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ヴォクスマーナ&川島素晴|丘山万里子

ヴォクスマーナ&川島素晴

新型コロナ猛威下ゆえ、変則的な形で書かせていただく。
3月の演奏会2つ。

ヴォクスマーナ第43回定期演奏会

2020年3月5日 豊洲シビックセンターホール
2020/3/5 Toyosu Civic Center Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:ヴォクスマーナ

<演奏>        →foreign language
指揮 西川竜太
ヴォクスマーナ

<曲目>
山本裕之(b.1967): 賢治祭(2004委嘱作品・再演)
鈴木純明(b.1970):「Susanne un jour シュザンヌはある日」pour 12 voix mixtes(2015委嘱作品・再演)
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稲森安太己(b.1978): Ebene Minne(委嘱新作・初演)
田中吉史(b.1968): 歌声、発話、正弦波(委嘱新作・初演)

アンコールピース
伊左治直(b.1968): 面影のほとりに(アンコールピース19委嘱新作・初演) 詩:新美桂子

「ヴォクスマーナ」第43回定演は2月26日の首相によるスポーツ・文化イベント中止要請で開催か否か最後まで気をもんだが、開催された。
接触を避けチケットは自分でもぎりダンボールへ、プログラムも各自、箱からとる。見かけた古参マネージャー氏が「映画館は閉鎖してないんだよね、弱小は中止しかない、誰も声をあげないんだよね」と嘆いていたが、日本クラシック音楽事業協会が自粛中止への対応メッセージを発表するのは3月17日。

豊洲シビックのステージは背後のガラス越しに美しい夜景が浮かび、こんな時だからだろうか、「人の歌声」が一層胸にしみる。休憩時のロビーは三々五々立ち話の輪が出来た。
後半の委嘱初演2作への言及のみとなることをお許し願う。
稲森作品はエーベネ・ミンネという中世ヨーロッパのミンネザングの一様式(神聖な愛と男女の愛の中間に位置する愛を歌うらしいがこの様式があったかどうかも不明、そこが創作欲をくすぐったそうだ)に示唆を受け、とのこと。Walther von der Vogelweide のミンネリートと神聖なライヒLeichからの詩で、4つの歌は概ね2群の合唱に分けられ同時に歌う。長い節のライヒ(ドローン状)と自由に愛を歌うミンネリートの重なりが波のようにうねり美しい。手拍子を入れリズミックに揺れる場面もあり、声の多彩なシーンを楽しめた。「中間の愛」とは聖俗を分ける境界を回避する心優しい回遊魚の描く波形でもあろうか。それがまた夜景に映え、水槽の中ゆるゆる光が溶けるのであった。
田中作品は12人の歌手が客席4方に分かれ電子デパイス操作などとともに、タイトル通りそれぞれが様々な歌声・発話・正弦波で聴衆を囲むのだが、なんとなく楽しく時が過ぎた。水の湧く音、鳥のさえずり、聞いたような聞かないような、歌のような息のような、単語のような文節のような、いろんな響きがあちこちから降ってくる。こちらは森とか水の中とか、自分の位置は変わらないのに自分が動いている気分。言ってみれば「中心のない中心」にもわっと囲われる感じで、そこが心地よい。で、終わり近くに「すみませーん、ちょっと静かにしてください」と叫び、そのあとも何かごにょごにょやって、最後は「Thank you for listening!」で終わる仕掛け(筆者、本誌ツイッターでは、「静かにして」で了としあとの説明は省いたが、作者よりコメントが届き最後の言葉をご教示いただいたのでここに書く次第)。筆者はこの手の作品(空間配置)を今まで面白いと思ったためしがないのだが、これは楽しんだ。
この2作、いずれも「この窓、出入り自由」的設計で「これを聴け!」的強圧のなさが共通に思え、筆者にはそのゆるさが好ましい。とここまで書いて、これは背後の都会夜景のせいかも、と思い当たる。借景の中で音と遊べた、ということか。
終演後のロビーは歓談者で溢れ大いに沸いていたが、そんなシーンはもはや当分見ることはなかろう、と横目で見つつ帰途についた。

♪川島素晴 plays… vol.1 “肉体”

