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日本オペラ協会公演「紅天女」|西村紗知

日本オペラ協会公演「紅天女」
KURENAI TENNYO Japan Opera Assoc. 

2020年1月11日~15日  Bunkamuraオーチャードホール
2020/1/11~15 Bunkamura ORCHARD HALL
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>        →foreign language
指揮:園田隆一郎
合唱:日本オペラ協会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

キャスト(※1月12日)
阿古夜/紅天女:笠松はる
一真:海道弘昭
帝:山田大智
伊賀の局:長島由佳
楠木正儀:金沢 平
藤原照房:前川健生
長老:中村 靖
お豊:きのしたひろこ
楠木正勝:曽我雄一
こだま:栗林瑛利子
しじま:杉山由紀
お頭:龍進一郎
お滝:佐藤恵利
久蔵(旅芸人):望月一平
権左(旅芸人):脇坂 和
クズマ:清水 実

<曲目>
日本オペラ協会公演 スーパーオペラ 美内すずえ原作『ガラスの仮面』より
歌劇「紅天女」 新作初演

原作・台本:美内すずえ
作曲:寺嶋民哉
総監督:郡 愛子
演出:馬場紀雄

 

「紅天女」とは、漫画「ガラスの仮面」に登場する最重要作中劇であり、「ガラスの仮面」自体が「紅天女」のための物語であるといっても過言ではない。「紅天女」の上演権をめぐる対立に、一人の平凡な少女、だが実は芝居の天才である北島マヤは巻き込まれる。やがてマヤは幾多の演劇修行に励み、ライバル・姫川亜弓と、この紅天女役を競い合うのだった。

「紅天女」の舞台は南北朝の戦乱期、北朝方の帝が天女のお告げを夢に見るところから始まる。その帝から「天女像を彫る仏師を探せ」と命を受けた藤原照房は、仏師・一真を見つけ出す。仏を彫る一真。あるとき「南に行って、千年の梅の樹を見つけ、それで彫るが良い」と法師に告げられ、南朝方のほうへと旅立つ。

道中、一真は梅の谷に迷い込む。そこには、霊力をもつ娘、阿古夜がいた。やがて一真と阿古夜は愛し合うようになる。しかしそうこうするうちに戦が始まり、引き裂かれる二人。そして一真は、阿古夜が千年の梅の樹に宿る紅天女の依り代であると知る。つまり、千年の梅の樹を伐ってしまえば、阿古夜はいなくなってしまう。

戦の最中、戦をやめない人々に怒り狂い、人々を祓って滅ぼそうとする紅天女に、一真は生きることの許しを乞う。願いが通じ、紅天女が去ったあとの阿古夜を抱きつつ、一真は梅の樹に斧を振り下ろす。泰平の世が訪れ、一真は再び仏を彫るために旅に出る。

 

私達は今、どうやって夢を見ればよいのか。

群雄割拠のアイドル産業が一段落した今、その間ずっとショービジネス一般の夢の構造は解体され続け、夢を生み出す類型に基づいた縮小再生産が続くばかりで、この場合どんなに誂え向きでも、実のところアイドル産業の産業廃棄物なのである。夢はそう容易く供給されるものではない、という現実のみが残った。何が夢であるかは受け手に委ねられ、今現在夢は積極的にコミットされるべきものである。時間と金銭をめいめいお気に入りのコンテンツに捧げること。昔からそうだったのだろうか。
オペラという非常に古いタイプの夢を見させる装置も、ショービジネスの一旦を担うかぎりこうした事情と無関係ではいられない。今日救いようもなく解体されてしまったきらめきの逃避場所として機能するよう期待されているとしたら、オペラの望むところであるかはともかく、2次元やら2.5次元やら競合相手がわんさかいるなか、オペラがその役割を断るわけにもいくまい。

