ミシェル・ダルベルト~ドビュッシー前奏曲集~|藤原聡
ミシェル・ダルベルト~ドビュッシー前奏曲集~
Michel Dalberto Debussy: Complete Preludes
2020年2月5日 王子ホール
2020/2/5 Oji Hall
Reviewed by 藤原聡
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<曲目> →foreign language
ドビュッシー:前奏曲(全曲)
◎地 EARTH
枯葉
亜麻色の髪の乙女
ヒースの荒野
奇人ラヴィーヌ将軍
ピクウィック殿をたたえて
交代する三度
ミンストレル
◎風 AIR
野を渡る風
◎エーテル ETHER
妖精たちはあでやかな踊り子
◎水 WATER
水の精
沈める寺
◎地/風 EARTH/AIR
デルフィの舞姫
◎風/エーテル AIR/ETHER
パックの踊り
夕べの大気に漂う音と香り
◎地/水 EARTH/WATER
雪の上の足跡
◎地/火 EARTH/FIRE
花火
とだえたセレナード
ヴィーノの門
◎地/エーテル EARTH/ETHER
月の光が降り注ぐテラス
カノープ
◎地/水/火 EARTH/WATER/FIRE
アナカプリの丘
◎風/水/火 AIR/WATER/FIRE
西風の見たもの
◎風/水/エーテル AIR/WATER/ETHER
霧
ヴェール(帆)
(アンコール)
ラヴェル:夜のガスパール~オンディーヌ
上の分類を見て一体何のことかと思われた方も多かろう。この日のミシェル・ダルベルトはドビュッシーの前奏曲集第1巻と第2巻の全曲を弾いたのだが、その順番は普通ではなく、全24曲を五大元素の視点の基に独自に並べ変えグルーピングを施したのだ。古代ギリシャの哲学者であるエンペドクレスが唱えた「火・空気(風)・水・土(地)」の四元素で世界は構成されるという概念があるが、ここにアリストテレスが天体を構成する元素として「エーテル」を加えたものが一般に「五大元素」と呼ばれている。
ダルベルトはプログラムに書く、「私が前奏曲を五大元素の視点で考え始めたのは、いわば偶然のことでした。ドビュッシーは印象派作曲家と呼ばれることを嫌い、むしろ象徴主義者という言葉を強く気に入っていたことを思い出し、私はいくつかの前奏曲が五大元素のどのシンボルに当てはまるのかを考えはじめました。するとすぐに一つ、あるいはもういくつかの元素と各曲をつなげるアイデアが私の頭に浮かびました」。
印象主義、と言えば作家的主体(という概念もこの時期には相対化されつつあったが)によって感覚が捉えた一瞬の文字通りの「印象」で世界を切り取るというニュアンスがあるだろう。しかし象徴主義はより暗示的/陰喩的であり、そして概念的である。プログラムにも書かれているが、前奏曲集の標題は各曲の最後におずおずとあまり目立たないように記されていて、なるほどそれは作曲のインスピレーションとなったに違いはないが、しかし標題音楽でもなければそれらを描写したものでもない。文字通りの「象徴」であって、ここにダルベルトが五大元素との親和性を見出したのはそう考えると自然なことかも知れない。
このような着眼点は誠に興味深いのだけれど、これに負けず劣らずその演奏もユニークなものだ。ともするとドビュッシーのピアノ演奏ではペダルで輪郭をぼやかし、柔和に響きを溶け合わせるようなものも散見される中、ダルベルトはこの日使用されたベヒシュタインD-282の深く雄大な響きも相まって非常に表現の起伏の烈しく、場合によってはこれらの曲ではなかなか聴くことのできないような強靭かつ硬質な打鍵と明確な声部の弾き分けでもって全24曲を弾き切った。かなり個性的な表現なので受け入れ難い方には受け入れ難いであろうが、しかしこれらの曲がかような実在感をもって演奏される機会は稀であろう。
中でも印象深かった曲を拾って行くならば柔らかく、特に低声部における音色変化に長けた「枯葉」、ことさらに誇張された表現ではないのに曲のシニカルな相貌が浮き彫りになる「ピクウィック殿をたたえて」、晩年の練習曲集への萌芽を感じさせる抽象的な運動性それ自体を卓越した技巧で純粋に表出した「交代する三度」(ここまで研ぎ澄まされたこの曲の演奏をほとんど知らない)、どこまでも沈滞した表現を取る「雪の上の足跡」、強烈な打鍵の連続で曲のヴィルトゥオジティを全開にした驚くべき「花火」(最後の音色の工夫と余韻、詩情の表出も抜かりない)、誠に凶暴な「西風の見たもの」…。総じてダイナミックな曲にダルベルトの特質が明瞭に表れていたように思う。
全24曲、ありきたりに楽曲の標題イメージをなぞっているような演奏とはまるで次元が違い、どの曲も演奏者の美意識、あるいはこう言ってよければダンディズムが隅々まで浸透している。思えばダルベルトが日本で大きく知られるきっかけになったDENONレーベルにおけるシューベルトもインティメイトな演奏とは正反対のタイトで辛口、シューベルトの深淵をあぶりだすようなものだったではないか。誠に終始一貫している。
このようなテンションで次々に披露された24曲のドビュッシーの後にはさすがにアンコールはなかろう、と踏んでいたところ、「NO DEBUSSY!」とのアナウンスで演奏されたのはラヴェルの『夜のガスパール』からオンディーヌ。言うまでもなくこれより前にドビュッシーの「水の精」も弾かれているから、聴き手は2人の作曲家の「オンディーヌ」を聴き比べることができたという訳だ(そして五大元素の分類に従えばこれも「水」?)。非常に明瞭なその演奏に怪奇性は希薄だが、水際立ったピアニズムは24曲のドビュッシーのあとでも衰え知らず。やはりダルベルトは唯一無二のピアニストだと再認識した当夜のコンサートであった。
(2020/3/15)
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<Pieces>
Claude Debussy “Preludes”
◎EARTH
Feuilles mortes
La fille aux cheveux de lin
Bruyeres
Général Lavine – eccentric
Hommage a S. Pickwick Esq. P.P.M.P.C
Les tierces alternees
Minstrels
◎AIR
Le vent dans la plaine
◎ETHER
Les fees sont d’exquises danseuses
◎WATER
Ondine
La cathedrale engloutie
◎EARTH/AIR
Danseuses de Delphes
◎AIR/ETHER
La danse de Puck
Les sons et les parfums tournent dans l’air du soir
◎EARTH/WATER
Des pas sur la neige
◎EARTH/FIRE
Feux d’artifice
La serenade interrompue
La puerta del vino
◎EARTH/ETHER
La terrasse des audiences du clair de lune
Canope
◎EARTH/WATER/FIRE
Les collines d’Anacapri
◎AIR/WATER/FIRE
Ce qu’a vu le vent d’ouest
◎AIR/WATER/ETHER
Brouillards
Voiles
(Encore)
Maurice Ravel : Gaspard de la nuit: I. Ondine