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ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|サッフォーから安楽死へ(1) |秋元陽平

ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス
Renaissance And Cuckoo-Clock —— Notes on Helvetia by a Tokyoite

サッフォーから安楽死へ(1)
From Sappho to Euthanasia (1)

Text & Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

ジュネーヴ大学はジャン・カルヴァンによって16世紀に設立されたので、当然、長い伝統を誇る神学部を擁している。講義棟の位置するバスチヨン公園には「宗教改革記念碑」と呼ばれる四人のプロテスタント宗教家——ルター、メランヒトン、カルヴァンそしてツヴィングリ——の彫像が、どこかアッシリアの神々を思わせる唐突さでぬっと突っ立っている。背後の壁面にはジュネーヴ市のモットーである「Post Tenebras Lux」(闇の後に光を)がきざまれており、この都市のいわゆる観光名所の少なさに悩まされた幾人かの観光客たちは「とりあえず」といったていでそれを写真に収めてゆく。
それにしても、魚の紋章が愛らしい隣街のニヨン——ジャン=リュック・ゴダールが幼少期を過ごしたところだ——や、同じジュネーヴ内のカルージュ地区のように、サヴォワ王家の支配下にあった地域の街並みが黄と白の明るい色調をしているのに比べると、ジュネーヴのそれはぜんたいに灰がかっており、禁欲的である。色と言えば、初夏の陽光が心地よいある日、虹色のペンキが彼らの頭の上に被せられるという愉快な事件があったが、地元新聞はこれが「LGBT活動家」によるものだと明かし、これを文化破壊vandalismeであると非難した。
そのジュネーヴ大学神学部が、2019年に「Notre monde a-t-il cessé d’être chrétien ?(私たちの社会はキリスト教社会であることを止めたのか?)」という挑発的なタイトルのリレー講義を企画したことがある。もちろんのこと、基調講演を行った哲学者マルセル・ゴーシェは、このタイトルに——それこそ一語ずつ——疑義を呈する。「わたしたちの」とはどの権利をもって言えるのか?「社会」とはどのような単位だろうか?信仰のうちにあることを「止める」ことはいかにして可能なのか?そしてキリスト教とは一体何だろうか?講堂に詰めかけた人々の八割が老人だ。ちかごろ左派の若手社会学者に「反動」と糾弾されたこの高名な「脱魔術化」の司祭は、この講演においてもほとんどジョゼフ・ド・メーストルを彷彿とさせる雄弁なアイロニーをもって、個人に向かう宗教、すなわち「宗教を脱却する宗教」としてのキリスト教、とくにプロテスタントが近代において担ってきた役割を素描する。依然として消え去ることがないどころか、その社会的プレゼンスをますます増大しているようにすら見える現代の宗教はしかし、彼によれば、それが私的な個人としての再選択に支えられているという点で伝統的な宗教の共同体的性格を決定的に失ってしまった。かつて読者を袋小路へ導く「悲劇作者」としてのフーコーの巧みな手腕を、彼の扱った19世紀精神医学のテクストを再読解することで批判的に検証したゴーシェだが、彼自身の近代文明論も、どうして劣らず宿命論的様相を帯びているではないか!ただし、彼がこの講演でしばし間を置いて、現代社会において個人によって散発的に行われている宗教的探求はしばしばかつてない真剣さを帯びているようにも思われる、と付け加えたことは興味深い。それは現代社会においては公共空間から退隠した徳が、私的な交わりのうちで「ピアニシモ」で鳴っているというマックス・ウェーバーの言葉を彷彿とさせるからだ。

とはいえ、ここで宗教を巡る問いを大上段に掲げるつもりはない。ただ、こうした風景の連なりが、さらにひとつの私的な場面を思い起こさせるのである。ジュネーヴのアパルトマンの隣人であるHさんはドイツ語圏スイス出身の物腰柔らかな老婦人で、ときどき私たち夫妻をお茶に招いては、山岳地方の田舎で過ごした幼少期の思い出や、医学部に在学する孫娘のこと、ビュトールやスタロバンスキーのようなスイスの文人たちの私的な目撃談などのことを語ってくださる。「あなたたちは、なんて遠くからはるばる来たのでしょう!」という彼女は、長距離飛行に耐えられないので今後日本を訪れる予定は残念ながらないが、代わりにわたしたちの祖国での四方山話を聞きたがった。そんなある日、彼女の80歳の誕生日会に招かれることがあった。メンバーは私たちを除くとHさんの同世代の女性がほとんどで、皆若い東洋人のカップルに好奇心をそそられたようだった。そのうちの一人は、現役時代OSR(スイス・ロマンド管弦楽団)の第一ヴァイオリン奏者を務め、かのエルネスト・アンセルメと一緒に68年の日本ツアーに参加したという。「何より驚いたのは、観客、それもたぶん学生さんだと思うけど、皆楽譜を持って前列に並んで座って、すごく集中して静かに聴いている。そんなこと、ここでは考えられないでしょう」
さて、彼女は誕生日の出し物として、ヴァイオリンではなく、古代ギリシャはレスボス島出身の女性詩人サッフォーの自前の仏訳を音読した。聞けば彼女は退職後、古代ギリシャ語をジュネーヴ大学で学び始めたという。皆が聞き耳を立て、注いだシャンパンが立てる静かな泡の音以外しなくなった部屋で、彼女はまず、朗々としたその母音の引き延ばしがどこか鷹揚な印象を与えるギリシャ語原文を読み上げる。聞いただけで意味を解する人間はその部屋には誰もいないので、続いて仏訳が朗唱される。一つの詩は、若い女性の恋人——言うまでもなく、サッフォーは一般に最古の同性愛者の詩人の一人としてよく知られている——に宛てた恋歌。そしてもう一つは、出土したパピルスから復元された詩で、老いた自分を嘆く歌——そう言ってヴァイオリニストの彼女は笑う。傘寿を迎えた女友達に、同じく傘寿を越えた女性が贈る誕生日祝いとしては、これほど気の利いた組み合わせもないだろう!(続)

(2020/4/15)

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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。