ウィーン留学記|オーストリアのコロナ対策|蒲知代
オーストリアのコロナ対策
Coronavirus-Maßnahmen in Österreich
Text & Photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)
今日は大丈夫でも、明日どうなるかは分からない。そのようなことを、本誌ツイッターで呟かせてもらったのが2月29日。その前日に私が外出先で感じたことを総括したつもりだったが、翌週大学に行ってみると全く緊迫感がない。何人かに「新型コロナウイルスは怖くないか?」と聞いてみたが、自分は若いから大丈夫とのこと。私だけが深刻になりすぎているのだろうか……そう思い悩み始めた矢先、事態は突然動いた。3月10日、オーストリア政府は大学の閉鎖を発表。当日のうちにほとんどの劇場は公演を取りやめ、翌日からウィーン大学は学生の立ち入りを禁止、国立図書館も閉められた。美術館も博物館もそれに続き、観光業もストップ。17日からはカフェやレストランも閉まり、食料品と生活必需品関連の店しか営業できなくなった。たった一週間でこんなにも変わるなんて。心が追いつかないとはこういうことか。
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話は戻るが2月28日、私は論文投稿の関係で医学史の研究者たちと会っていた。ウィーン医科大学の先生もいるし、ちょうど日本に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が問題になっていた時期なので、何か聞かれるだろうと覚悟して行ったが、予想に反して誰もその話題に触れない。ただ、気になったことが二つあって、持病のある高齢の先生が怯えた顔をして握手を躊躇されたし、もう一つは、話し合いの前に「インフルエンザによる欠席者が多い」ということが伝えられると、出席者の間で妙な沈黙が流れたことだ。オーストリアではこの冬に24万人以上が普通のインフルエンザに罹っているが、ある種の疑念が生じたことは明らか。結局この日は一度もCOVID-19の話題が出ず、まるで「名前を言ってはいけないあの病気」だった。
オーストリアで初の感染者が出たのは2月25日、場所はイタリアに近いオーストリア西部の都市インスブルックだった。ウィーンでは27日に最初の症例が発表されたが、その患者はインフルエンザで入院していたらしいので、実際はもっと前から新型肺炎に罹っていたことになる。インスブルックの患者がイタリア人だったこともあり、当時心配されていたアジア人差別はオーストリアでは少なかったが、私もさっそく28日に地下鉄のホームで「日本人出て行け!」と大声で連呼され、その日以来、感染者数が増えるにつれて外で「コロナ」と言われる回数が増えた気がしている。世界中から観光客が来ているウィーンで感染者が出ないはずはなかったし、私のせいではないのだけれど。
オーストリアの作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)の調べで始まる、ヴィスコンティ監督の映画『ヴェニスに死す』(1971年)の舞台、イタリアのヴェネツィアも観光客で賑わう町。ドイツの小説家トーマス・マン(1875-1955)の同名の小説(1912年)を原作としているが、初老の作曲家アッシェンバッハ(原作では作家)が旅先のヴェネツィアで美少年タージオに魅せられて、コレラが蔓延したその町に残り、感染して死んでしまう話だ。小説では、ヴェネツィアの役人たちが観光客を逃がすまいと、病気をひた隠しにして町に消毒液を撒く。主人公はその謎にいち早く気づき、旅行案内所の職員から真実を聞き出すことに成功して、交通が遮断される前に脱出するように言われるが、「恋」を選んで踏みとどまってしまう。
100年以上前に書かれた物語だが、自分が置かれている状況に似ていることに愕然とさせられる。オーストリア航空は3月18日夜から全ての便を停止し、23日には外務省がオーストリアの感染症危険レベルを「渡航中止勧告」に引き上げ、全日空の直行便も29日から運休。だが、私は日本に帰らなかった。帰りたくなかった。部屋に引きこもっていれば感染しないのに、どうしてわざわざ危険を冒して空港に行き、飛行機に乗らねばならないのか。帰国しても二週間は両親に会うわけにはいかないので、自費でのホテル滞在だ。移動はどうする?14日分の朝昼晩の食事は……?部屋に何もない状態ならともかく、もう5年近く留学している私の部屋には食料品の備蓄はあるし、研究に必要な本や資料もある。言ってしまえば私は今ほとんど何も困っていなくて、それよりも日本で通勤している自分の父親や大学の先生、友人たちの方が心配だ。
オーストリアでは最初の感染者が出る前から空港などで検査が行われていたし、感染者が出た後の政府の対応は迅速で具体的だった。しかし、こうした対応が決して政府任せでなかった点も評価できる。3月1日、ちょうど新学期の授業が始まる前日の深夜、ウィーン大学の学生団体からメールが届いた。それによると、新型肺炎が疑われる症状で大学に来ることができない学生ならびに来たくない学生は、授業に出なくても単位取得に支障がないように対応してもらえるとのこと。翌日、学長からも同様のメールがあった。大学は結局、3月11日から閉鎖されることになったが、早々にオンライン授業に切り替えることができたのは、学生団体と大学の高い危機管理能力と柔軟性によるものが大きいだろう。
そして3月15日の政府の会見で、33歳の若き首相セバスティアン・クルツは翌日からの外出制限令を発表。感染者が来週には千、再来週には一万人を超えるという予測を示し、オーストリアは危機的状況のイタリアの後を追っていると話して、国民に危機感を持つよう訴えた。また、子どもと若者を経由して高齢者が発症しないように、例えば、子どもを祖父母に預けることを禁止するなど、重症化しやすいとされる高齢者を守る政策が取られている。その甲斐あって、4月4日15時現在の1日あたりの新規感染者数は282名と前日を下回り(同日の日本の新規感染者数は300人以上)、危惧していた病床数の不足は免れそうだ。覆面禁止法でマスクができない国だったが、スーパーでのマスク着用の義務化にも踏み切り、もうやれる限りのことはほとんどやり尽くしたと言ってよい。
こうしたなか、日本とオーストリアのコロナに対する温度差が気がかりだった。日本でもごく一部の人は、日本も海外も感染リスクは変わらない、と早めから危機感を持っていたが、そうでない人の方が多かったのではないか。ネットの記事などを読んでいると、西欧人は日本人と違って不潔だから感染しやすいという説もあり、たしかに日本人はお風呂好きで清潔だが、とても辛い気持ちになった。オーストリア人を擁護するために言うが、オーストリア人だって少なくともトイレの後はハンドソープを使って念入りに手を洗っている。ウィーンには昔、イグナーツ・ゼンメルワイス(1818-1865)というハンガリー出身の産科医がいて、その人が手洗いの重要性を説いて産褥熱による死亡率を下げたことが関係あるかもしれない。
ただいずれにせよ、今回のウイルスは未知であり、誰もこの先起こることを知らない。誰が正しいのかは全部終わってみないことには分からないのだ。しかしながら、感染者数を減らすこと、できるだけ死者を増やさないことは、個人と社会の努力でできるだろう。日本とヨーロッパの間に温度差があるという発言自体が失礼かもしれないが、今はどの国も危機感を持つべき時だ。互いに甲乙つけている場合ではない。世界が協力しなければ、早く終わる闘いも終わらないと思う。
(2020/4/15)
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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。2012年、京都⼤学⽂学部卒業。2020年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。現在はウィーン⼤学博⼠課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ⽂学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。