2020年3月24日 杉並公会堂小ホール
2020/3/24 Suginami Kokaidou Small hall
Phots by 平井洋

<パフォーマンス>        →foreign language
川島素晴 / ささきしおり / 今村俊博 / 林美春 / 後閑綾香

<作品>
1.スティーヴ・ライヒ : 手拍子の音楽(1972)ソロ版
2.ジョージ・ブレクト : 滴下の音楽(1959)with ささきしおり
3.川島素晴 : 視覚リズム法 Ia(1994)
4.後閑綾香:足の音楽(2020委嘱作品/初演)
5.寺内大輔:耳の音楽(2003)ソロ、聴衆参加
6.今村俊博:変種たちの狂宴(2010/東京初演)with 今村俊博、
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7.清水卓也:ポリモーフィズム (2017/東京初演)with 林美春
8.川島素晴:顔の音楽(2020/初演)
9.ディーター・シュネーベル:肉体 – 言語(1979/80)with 今村俊博、後閑綾香、ささきしおり
10.ヴィンコ・グロボカール:肉体の?(1985)

さらに気をもんだほぼ2週間後の『川島素晴 plays…』。参加にあたっての注意書きには、チケットの受け渡しなし、入り口にアルコール・ウェットティッシュが置いてありそれで各自手指消毒のち下のゴミ入れに、パンフは自分で取る。ステージ前列は演者の飛沫を防ぐため封鎖、席は一つおき前後も互い違いに。換気のため扉は開放。ロビーでの会話は開演前、中、後も禁止、終演後は速やかに帰宅するよう。途中で気分が悪くなった場合は遠慮なく退出を。笑っちゃう場面の時は口を袖で隠してね。
というわけで、客席は通常の半分くらいにぱらぱら(でも満席)。当夜は鉄道事故とかで、来るはずの客をかなり待っての開演となった。
この、異様なコロナ緊張感と、え、あなたも来たわけ?的くすくす目笑い(大方マスクゆえ)の微妙にうさんくさい連帯感とが漂う秘密結社集会に参加っぽい空気。
いや、始まってみれば、そんな浮ついた好奇心など吹っ飛ばす、ほとんど厳粛と言えるまでの精魂傾け精根尽きる凄まじい肉体の発信で、筆者は長い人生で、これほどに眼前の男に喰らいつかれた記憶はない。
脳裏に残った作品のみへの言及とする。番号は上記に準ずる。

1.男、ジャージーで現れ、中央でおもむろにズボンを下げ(客席クスクス)スクワットに近い態勢で両手のひらで両腿内側を叩き始めた。リズムと音色さばきも鮮やかなライヒ。終えれば叩かれた部分は真っ赤に変色内出血。うむ、凄い。(筆者的3位)

2.床に寝た男の頭部に置かれた台上から女が男の口に水を注ぐ。ハンドドリップ(レストランなどでカップに高所から水を注ぐテクニック)経験を持つ女の描く透明な放物線の下、口を開け続ける男。オペラグラスを持たぬゆえ、口にちゃんと入っているのか溢れているのか飲みくだしているのか不明。キリシタンへの水攻め拷問、看守が囚人にホースで水攻め記事など想起し、いやな気分に。最後に暗転、まだ彼女が注ぎ続ける様子に一瞬笑いが起き、筆者憮然。すぐ点灯したものの…。

5.男、聴衆に呼びかける。自分の耳をあれこれいじったり動かしたりしてそこで生まれるいろんな音を聴いてください。私もやりますね。時間はケージに敬意で4分33秒。信者たち従順に耳に手を当てあれこれ。男(カワシマセンセ)の動きの模倣人、勝手に試動人、どうでも適当人、周囲見回す人(筆者)。まずは模倣が多く、大げさ身振りで音を立てたりは約2名。人はとりあえず前へならえ、か。客席卵たち、そんなことでどうする!

7.男、台上にブリーフ1枚で横たわる。女、手のひらで彼を叩く。男の顔はモニターでアップ。部位は顔を含め多岐、容赦ない乱打(連打、不意打ちその他)、ほんの時たま一瞬の愛撫。モニターでアップされる男の顔が苦痛に引き攣り、一瞬の愛撫に恍惚(客席笑)。女の両手がしない空を舞い繰り返される衝撃波、両者の肉体(男は顔面のみだが数度半身起す)喚きわななき。叩くも叩かれるもほぼ同量の汗と熱、そして痛み。叩いた手も叩かれた部位も赤く腫れ。(1位)

8.青いコロナ防護服で顔だけ露出の男が顔面のあらゆる部位を動かし続ける、こちらもアップ画像。冒頭は穏やかな、で、百面相をさてどう終わらせるか。片目をうっすら閉じ、もう一つも静かに閉じ、瞑目…で了(であろうな)。眉から何から顔筋のコントロール技に感嘆だが、思う。この人、どんだけ自分の顔を見続けたか。鏡を前に研究、没頭姿を想像、苦く哀しく愛しく。(2位)