夢を見させる。現実生活を忘れさせるということ。ところでこれは作品の筋書きが幻想的であれば叶うのではない。それより、媒体固有の力に頼る部分が大きい。早い話が、漫画「ガラスの仮面」のもつ表現力を、歌劇「紅天女」はそのまま引き継ぐことができない。読者の意識の流れを「ガラスの仮面」は掌握している。コマ割りで生み出されるスピード、あるいは急ブレーキ。代名詞とも言うべきあの白目の表現や現実離れした設定の数々は、それ自体切り取ってしまえば本来の機能を失うものの、漫画という媒体のなかでは読者の意識の流れをつくり出すのにしっかりと役立っている。
それでは、歌劇はどうやって夢を見させるのか。引き継げなかった表現を、何で補えばよいのか。

言うまでも無く、それは歌と音楽である。しかし、残念ながら音楽の力で夢を叶えるまでに至ったとは思い難い。調性感があって聞きやすかったというのは、それ自体何の問題もない。実際、「紅天女」の世界観をつくるのに徹した、夢のような音調ではあった。世界観でもって観客を夢にいざなうことより重要なのは、何かしらのショックの原理で観客を釘付けにすることだったろうか。歌劇というのは、突き放すことを通じて、観客との一体化を生み出すように出来ているのかもしれない。拍節構造がはっきりしていて、なおかつテンポも中庸な音楽が多く、観客が音楽に乗れてしまうようだった。音楽に乗ることによる一体感というのは、現実生活のそれだ。歌劇は違う。歌劇の中に流れている音楽は、いくらコンサート用アリアとして切り取られることがあろうと、その歌劇だけのものだ。何らかの仕方で観客を突き放すようでないと、夢を見る対象になることすらできない。

もっと、かけがえのない一瞬を。ただただ目の前で流れ去るということを、歌劇は一番厭うはずだ。その意味で、流れ去ることに抗していたと言えるのは、やはり阿古夜、そして一真もまたそうだった。この歌劇は、阿古夜と一真のものであった。音楽的なハイライトということになると、第2幕の阿古夜と一真の二重唱であったように思う。阿古夜の純粋さ、一真の純朴さ、それぞれのキャラクターがよく引き出されていた。

しかし結局は、阿古夜/紅天女役の笠松はるの演技に全てもっていかれた感が拭えない。普通の女の子の阿古夜、崇高さただよう紅天女、そして紅天女の依り代としての阿古夜。この3つの人格はあますところなく表現されていた。というのも、声が違ったのだ。声が仮面を変える。人によっては彼女の姿に、「ガラスの仮面」の主人公、北島マヤの面影を重ねることも不可能ではなかったように思う。一真に尽くす阿古夜、人の世を憂う紅天女。千年の梅の樹の下で一真と交わされた約束。残るのは彼女の姿ばかり。

夢を見せてとせがんでみても始まらない。私達は、各々に残された一瞬のうちに夢を見る。

(2020/2/15)


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<Artist>
Conductor:Ryuichiro SONODA
Chorus:Nihon Opera Kyokai
Orchestra:Tokyo Philharmonic Orchestra

CAST(※1/12)
Akoya/Kurenaitennyo:Haru KASAMATSU
Isshin:Hiroaki KAIDO
Mikado:Taich YAMADA
Iga no Tsubone:Yuka NAGASHIMA
Kusunoki Masanori:Taira NAKAZAWA
Fujiwara no Terufusa:Kensho MAEKAWA
Elder:Yasushi NAKAMURA
Otoyo:Hiroko KINOSHITA
Kusunoki Masakatsu:Yuichi SOGA
Kodama:Eriko KURIBAYASHI
Shijima:Yuki SUGIYAMA
Boss:Shinichiro RYU
Otaki:Eri SATO
Kyuzo:Ippei MOCHIZUKI
Gonza:Yamato WAKISAKA
Kuzuma:Minoru SHIMIZU

<Program>
Japan Opera Assoc.Super-opera“KURENAI TENNYO”,from catoon“Glass Mask(Garasu no Kamen)”by Suzue MIUCHI, world premier

Original & Screenplay:Suzue MIUCHI
Music:Tamiya TERASHIMA
General Artistic Director:Aiko KORI
Stage Director:Norio BABA