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ウィーン留学記|オペラにおけるジェンダー・ギャップ――男装のレオノーレ|蒲知代

オペラにおけるジェンダー・ギャップ――男装のレオノーレ
Gender Gap in Opern: Leonore in Männerkleidung

Text & Photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)

オーストリアの女性たちは、ありのままの自分を魅せるのが上手い。ノーメイクにジーンズでも、女を捨てるなんてことはなく、仕事も恋も楽しんでいる。言い換えれば、無理をしていない。もちろん、美意識の高い人はいつでもどこでもお洒落に気を遣っているが、化粧をしていないからといって白い目で見られることはなく、むしろ大学にピンヒールでスカートを履いて行った方が目立ってしまう。2020年の「世界ジェンダー・ギャップ報告書」によれば、オーストリアは男女格差が少なく、世界153国中34位、日本は121位となっている。社会において女性が自然体で自分らしく生きるためには、男女ともに意識を変えていく必要があるだろう。

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私が好きなオペラ作品のひとつに、リヒャルト・シュトラウスの『アラベラ』(1933年初演)がある。留学前にテレビで観たルネ・フレミングのアラベラに魅了され、さらにウィーン国立歌劇場でもタイトルロールのアニヤ・ハルテロスの歌唱に圧倒されたが(2016年2月1日)、実を言うと、主人公アラベラの妹ズデンカが可愛らしくて仕方ないのだ。
ズデンカは家庭の事情で「男装」させられている。彼女は親友のマッテオに恋をしているが、マッテオはアラベラに求愛中。ズデンカは自分の気持ちを押し殺して、マッテオの恋路を応援するが、その恋に望みがないと分かると、落ち込む彼を慰める決意をする。暗闇の中、アラベラの振りをしてマッテオと一夜を共にしたズデンカは、最後に本来の乙女の姿で登場し、全てを告白。マッテオは心を打たれて、ズデンカへの愛に目覚める。
台本はオーストリアの作家フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(1874-1929)が書き、その基になった同作家の短編小説『ルツィドール』(1910年)では、妹の方が主人公だった。そのさい、名前もズデンカではなくルツィーレという名前であり、男性名のルツィドールで呼ばれている。オペラ化にあたって主人公の座から引き下ろされたのは、数々の求婚者を従えた姉アラベラの方に華があったということだろう。といっても妹の方は、周りの人たちに男性と思われているので仕方がないのだけれど。
「女の子は育てるのにお金がかかる。」
姉妹の両親はお金に困り、アラベラを金持ちの家に嫁がせるため着飾らせ、ズデンカに犠牲を払わせていた。しかしながら、ズデンカ自身は文句を言わず、姉の恋を応援する健気な娘だ。

フォルクス庭園のバラ(2019年6月3日撮影)

昨年フォルクスオーパーで上演されたオペレッタ『にんじん王』(1872年初演)にも、そんな健気な「男装」の娘が登場する(2019年12月20日鑑賞)。この作品は、ドイツの作家E・T・A・ホフマン(1776-1822)の『ちびのツァッヒェスまたの俗称をツィノーバー』と『王様の花嫁』を基に、ジャック・オッフェンバック(1819-1880)によって作曲された。2019年はオッフェンバック生誕200年の記念の年。『にんじん王』は上演されることの珍しい作品だが、今回は子どもたちが沢山観に来ていて、子ども用のクイズ形式のプリントも配布されていた(私ももらおうとしたが、もらえなかった)。
野菜の被り物が奇抜だったうえ、専属歌手の平野和さん演ずる黒魔術師トルックが、日本語でセリフを言う演出だったため、かなり印象に残っている。一見「にんじん王」が主役に思えるが、この野菜の王様は、悪い魔女が畑の野菜に魔法をかけて作り出した敵役(野菜なので、時間が経つにつれて萎んで元気がなくなっていく)。主人公は王子フリドリン24世で、「にんじん王」に乗っ取られた自分の国を取り戻すため、仲間と共に旅に出る。その仲間の一人が、ヒロインの伯爵令嬢ロゼであり、「男装」をしているので、フリドリンはロゼが女性であることに気付かない。しかし途中で船が難破し、ロゼがフリドリンたちの命を救ったときに「男装」がばれ、二人の間に相思相愛の雰囲気が流れ始める……。