筆者はプロダンサーの裸形舞踊は見惚れるが、素人の裸芸は嫌いだ。パンツいっちょの川島の裸には一瞬目を背けた。
が、そんな審美をガツンぶっ壊すものがそこにはあった。何か。
全10作出突っ張り、己を曝け出す尋常でない欲望に取り憑かれた男の生身が発する尋常でない熱。
表現とは、つまるところ露出狂ゆえ反社会的だ。彼の露出はだが冷静に計算され、見る者の隠微な好奇心に我が身を提供、見世物とすることにより自足する。
ジムで鍛えたものの半端肉体と、その制御に猛進する自虐意志の滑稽。たとえば7.での相方との痛み分けと応酬のやるせなきサドマゾ、8.でのペーソスと瞑目、1.での手技の間にもそれがのぞく。

そも肉体の復権は長く叫ばれたことであり、川島の「笑い」哲学もまた「人の人たる要所」を突くものと見てはきたが底の薄さが見え隠れ未だ達せず...と思ってきたが、当夜、ついに届いたこれ、7.8.の苦く哀しく可笑しく純一な必死。イケてない半裸男がその肉体で喚き続けた血と汗まみれのペーソスの持つ粛然。
だがそれは「こんな時こんな場」だからこそ起こりえたもの。
だがそれこそが二度ないこの時この場限りの人間業(「限り」を尽くす滅尽の姿)と思う。

思ううち、豊洲夜景に開けられた出入り自由窓からのふうっと微風を振り返る。
「人が人たる」とは。
2つの大戦で壊滅バラバラ破片と化し、調和の霊感を失った世界から身を起こした「現代音楽」。破片のさらなる分解と再構築の手遊びの果て、豊洲はいわば中心設定(神であれ自我であれモノであれヒトであれ云々かんぬん)による世界のデザイン化を放棄、ただ無重力に漂うすべては「浮遊関係」とした(これはとっくに縁起の海、仏界だ)。
裸の男は唯一無二の我たる肉体の克己制御に精魂傾け、ついに厳粛滑稽に至る。
「現代音楽」なんぞでない、此の世、たった此の夜だけの人間の生(なま)の存在二形。
新型コロナの本質は、世界の既存システム(デザイン)の破壊だ。依存しつつ退け合う人間の個々の欲望を可視化し、諍いと絶望に追い込むこと。
眺めれば独裁批判の人々、今や要請でなく強制を!と叫ぶとて「民」の欲望は粛々と我が身を縛り上げる、ゆえこそ、この存在二形、ふわふわ輝く海月(くらげ)となって、あるいは身一つの勝負師となって転がり出ようぞ、何処かへと。

など、見聞せんとて参集した人々の欲望が(筆者も)、それぞれに散った先。
その行方は……

追記:当夜の演目は全てこちらで閲覧できる。

(4/5記) (2020/4/15)

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◆Vox humana Subscription concert No.43
<Artists>
Cond.:Ryuta Nishikawa
Vox humana
<Program>
Hiroyuki Yamamoto : Kenjisai
Jummei Suzuki:「Susanne un jour」pour 12 voix mixtes
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Yasutaki Inamori: Ebene Minne
Yoshifumi Tanaka: Singing, Speech, Sine Waves
(Encore)
Sunao Isaji: Omokage no Hotori ni  Poetry:KeikoNiimi

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◆Motoharu Kawashima plays… vol.1 ”Corporel”
<Performer>
Motoharu Kawashima/Shiori Sasaki/Toshihiro Imamura/Miharu Hayashi/Ayaka Gokan
<Program>
1.Steve Reich: Clapping Music Solo ver. Motoharu Kawashima
2.George Brecht:Drip Music with Shiori Sasaki
3. Motoharu Kawashima: Sight Rhythmics Ia
4. Ayaka Gokan:”Feet Music”with Ayaka Gokan
5. Daisuke Terauchi:Ear Music Motoharu Kawashima& Audience
6. Toshihiro Imamura:”to step on / to be stepped on” with Toshihiro Imamura
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7.Takuya Shimizu:”Polymorphism “with Miharu Hayashi
8. Motoharu Kawashima:Face Music
9.Dieter Shnebel:”Körper –Sprachewith” Motoharu Kawashima /Toshihiro Imamura/ Ayaka Gokan/ Shiori Sasaki
10.Vingo.Globokal:?Corporel