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ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|サッフォーから安楽死へ(2) | 秋元陽平

サッフォーから安楽死へ(2)
From Sappho to Euthanasia (2)

Text & Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

ヴァイオリニストの彼女がHさんの誕生日に捧げたそのサッフォーの詩のなかには、こんな一節があった。彼女の仏訳をもとに重訳してみよう。

——けれど冷や汗がわたしをのみ込み、わななきがわたしの全身をとらえ、そして草よりもなお青ざめて、わたしはほとんど死にそうなくらい…

この、「草よりもなお青ざめて」の部分に、パーティの参加者たちは反応した。恋する人間が恍惚のなかで仮死状態におかれる描写だが、ある人は「草のような色になるというのは、不思議ね!」と言う。言われてみれば、そうかもしれない。仏語のvertという訳語からは、病人の青ざめた顔の「青」だけではなく、とくに「草」と対比されると若々しく青臭いというニュアンスの「青」の意味も想起され、エロスが鏡映しにのぞき込む死の静寂のなかに、逆説的にみずみずしい生命が鼓動を打っている、という情景も想像される。古代ギリシャ語ではどうだろうか?——だが背伸びするのはやめておこう。続けて披露された「老い」は、女神エーオースが人間の男に恋をする呪いをかけられ、自分よりはやく老いていく恋人を嘆くさまを引用しながら、運命を受け入れよ、と忠告する苦々しい詩だ。戸惑いと喜びに満ちた瑞々しい死に姿をやつした若い愛から遠く離れて、老境はもはや死の魅惑を感じさせない。諦念の嘆きだけがある。老境に差し掛かった聴衆たちはこの詩の内容に得心したといったふうににこやかで、その享楽にはアイロニーの苦みはないように私には思われた。若者と老人はそれぞれ、二つの異なる仕方で死に親しむのだろうか?

その後パーティの話題は私たち日本人夫婦にしばらく集中し、研究内容や日本、スイスのさまざまなニュースにおよび、それからふたたび死のもとへともどってきた。70代のある婦人が、100歳ちかい母親を介護施設で見舞うたび憂鬱な気分になる、あのようになるくらいなら私ははやばやと死にたいわと嘆き、それに皆が賛同する。実際にひとびとがそのような信念を恒常的に抱いているかどうかはともかく、日本でもこのような会話が交わされることは珍しくない。そこでわたしは——もちろん逡巡はしたものの——許されるだろうと思い、「でも、スイスには実際にディグニタスという組織があるでしょう」と切り出した。

このディグニタスという自殺幇助団体については日本でもテレビをはじめメディアで何度か特集が組まれ、知る人も多いことだろう。ウェブメディアでは、スイスインフォによるこの翻訳記事が事情を詳しく説明している。ちなみに、「スイスインフォ ディグニタス」でGoogle検索をかけると、検索エンジンはメンタルヘルスを気遣って相談室の電話番号を案内してくれることを付記しておこう。念のためもう一つ付け加えておくならば、日本臨床倫理学会によれば「安楽死」と「自殺幇助」は別の概念であり、前者は医師などの他者が直接的に患者に死をもたらすのに対し、後者では他者が行うのはあくまで自殺者の「幇助」のみである。私がタイトルに「安楽死」と入れたのは、サッフォーの朗読につづくこの会話のなかでしばしば「安楽死 Euthanasie」という語が用いられていたからにすぎない。ともかく、前述のスイスインフォにおいてもしばしば「自殺幇助団体による安楽死」という記述があるように、この区別はまだ十分に普及していないようである。

さて、ディグニタスという固有名詞に対する皆の反応は非常に肯定的なものだった。パーティに招待された老婦人たち——概ね社会的経済的に恵まれた立場にあり、仕事からリタイアし(なかには80歳を越えて仕事を続けているひともいる)、離婚歴があるひとも多い——の中には「必要な状況になれば是非お世話になりたい」というひとが多かった。わたしは学部一年生のときに中公文庫で読んだ社会学の古典、E・デュルケームの『自殺論』を思い出した。デュルケームは統計を駆使して——といっても19世紀末の水準で行われたものだが——個人主義が宗教の内部で推し進められたプロテスタント諸国では、カトリック諸国と比して自殺率が顕著に高いという結論を引き出したはずだ。といっても、わたしはこの私的な会話と19世紀の名著を事実の次元で短絡したいのではない。むしろこのとき、彼女たちが自ら率先してこうしたプロテスタントにまつわる定式に言及し、それを肯定的に引き受けているように感じられたのである。「カトリック諸国では安楽死が認められないのは悲惨なことだ。死に方くらい個人に決めさせてほしい」と言うある女性は、自分はどちらかといえばプロテスタントであるという程度だが、「あるいは」家族の良き思い出——教会に通ったこと、祝祭日の歓談——との結びつきにおいては自分は信仰を持っている、とわたしに語ってくれた。この「あるいは」の意味はなんであろうか。死ぬ権利をめぐるひとつの姿勢を、宗派の名のもとにではなく、彼女はより親密なものと結びつけて再選択した。しかし同時にそれは少なくとも本人にとって「宗教的な」選択として位置づけられたのだ。かつて信仰と呼ばれたものとはたしかにずいぶんと趣が異なるとしても、そこには再選択されたものだけが持つちからがあたえられているとは言えないだろうか?Hさんが焼いたパイが配られ、シャンパンが注がれなおし、病をめぐる四方山話がはじまる。「病院というものを信用しきってはいけませんよ、薬漬けで生かされてしまうから。出された薬を言われるままに朝飲んだら、ぼぅっと座ったまま気がついたら夜になってたんだから」というひとりの話で笑いが起こった。

これらはすべて、現時点で世界の大部分を覆っている疫病禍が現れる前の話である。死の個人的意味を奪うものとしてしばしばやり玉に挙がってきた「医」に携わる者たちは、だがいまやWHOのお膝元ジュネーヴ市では周知のとおりほかの誰よりも喝采を受けている。人口比あたりの感染者数が欧州でも際だって多くなったスイスでは3月後半からいち早く、隔離中にバルコニーから一斉にCovid-19と戦う医療者への拍手(clapping for carers)を送る取り組みがはじまった。当地にいる友人たちのうち数人が、医師としてその前線に立っており、わたしは彼らの無事を祈っている。こうして感染症との戦いは「総力戦」として、現代において加勢することにためらいを必要としないほとんど唯一の種類の戦争として認められつつある!家族に看取られて死ぬことも、明日や一年後のことを考えずに街をぶらぶらすることも、公衆衛生は理由があれば制限する。そうなれば死はやはり、個人的なできごととは考えられない。甘き死よ、来たれということは場違いとなり、アッシェンバッハははやくヴェニスを立ち去るべきである。夜会にいた老婦人に後にマンションで再会したとき、むべなるかな、彼女は「social distance」と言ってわたしたちが近づくのを牽制したのだった。

(2020/5/15)

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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。