アン・デア・ウィーン劇場(2020年5月25日撮影)

そして、同じく「男装」のヒロインが登場する有名な作品、それはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の唯一のオペラ『フィデリオ』である。
今年は生誕250周年のベートーヴェンイヤー。ウィーンでも数多くのイベントが予定されていたが、コロナで中止や変更を余儀なくされたプログラムも多い。例えば、アン・デア・ウィーン劇場では『フィデリオ』を今年3月に6回にわたって上演するはずだった。チケット予約も、通常より早く受け付けるなど力が入っていて、私も前売りを買って楽しみにしていた公演。しかし、プルミエの数日前に劇場がコロナで閉鎖され、通常の上演が不可能になった。そこでアン・デア・ウィーン劇場は、インターネットとテレビで無観客の舞台を公開することに決定。私は3月20日にテレビで観ることができた。
『フィデリオ』は、レオノーレが冤罪で投獄された夫フロレスタンを助けるため、「男装」して刑務所に潜入する話だ。レオノーレが扮する「フィデリオ」(男性名)に、看守の娘が恋をしてしまうのも面白い。
カーテンコールにて。無観客上演のため、拍手が起こらないのは寂しいと思っていたら、舞台上に集まったオーケストラを含む出演者たちが互いに拍手。無事に上演できた安堵からだろうか、彼らは自然な笑みを浮かべていて、家にいながらとても温かい気持ちになった。
ところで男装のオペラは多いが、女装は少ない気がする。思いつくのはモーツァルト『フィガロの結婚』のケルビーノと、R・シュトラウス『ばらの騎士』のオクタヴィアンくらいだろうか(むろん、両者は女性歌手が演じるズボン役ではあるのだが)。女装が少ないのは、女装するメリットが少ないということだろう。

アン・デア・ウィーン劇場のベートーヴェン銘板

さて、オーストリアは5月1日に外出制限を解除したが、店内や公共機関でのマスク着用の義務化などが効を奏したようで、感染者数はある程度抑えられている。新たなクラスターが発生し、ウィーンの感染者数が他の地域よりも多いのが気がかりだが、気持ちとしては明るい。また、絶望的と思われていた幾つかの公演が、観客の人数を相当絞って、今シーズン終了前に再開することも発表された。6月にはウィーン国立歌劇場や楽友協会で小規模のコンサートが開かれる。
とはいえ、会いたい人に会えない生活が続いていることには変わりない。カフェなどで友人に会うことは可能ではあるが、大学の授業は引き続きオンラインで行われているので、不要不急の外出は避けている。オーストリア人の友人の一人は、母親が病院で看護師として働いていているので、危機感は人より強く、私にメールでこう書いて送ってきた。
「私の母は今はコロナとは関係ない科で働いているけれど、もし感染者数が増えたら、コロナ患者を看なければならない。もしそうなったら、私は心配で夜も眠れない。」
その同じ友人が最近私にメールで送ってきた日本語学科の宿題のひとつが、「世界ジェンダー・ギャップ報告書」に関する日本語の新聞記事を読み、作文するというものだった。私は今学期も毎週のように彼女と彼女の彼氏の日本語作文を添削しているが、その回の作文は特に印象深い。彼女の意見によれば、現在のオーストリアでは共働きでなければ家族を養うことはできない。夫婦に子どもがいる場合、社会による手厚い育児サポートが必要である。特に小さな子はすぐに熱を出すので、そんな時にも仕事を休んだり在宅ワークに切り替えたりしやすい環境が必要だ、とのことだった。今回のコロナで思い知ったが、個人の努力だけではどうにもならないこともある。「新しい生活様式」だけではなく、「新しい社会の仕組み」を作ることも急務だ。

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(2020/6/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。2012年、京都⼤学⽂学部卒業。2020年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。現在はウィーン⼤学博⼠課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ⽂学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。