆“STEAM”教育におけるアートの役割
 “STEM”教育は、科学技術の分野において、このような問題解決型の学習を行う教育であった。この“STEM”にArtを加えた“STEAM”教育が関心を集めるようになった背景には、情報社会からポスト情報社会への時代の変化があるだろう。あらゆる情報がインターネット上に溢れ、人間に代わってAI(人工知能)が様々な仕事をこなすポスト情報社会。そこにおいて更なる科学技術力の向上を目指すには、一層の人間性すなわち人間力が求められるのだ。

“STEAM”では、問題解決の大前提として、問題設定の在り方自体が重要になってくる。何をどう解決するかということ以上に、何のために解決するのかという、より根源的な問いが必要になるのだ。そこにおいて欠かせないのが、科学技術はあくまで、より良い社会を形作るためのツールである、という視点であろう。その視点を欠いて、機能や精度の向上のみを近視眼的に追求するならば、AIが人間に取って替わる日も遠くはない。人間とそれを取り巻く社会全体への、広く深い眼差し。そのもとに設定される問いからこそ、創造的な発想が生み出され、価値ある解決がもたらされるのだ。

そのような問いを立てるには、何より人間社会そのものを深く知ることが必要である。また解決に向けて発想を展開していくには、粘り強く取り組む力や人と協力する力も不可欠だろう。アートはそれらの点において、大きな役割を担うことができる。人間探求から生まれる多種多様な表現は、人間社会への理解を促すことができ、日常的な練習や創作の過程は、試行錯誤や協働の力を育むことができる。音楽を聴く、演劇を観る、美術館に行く、また合唱の練習をする、ダンスの振りを考える、絵を描く…。これらささやかな日々のアート活動からも、より良い社会を築くための人間力を養い、それを科学技術の発展へと生かすことができるのである。

“STEAM”教育においてアートは、科学技術力の土台となる人間力を育む役割を担う。医療やテクノロジーなど科学技術の力がますます重要になりつつある昨今、それを支えるアートの力もますます必要とされよう。私には科学技術の素養はないが、アートを通じて何かの役には立てるかもしれない…。そんなほのかな想いを胸に、感染拡大と社会不安が一層深刻なカリフォルニアの空のもと、テクノロジー頼みのインドア・アート生活に浸り続ける日々である。

(2020/7/15)

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須藤英子(Eiko Sudoh)
東京芸術大学楽理科卒業、同大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメントや普及活動等について広く学ぶ。2004年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。06年よりPTNAホームページにて、音源付連載「ピアノ曲 MADE IN JAPAN」を執筆。08年、野村国際文化財団の助成を受けボストン、Asian Cultural Councilの助成を受けニューヨークに滞在、現代音楽を学ぶ。09年、YouTube Symphony Orchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。12年、日本コロムビアよりCD「おもちゃピアノを弾いてみよう♪」をリリース。洗足学園高校音楽科、和洋女子大学、東京都市大学非常勤講師を経て、2017年よりロサンゼルス在住。